退官

16日は、卒業研究でお世話になったI教授の退官記念パーティーだった。

学士会館分館には、先生の、かつてそして現在のご同僚、教え子のみなさんがたくさん集まり、
盛大なパーティーとなった。

いくつかのエピソードが披露されたが、中でも感銘を受けたのは次のお話。
先生は、駒場でお仕事をなさっていたころ、ひととおりの実験が終わると、
「これで論文が書ける!」と、喜び勇んで生協に行き、鉛筆を20本買ってきたそうだ。
そして、それをぜんぶ研いで準備をすると、嬉々として論文をお書きになったとのこと。

もちろん、常に論文を書いていなければ研究者とは言えない。
それでも、このエピソードは、実験とともに、文章を書くのが大好きなI先生なればこそのものだ。

いただいた業績集巻頭の「この13年は何であったか」も、先生らしさが随所に現れた名文。
その偉大な業績集の末尾に、私の名前も載せていただけたことは、ほんとうにうれしい。
I先生とSさんに、心から感謝申しあげる。

パーティーの間は、たくさんの先輩方と久しぶりにお会いできた。
N中先生や、A宮先生とも、ゆっくりお話ができて楽しかった。

M本先生の芸(?)「矢切のたわし」も披露され、
なにはともあれ、盛会のうちにパーティーはおひらきとなった。

          • -

その後は、教授室には偉い先生方、スタッフルームには中間層の方々、
33号室にはヤングジェネレーション、と希釈系列をつくって二次会。

新ドクター・Mがときどき、ジュニアクラスをのぞいては
「ここ、ラクそうやなあ」
とうらやましそうにつぶやいては、先生方へのご挨拶に回っていた。

I先生はお疲れになったようで、シニア・ミドルクラスの二次会は、早めに終了。
その後、「今日はタクシーで帰ろう」と言いつつSさんらがジュニアクラスに合流。
ひとしきり飲んだのち、私は失礼した。

このような場がひとつ、失われることは、とても淋しい。
I先生を中心に(というかダシにして)、人々が集まれるということは、
先生の人徳以外の何物でもない。
あの大きな背中は、いつも2号館のどこかにあるような気がするのだが。

身近にいられた間に、もっと先生から吸収できたことがあったのでは、と悔やまれる。
不出来な弟子の私だが、先生のご薫陶を受けられたことは、一生誇りにしたいと思う。

            • -

当日のSさん

名司会でした。