この半年くらいに読んで印象に残った本 - 似ていることと違うこと

『アフター・ヨーロッパ - ポピュリズムという妖怪にどう向き合うか』(イワン・クラステフ 庄司克宏・監訳)

EUは分裂の危機に瀕しているし、米国もトランプ支持・不支持で対立、そして日本も現政権支持・不支持で対立。最近では、中国本土と香港との対立も表面化している。
それぞれの国や地域で、背負っている歴史も国内事情もまったく異なるというのに、起こっている現象は奇妙に似通っている。
一つの国や地域の中に対立が生まれ、一方は他方を浮世離れした戯れ言だと嗤い、また他方は一方に反知性のレッテルを貼ってなじる。
そして、対話や融和の道はまったく見えてこない。

この本からは、欧州で現在起こっていることは何か、それに至った歴史はどういうものかを学ぶことができる。
固有の歴史と事情を持った他国(地域)の事例を、そっくりそのまま自国に当てはめることには慎重にならなくてはいけない。しかし、似通った事例から、自国のために何か教訓を得ることはできないかと考えるのは、自然なことだろう。

たとえば、我が国では近い将来、憲法改正に関する議論と正面から向き合わなければならないはずだが、それに際して重要と思われる欧州からの教訓は、「国民投票」という手段の是非だろう。

それゆえ国民投票は、EUの活動を阻止するために欧州懐疑主義的な少数者と欧州悲観主義的な政府の両方によって簡単に悪用されうる政治的な道具である

国民投票は、たとえ多数派が分裂反対に票を投じようとも、分裂を引き起こしかねない

憲法改正のための国民投票は、我が国の憲法に定められている手続ではあるが、実際にこれが行われたときに何が起こるかを考えると、あまり楽観的ではいられない。

『塩を食う女たち - 聞書・北米の黒人女性』(藤本和子)

固有の体験から生まれる固有の言葉の力強さと普遍性に打たれた。
こうした言葉に力づけられると、自分の体験や感情もその言葉で表したくなるのだが、その誘惑に負けてしまうと、せっかくの言葉もやがて香気や力を失ってしまうだろう。
どれほど稚拙であっても、自分の固有の思いは自分の言葉で紡ぎ直し、語り直していかなければならないと思った。

だから彼女の短篇の多くに見られるおかしみも、ゆめゆめユーモアなどという言葉で呼ぶまいと思うのだ。ユーモアとはなんと薄々とした言葉か。アイロニー感覚を基盤にしていない、もっとべつの、逆転の腕力を表すような言葉はないのか。

『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ 訳・斎藤真理子)

韓国人の友人から話を聞いていて、韓国と日本の女性はなんと似たような立場にあることかと思っていたが、まさしく「キム・ジヨン氏は私」だった。

本書の後書きに、「現代は男性が性差別を受ける時代。僕はフェミニストを憎む。だからISISが好きだ」とツイッターに言い残してシリアに渡った青年のエピソードが紹介されている。同様の発言は、日本語のSNSでいくらでも見ることができる。「彼は私だ」と公に言うことは、「キム・ジヨンは私だ」と言うことよりはるかに難しいはずだ。「彼は私だ」と感じる人たちが、他者を迫害し、傷つける以外の言葉を得られる日はくるだろうか。

『アイデンティティが人を殺す』(アミン・マアルーフ 小野正嗣・訳)

『アフター・ヨーロッパ』と同様、本書も、欧州の危機はアイデンティティの危機に由来しているという理解がベースにある。

本書は、アイデンティティとは何か、アイデンティティが危機にさらされると人が感じるのはどんなときかを丁寧に解き明かす。
そして、「主要な帰属はたったひとつしかない」と思い込んでしまうことの害悪を繰り返し解く。
自分の帰属をたったひとつに求めてしまうことも、「全然ちがう人々を同じひとつの言葉でひとまとまりにしてしまう」ことも。

そうやって自分や他者を狭隘な帰属の中に押し込めるのではなく、

私たちの誰もが、自分自身の多様性を受け入れ、自分のアイデンティティを自分のさまざまな帰属の総和として思い描くことができるよう励まされるべきです

と主張するのである。

本書は明確な多様性推進の立場から書かれているし、あまりに達成困難な理想論だとの批判を受けることも容易に想像ができる。

しかし、理想を語らずに目的を見定めることなどできるはずがない。
この先、私が傷ついて崩れそうになったときに、この本は杖となってくれるだろうと信じる。

『みんなの「わがまま」入門』(富永京子)

「みんな同じようにがまんしてるのに」、一人だけがまんせずに言いたいことを言い、したいことをしている人……「ずるい」ですか? 「わがまま」ですか? 

という、老若男女問わず「あるある~!」な状況を、これでもかと丁寧に解き明かし、わがまま、言ってみようよ! と励ましてくれる本だ。

明記もされていない「著者の気持ち」を勝手に想像するのはよろしくないのだが、私は本書から、富永京子さんの人間らしい迷いや理想や優しさをたくさん受け取った(と勝手に思っている)。

モヤモヤをためこんでしまう人の背中を押して励ましてあげたい気持ち、お互い上手に思いを伝えて対話できるといいよね~と理想を語りたい気持ち、でも確実に結果を出さなきゃと意気込みすぎてもよくないよね、と肩を楽にさせてあげたい気持ち、などなど、富永さんの人間くさい思いがあふれている本なのである(と勝手に思っている)。

ヌルいんじゃないの、という批判もありそうだが、ヌルくない本はそう思う人が書けばいいのであって、「わがまま」初心者向けとしてはこれ以上ない良書ではないか。

なお、本書にも「人をカテゴライズしない」「自分をカテゴライズしない」ことの大切さが説かれている。
奇しくも『アイデンティティが人を殺す』と呼応していて膝を打った。

こういうところに感じる同時代性のようなものを、もう少し深く知ることができたらと思っている。

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pollyannaの本棚 (pollyanna) - ブクログ