科学技術関連事業の仕分けについて

 行政刷新会議事業仕分け作業が進んでいる。

 13日の第3会場で行われた、科学技術関連事業の仕分けの結果については、twitterでも大議論が巻き起こった( #shiwake3 )。

 結果として、対象となった事業すべてについて予算縮減の提言がなされることになったわけだが、これをもって日本の科学が衰退に向かうと嘆くのは早計であると思う。

 

 まず、この評価に拘束力はない。あくまで鳩山政権が今後どう判断するかに任される。

 とはいえ、影響力はかなりあるには違いないが、あくまで既存の一部の事業についての見直しが要求されたにすぎない。

 既存の枠組みがダメなら、新たな枠組みを提示すればよい。未来はそのようにしてつくるものだろう。

 したがって、私たち国民はまず、今後の日本の科学技術の発展に向けて、何が必要なのかを自分の問題として考えるべきだ。そして、わからないことがあれば研究者や行政にたずね、新たな事業が必要であると判断するのならば、それを遠慮なく提言すべきである。

 また、研究者たちも、これでは研究の現場が立ち行かないと考えるのであれば、その旨を具体的に国民に説明し、みずから提言してほしい。

 ひとりの納税者として、また、研究成果を産業に結びつける仕事をしている民間人として、2つの分野の仕分け結果について私が感じたことを述べる。

競争的資金先端研究)に関して

 財務省や仕分け人からは、

「さまざまな種類の資金が乱立しており、目的や対象が整理されておらず、無駄が生じているのではないか」

「既に実績のある研究者にばかり資金が集まり、若手に資金が回らないという不公平はないのか」

「政策的に進めるべき研究と、研究者の自由な発想に任せる研究を切り分けて、資金の配分と出所を見直すべきではないか」

というような問題提起が主になされ、これら自体は妥当であると思った。

 そして、文科省担当者からの説明は、これらの疑問を覆すようなものではなかった。

 たとえば、仕分け人からの

「単独の資金だけで一つの研究のすべてを賄えないから、あちこちから集めざるを得ないのではないか」

という質問に対し、文科省からの説明は

 「そのようなことはない。その研究にどれくらいの費用が必要かということは研究者が申告し、その妥当性を審査した上で、できるだけ申告された費用の満額に近い形で交付するようにしている」

 との答えであった。それを信じた上で、ひとつの研究に資金が重複している事実があるならば、確かに無駄があるということになってしまう。でなければ、審査の妥当性が低いということになる。

 もっとも、自由に使える研究費が潤沢にあるに越したことはないだろうから、かならずしもすべての無駄が悪いともいえないと私は思う。しかし、実際に研究者間に不公平感があるとすれば、解消されるべきだろう。

 そのあたりは、ぜひ、現場の研究者の方々のご意見をうかがいたいところだ。

 何にせよ、今後、若手の基礎研究者が困窮するということであれば、将来の日本の科学が先細りしてしまうだろうことを、私は恐れる。

 基礎研究がなければ、応用研究も知財ビジネスも生まれようがない。

 また、産業に直結する応用研究でも、普遍性を追求していくほど、基礎研究上の問題意識と区別がつかなくなる。

 だから、基礎と応用の双方に十分な人材がいて互いに交流できることは、どちらの研究を発展させるためにも必要不可欠なことなのだ。

 それだけではない。基礎研究が見せてくれる夢は、すぐれて文化的なものだ。

 私たちの子供が育ち、活躍する未来の社会は、産業が見せる夢と基礎研究が見せる夢の両方が花開く、豊かなものであってほしいと切に願う。

 苦しい経済状況であっても、将来を見据えて、若手の基礎研究者が研究意欲をかきたてられ、それを維持できるような資金の再配分がなされることを望む。

競争的資金(若手研究育成)に関して

 博士号を取得したのち、若手研究者が自立して研究を遂行し、キャリアを築いていくことを支援する事業が仕分け対象となった。

 ざっくりまとめると、査定側・仕分け人側は、

「若手研究支援(若手研究者の育成、研究成果の両方)の成果は上がっているか」

「就職難が喧伝されるポスドク(博士後研究員)について、優秀な研究者のみを厳選して支援するシステムにすべきではないか」

 というような論点を挙げていた。

 裾野を広げなければトップも高くならないと考えるので、若手研究者の支援を全体として縮減することには、私は反対だ。

 

