不完全な世の中だから、言葉を尽くそう


早いもので、もうすぐ今年も終わりを迎えます。

毎年のことですが、年末に仕事を終えると、長い休みが待っていそうな錯覚をおぼえて、とてつもない開放感に包まれます。
もっとも、実際の休みはそれほど長くない(どころか、自宅でゆっくり休める日もほとんどない)のですが、気持ちだけでもリフレッシュするためには、年末感に騙されておくのもいいのかな、と思ったりしています。

今年の生活を振り返ると、自分の仕事はまあぼちぼち。なんとか毎月、ごく細々と収入を得ることができるようになって、少しほっとしています。
小学5年生の子供は、心身ともに著しく成長しています。こんなに素晴らしくおもしろく、とびきり可愛い子と毎日を一緒に過ごせる私は、なんて幸せ者なんだと思います。
夫は夫で頑張っているようで何より。
自分の生活に精一杯で、なかなか会いに行けなかった祖母を亡くしたことが唯一の悲しいできごとでした。

世の中のできごとを振り返ると、今年もいろんな話題がありました。
今年書いたブログ(この記事の終わりに、いくつか関連記事を挙げてみました)を読み返してみると、今年の私は主に

「異なる考えをもつ人どうしが、なんとかもう少し楽しく、一緒の時代を生きていくにはどうしたらいいか」

を、あれこれ考えていたようです。

たぶん来年もこういったことを考え続けると思うのですが、とりあえず今は、タイトルのとおり「不完全な世の中だから、言葉を尽くそう」と考えています。

SNSが広まって、他人の考えを手軽に拡散できるようになりましたが、他人の投稿をシェアすることだけで、自分の意見を言ったような気になりがちなのは、あまりいいことではないと思っています。

いいねとシェア(リツイート)ばかりでやりとりをしていると、自分がいいと思うものをいいと言った人、自分が嫌いなものを嫌う人ばかりに親しみを覚え、逆に、自分がいいと思うものに批判的な人、自分が嫌いなものをいいと言う人に苦手意識を覚えるようになりがちです。
仲のいい人が支持した人やメディアを批判することを躊躇したり、仲のいい人が支持しないものを支持することを躊躇したりということも。

こういったことが積み重なると、人と人との間に少しずつ溝ができたり、弱い絆でしかないものを強いと勘違いすることになり、分断が進むでしょう。

それを止めるためには、一言でも二言でも、自分の言葉を添えて語ることが必要だと思うのです。

何かの概念を表すのに便利だった言葉は、それがいろんなものに当てはめられていくうちに、はみ出た場所が摩擦を起こしたり、足りないところに別の概念が勝手に付け足されたりしていって、不適切な言葉になることもしばしばあります。

決まり切った言葉や他人の言葉だけでやりとりをしていたら、そこからこぼれ落ちたものの中から、大切なものを拾い上げることができなくなってしまう。
その怖さを感じることの多かった一年でした。

どんな難しい問題にも適切な答えを出せる人などいないし、どんな難しい問題にも当てはまる完全な考え方などありません。
あることに素晴らしい対応をすることができた人やメディアが、別のことでは失敗することも珍しくはありません。
自分の代弁者を探し続けるだけでは、誰かに期待をして、失望して、また別の誰かに期待をして、失望して、の繰り返しです。

きっと、たくさんの人が、いろいろな言葉を積み重ねていくしかないのでしょう。

私も、誰かが言った言葉とは違う言葉でしか表せないことを、少しずつでも表していきたいと思います。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。

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