200年前の今日、チャールズ・ロバート・ダーウィンが、イギリスのシュルーズベリーに生まれました。
私たちの地球は、実に多彩で豊かな生き物に満ちています。この生き物たちが、どのようにして生まれてきたのか、また、どのように関わり合っているのか。多くの科学者たちが今もなお、胸躍る発見を積み重ねてきていますが、それは、ダーウィンが近代進化論の扉を開けたからです。
ヒト、チンパンジー、イエスズメ、マダイといった生物分類上の基本単位を、「種」(しゅ)といいます。
近代以前、種は初めからその種として地球上に存在していたと考えられていました。たとえば、ヒトは初めからヒトであった、というような考え方です。
フランス革命の少し後、ラマルクという博物学者は、単純な生物が、必要に応じて器官や能力を発達させて、次第に複雑な生物になっていった、という考えを発表しました。
残念ながら、ラマルクの説は科学的な検証には耐えることができませんでした。しかし、種は変化するものである、という概念は、のちの進化論の発展に大きな影響を与えました。
ダーウィンは、種が変化すること、およびそのしくみについて、初めて科学的な考証を行いました。
ビーグル号での探検航海で、ダーウィンは南半球各地でさまざまな動植物や化石を採集しました。そして、特にガラパゴスで観察した動物や植物の様子などから、のちの進化論のもとになるヒントを得ました。
ダーウィンの進化論の主な柱は、「自然選択説」と呼ばれるものです。
ダーウィンは、同じ種の生き物でも、個体によって違いがあること(変異)、さらに、その変異が親から子へと伝えられる場合があることに気づきました。もし、この変異が、環境を生き延びるために有利なものであった場合、その変異をもった個体が多く生き残ることができます。このような変異が少しずつ積み重なることによって、祖先の種とは異なった種ができていくのではないか、というのがダーウィンのアイディアでした。
共通の祖先から、さまざまな種が枝分かれしていく、というアイディアが生まれたとき、ダーウィンがノートに記したスケッチが有名です(生命の樹、Tree of Life)。
(from Wikipedia)
キリスト教の世界観では、旧約聖書に記されるように、神がすべての生き物と人を同時につくったとされています。ダーウィンが進化論のアイディアを得た当時、サルとヒトが共通の祖先をもつ可能性があるなどと発表することは、大変に勇気のいることでした。実際に、ダーウィンは発表するまでに、そして発表した後も、非常に悩んだといいます。
しかし、彼の勇気のおかげで、その後の生物学は飛躍的に発展しました。
現在の進化論は、ダーウィンの理論をもとに、数多くの科学者の手によってさらに精緻なものがつくられてきており、さまざまな生物の集団のありようを、かなり正確に理解することができるようになっています。
今、地球上に満ちているさまざまな生物は、どうして今日まで生き残ることができたのか。それを理解することは、単にストーリーとして愉快であるばかりではありません。それらの生物がもつさまざまな能力に気づき、その能力が発揮できるメカニズムを調べることによって、医療や産業へ応用することにもつながります。
私たち人間が、他の生き物たちと仲良く暮らしていくためにはどうしたらいいのか、それを考えるためにも進化論が重要であることは、いうまでもありません。
200年前の今日、ダーウィンが生まれたことを、心から喜びたいと思います。
*ダーウィンの性選択についてはまたの機会に。
*ダーウィンと同時に自然選択説にたどりついた、アルフレッド・ラッセル・ウォレスという博物学者がいますが、このへんのゴタゴタについては省略します。私はウォレスの「マレー諸島」が大好きですが。