 しかし、今のままのシステムで、果たして若手研究者がキャリアを築いていけるかということについては、いくつか不明な点がある。

 

 ここで対象となっている事業のほとんどは、若手研究者がアカデミックキャリアを築いていくことを目的とした支援事業である。

 気になるのは、現行の事業で支援された研究者が皆、アカデミックの世界でずっと食べていけるようになるのかということ。おそらくそうではないだろう。

 アカデミックポストは限られている。支援される研究者が全員優秀だとしても、全員がいつか独立した研究室をもてるようになるのだろうか。

 おそらくどうしたって、あぶれる人は出てくるだろう。支援を獲得できるくらい優秀な研究者であるのに、だ。

 そういった優秀な研究者のために別のキャリアパスが提示されていない以上、網をかけておいて、ただふるいおとすだけの人材使い捨てシステムと言われてもしかたないのではないか。

 一人前の研究者であれば、自分のキャリアパスは自分で切りひらくべきであるとも思うが、すべてを研究者の自己責任に帰するのも酷であるように思う。研究に向いた人が全員ビジネスに向いているとは思えない。だから、起業せよ、と安易に言うこともできない。

 それならば、民間企業にも就職しやすいうちに、アカデミックキャリアの人材として育成する人数を絞るというのも、あながち不合理とはいえない(どのように選抜するかの基準が非常に難しいだろうとは思う)。

 ただし、これはこの支援事業以外のシステムが、現状と変わりないことを前提としての話である。

 この支援事業で支援する人数を減らさないことが必要なのであれば、ほかのシステムを変える必要があるはずだ。

 それが何なのか、研究の現場にいない私にはわからない。現場の声をうかがいたいと思う。

 ところで、民間企業が博士、とくに卒業後数年経ったポスドクの採用を敬遠することについて、しばしば大学等から非難の声を聞く。

 しかし、アカデミックキャリアをいったん外れた人を、大学等は抵抗なしに研究者として受け入れ、給与を支払い、育成しようとするだろうか? そうでないとすれば、同様の抵抗感が企業にもあると考えればわかりやすいのではないか。

 自分とは違うバックグラウンドの人と仕事を始めるということは、確かに楽ではなく、乗り越えなければならない壁も多い。しかし、うまくいけば実りも多いはずの挑戦だ。

 個人的には、このような壁をさまざまな局面で突き崩す努力をしていくことが、研究者だけでなく、多くの働く人たちのキャリアパスの多様化において望ましいと思っている。

 これとは別に、博士課程までの大学院教育は、自立して考え、研究していくことのできる高度な能力を有した人材の育成が目的であると理解している。このような人材は、産業界においても、大学以外の教育界においても、必要だ。

 したがって、博士課程の学生の生活と研究を補償するための特別研究員制度の縮減とは、大学院教育の目的を見誤った結論であり、これは撤回してもらいたい。

その他雑感

 結論の導き方が乱暴に過ぎる、一部仕分け人の態度に納得がいかない、というような不満点は多々あるが、このような議論がオープンになされたことは、非常に画期的な試みだと思った。

 やり方に工夫の余地はまだまだあると思うが、行政・国民・研究者の間でこういった議論を積み重ねていければ、きっと「他人まかせ」ではない国づくりができるに違いない、と私は希望をもっている。

 一部事業予算の縮減ばかりが先に立ち、科学技術政策の全貌が見えてこない今だからこそ、私たちの声で政権を動かすチャンスであると思う。

《追記》

 以下のサイトで文部科学省パブリックコメントを募集しています。

 「こういった新しい予算を計上してほしい」「現場にはこういうニーズがある」というようなことを訴えてみることができます。

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