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ちょっとした希望を、ちょっとした大きさのままで

このはてな匿名ダイアリーの記事
anond.hatelabo.jp
と、それについたはてなブックマークコメント
はてなブックマーク - 結婚してしまった
を読んで。

元の記事の筆者(以下、増田)は女性で、結婚するにあたり、夫となる人の強い希望があって夫の方に姓を変えてもらう予定でいたところ、夫方のご両親の強い希望で、自分が姓を変えるに至ったそうだ。
そして、届けを出した後の今になっても、気持ちの整理がつかないという。

はてなブックマークコメントを見ると、増田は自分の姓へのこだわりが強すぎる、とか、社会人どうしの結婚なのに親の許しをもらうのはおかしい、とか、そこまで言うなら結婚しなければよかったのでは、といった趣旨の強めの意見がたくさんついている。

しかし、そこまで言われることではないだろう。

素直に読む限り、そもそも増田の姓にしたいというのはご夫君の強い希望であり、増田は、どちらかといえばそうしたいという程度の思いだったように読める。
たぶん、結婚するにあたって増田の姓に合わせるということは、増田にとっては「ちょっとした希望」だったのだ。

でも、「ちょっとした希望」だからないがしろにされていい、なんてことはない。
ちょっとした希望だとしても、それは増田の、そして夫婦の意思なのだから、尊重されなくてはいけない。
それなのに、それは、夫方ご両親の強い希望に(おそらく理不尽に)負けた。そして、意に反する選択を強いられてしまったのだ。

「ちょっとした希望」が、そのままの大きさでひっそり尊重されるのは、とても難しい。
そして、「ちょっとした希望」であっても、理不尽に踏みにじられれば深く傷つくものだ、ということもまた、なかなか理解はされない。

希望が尊重されるためには、その希望の強さ・大きさをアピールしなければならないように追い立てられがちだ。
希望を踏みにじられて傷ついている人は、奪われた希望の大きさというより、奪われ方の理不尽さに傷ついているのだとしても、「こだわりが強すぎるせいだ」と決めつけられる。

自分の「ちょっとした希望」に、どんどん余計な意味づけがされて、その大きさが勝手に増幅されていく。
そしてそのこと自体がさらなる理不尽を呼ぶ。
増田の「ちょっとした希望」が尊重されるためには、結婚を諦めたり、夫方ご両親と絶縁したりといった大きな犠牲を差し出せと迫られるように。

どれほど小さな希望であっても、それがただ小さいからという理由だけで踏みにじられるようなことがあってはならない。
誰かの希望が理不尽に踏みにじられたのならば、怒りの矛先はその理不尽に向けられるべきであって、その希望の大小にではない。

増田は自分の「ちょっとした希望」が理不尽に踏みにじられた、ということそれ自体を悲しみ、怒ってもいいのだと伝えたくて、この記事を書いてみた。
私の解釈違いであれば申し訳ない。
元の記事には詳しく書かれていないけど、ご夫君もかなり傷ついているのではないか。
ご夫婦がこのことをどうにかして乗り越え、あるいは乗り越えなくても、幸多い結婚生活を送られますように。