最近のニュースあれこれ

 今日、わが家の近くでも蝉の鳴き声が聞こえ始めました。
 暑さの残る夕暮れにふと空を見上げたら、ハクビシンと思われる黒い影が電線をわたっていました。

 考え込むことの多いできごとが続きます。

都議選

 だから舛添さんを下ろすことはないって言ったでしょ! とため息をついても詮ない都政の混乱。
 ここに至って対応の拙さが目立ってきた安倍内閣と自民党へ逆風が吹き始めたな、と思ったら、7月2日に投開票が行われた都議選では都民ファーストの圧勝。
 人心が一気に動く勢いの怖さを、久しぶりに感じたできごとでした。

 都民ファーストが勝ったということは小池知事のこれまでの政策が都民に支持されたということであり、これが民意なのだ、というような意見もちらほら見かけましたが、この選挙結果が、小池都政に対する民意を正確に反映しているものであるかどうかは疑問です。

 小池都政に対する不満はあっても、反自民の感情がそれを上回った場合もあるでしょう。
 また、今回のように対立軸が多数にわたる場合、投票のパラドクスの問題も気になるところです。
 アメリカの大統領選でトランプ大統領が選ばれたことをもってして、「米国民の民意」を一義的に測ることができると考える人はいないでしょう。それと同じことです。

 ある地域のひとつの選挙結果を見て、「その地域の人たちはこういう考え方なのだ」と決めつけることは、ものごとを見る目を曇らせ、人々の間に断絶を生むことにつながります。

 選挙が終わったら終わり、ということではなく、個々の政策とその実施状況をしっかり見届けながら、私たちの代表者たちにどうしてほしいのか(ほしくないのか)を、折に触れてきちんと伝えていくことが必要なのではないでしょうか。

組織的犯罪処罰法改正案(テロ等準備罪法案)

 参議院の本会議で「中間報告」、委員会での審議を省略して法案採決、という荒技を行って成立した改正組織的犯罪処罰法が、明日、7月11日に施行されます。
 
 この改正法に関する私の疑問は、衆議院の法務委員会で民進党の枝野議員が指摘されていた内容とおおむね同じようなものですが、この疑問に対して十分な説明がなされたとは到底思えません。

 そんな中、与党が改正法の成立を乱暴に進めたことは、改正法に疑問をもつ国民の声は無視してよいというメッセージとしか受け取れません。
 ここまで問題のある手続きを経て成立した法律をそのままにしておくことは到底受け入れがたく、法律の廃止を強く求めます。

 それにしても、都議選や政権へのダメージを減らすためにリスクの高い強行採決という手段をとったという話もありますが、ダメージが一向に減っていないのは皮肉です。

森友・加計問題

 森友学園の小学校の設置認可にまつわる問題、加計学園の獣医学部新設にまつわる問題はなかなか収束の気配を見せず、ついには国会で閉会中審査が開かれる始末。

 安倍総理の交友関係がどう影響したかということよりも、地方や国の行政のあり方に、何か根の深い問題があるように思えてしかたありません。

 中でも、記録や文書の管理の問題は重大です。
 行政上の意思決定プロセスは公平で公正なものであるべきですから、住民や国民が検証できるように、プロセスに関わる記録や文書は適正に保管・公開されなければなりません。
 それにもかかわらず、森友・加計問題については、記録・文書の管理がきわめてずさんであり、そのために国民の多くが納得できるような説明ができなくなっているという事態に陥っているように見えます。
 
 住民や国民の検証に耐えうるような意味のある記録や文書をしっかり保管し、開示できる状態にしておかなかったということは、意思を信託された行政機関の怠慢(もしかすると傲慢も)以外の何ものでもないと思います。

 政府には、記録や文書の管理体勢を見直して適正なものにするという確固とした姿勢の表明とともに、疑念がもたれている問題の意思決定プロセスについては誠実で明確な説明をしてほしいと思います。

 なお、これらの問題については、安倍総理の首相としての資質も問われており、首を取るとらないの思惑も混ざって、SNS上でも激しい議論が戦わされています。
 安倍総理をどういう理由で糾弾すべきか(すべきではないか)ということと、行政が抱える問題をどう改善していくかということとは、できるかぎり切り分けて議論した方がいいように思います。

 たとえば、安倍総理には総合的に首相としての資質がある(から続投してほしい)と主張することと、森友・加計問題における行政上の不手際を批判することとは両立し得るはずです。
 ところが、森友・加計問題を批判する人=安倍総理の敵、批判しない人=安倍総理の味方、のような単純な図式での感情的な対立がよく見られます。
 これはまったく不毛な議論の進め方だと思います。

 誰しも、自分がよいと思うものを否定されたり、逆に自分がダメだと思うものが持ち上げられたりすれば、心が波立ちます。
 思いや反応をすぐ言葉に乗せて発信しやすいSNSでは、誰かの心を波立たせるような言葉(しかも親しい人たちからの言葉)が大量に流されることになります。
 その言葉の洪水の中で自分の心を保ち、考えをまとめるのは容易なことではありません。
 困難な時代を生きているのだということを改めて感じる今日このごろです。