自発的に自分語りすることの良さと難しさ

 とどさんことid:tsundenai(すごいidだ)のこの記事

を読んで、単純にカテゴライズできないことは特に、個別具体的な経験談の蓄積が大切だなと改めて思った。

 自分語り、ちょう大事。

 とはいえ、「自分語り」で検索すると、だいたい「うざい」という言葉とセットで書かれている。
 「相手が聞いてもいないのに自分のことを語る行為」と説明されていることが多いが*1、この「『相手が』聞いてもいないのに」というところが、うざいと思われてしまうポイントなのだろう。
 特定の相手がいる場で、その相手の話の文脈を無視して(または相手の話を都合よく踏み台にして)なされる自分語りは、うっとうしがられてもしかたない。

 でも、特定の相手との会話の中ではなく、まったく自発的になされた問わず語りの自分語りであれば、そうそう嫌われることもないんじゃないか。
 というか、随筆・エッセイ作品の人気を考えれば、むしろ、自発的な自分語りのニーズはけっこうあるんじゃないか*2

 世の中にたくさん、自発的な自分語りが増えていったら、「自分と共通するところがある人でもこんなに違うのか」とか「自分とはまったく相容れないと思っていたけど、なんとなくこのあたりは通じるものがありそうだ」とか、人を単純にカテゴライズせずに受け止めるのに役立つのではないか、などと考えている。楽観的すぎるだろうか。

 とはいえ、自発的に自分語りするのはそうそう簡単なことではない。
 普段から自分の中で温めているテーマがいくつかあって、いつでも、それらのテーマについて語る準備ができている、というのでもなければ、そうそう語れるものでもない。

 Twitterを見ているとよくわかる。
 自分の言葉でツイートするよりも、他人のツイートをリツイートする方がはるかに多い人は、びっくりするほどたくさんいる。
 誰かのツイートにリプライする形でばかり自分語りしている人もよく見かける(そしてクソリプなどと言われてうっとうしがられてしまう)*3

 そして見よ。この記事そのものが、とどさんの記事を踏み台にしているのだ。

 自分語りのやりとりも、対話として噛み合っていけばおもしろいものが生まれると思うが、よほど親しい人同士のやりとりでないかぎり、なかなかうまくはいかないだろう。

 やっぱり個人個人が、自分の好きなときに、ぽつん、ぽつんと、あぶくのように自分語りをして、それがいつか誰かのところに届いたりするようになるのがいいんじゃないかなあ。
 みんなもっと自分語りしようぜ。私はそれを読みたいぜ。と思うのだ。
 
 

*1:たとえば自分語り - アニヲタWiki(仮) - アットウィキ

*2:もちろん語り手が嫌いなヤツであれば、聞きたくもないということになると思うけど、その場合はブラウザや雑誌や書籍を閉じてしまえば済む。一方通行なのが、自発的な自分語りの良さである

*3:女性蔑視が話題になったときだけ男性蔑視の話を持ち出す人というのもいて、トーンポリシングなどと非難されて問題になったりするのだが、これは自分語りがうまくできる人が増えれば、ある程度解決するのではないかと睨んでいる。もう少し考えてからまた書きたい。