爆速で過ぎ去る週末に、ブログサービスのことなどを考えるの巻

もう日曜日が終わってしまう。早すぎる。

昨日はゼノブレイドDEを遊んでいたら、1日があっというまに過ぎてしまった。
黒いフェイスの強さに心が折れかけたので、カジュアルモードにしてみたら、一回のチェインで簡単に倒せてしまった。そこからはサクサク。
戦闘が怖くなくなったので、心置きなく探索を楽しめる。
見える場所ならどこにでも行ける系のゲームはいい。なかなか旅行もままならない今のような状況では、特に。

今日は家事とか、都知事選の投票とか、書き物とか。
子供も、あと4年もすれば選挙権を得る年齢になる。早い。

……といった、私以外の人にとってはおそらくきわめてどうでもいい身辺雑記を、このところまたちょくちょく書くようになって楽しい。私が。

身辺雑記を、こことは別のブログに分けて書こうかどうしようか、ちょっと考えてみたことがある。
結論としては、ブログを分けたりはしないことにした。
この話題はどのブログに書こう、とかいちいち考えるのも面倒だし、考えているうちに手が止まってきっと書かなくなると思うからだ。
それに、後から自分で読み返すのに、ブログが分散してしまうのも好ましくない。
結局のところ、私のブログの一番の読者は私なのだ。書いたものはできるだけまとめておきたい。そして、書くときの人格もあまり分裂させたくない*1

最近のコンテンツサービスでnoteが人気なのは知っている。私もアカウントだけは持っている。
それこそ気軽な身辺雑記などに向いていそうだが、noteで書き始めることにはちょっと二の足を踏んでいる。

noteでは、コンテンツの持ち運び(インポートやエクスポート)ができないらしいのが、躊躇している最大の理由である。
前にも書いたが*2、このブログには、わたしがWeb上で書いてきたものを、2000年の分から保存してある。
今のこのはてなブログに落ち着く前には、自作ホームページ→楽天ブログ→はてなダイアリー→WordPressと、いろいろな媒体を渡り歩いてきた。
インターネットのしがない渡り鳥が、ちまちまと持ち運んできた古ぼけたコンテンツとはいえ、自分なりの愛着はある。次の場所に行くことがあるとすれば、やっぱり持っていきたいし、その場所からまた持ち出せるようにしておきたい。
コンテンツのポータビリティが担保されていないのは不安なのだ。

noteを特徴づけ、またその魅力の大きな部分を占めているとされているのは、投げ銭システムや有料記事システムである。
確かにとても魅力的ではあるのだが、そういうシステムがあると、私の場合、妙な色気が出てしまいそうなのも心配だ。欲と自意識に縛られて、早晩、妙なものを書いてしまうか、書き続けられなくなってしまうと思う。
原稿料をいただいて書くよりも、自分で自分の書くものに値段をつけて売り出すことの方が、自意識の繊細なコントロールが要求されるような気がする*3

でも、もしはてなブログで投げ銭システムとかができたらどうしよう。
使っちゃうかな。どうかな。

*1:完全非公開の自分用日記ブログは別にあるが、自分のペルソナ的に手が回るのは、それで精いっぱいである。

*2:日記のようなブログのような - 科学と生活のイーハトーヴ

*3:だいじょうぶ? こんなものに値段をつけるなんて、自費出版の自分史的なイタさがない? みたいなところから克服しないといけない。