PTAのムダや非効率性を指摘するときに、必ずと言っていいほどやり玉に挙げられるベルマーク活動。
たとえばこの記事でも、
仕事量が多いことや、手間がかかるわりに成果が小さい活動が多いことも、働く親にとって負担と感じられます(例・ベルマーク活動)
として紹介されていますね。
その割に、ベルマーク活動はなかなかPTAの活動からなくなる気配を見せません。
ベルマーク活動をやめようという議題を持ち出すと、「それをすてるなんて とんでもない」という反応が返ってきて、とても話にならなかった、なんて話はよく聞きます。
ベルマーク活動は、私自身まったくやる気が起きない活動なので、「ベルマークむだ~」「ベルマークやだ~」「ベルマークもうやめよう~」という気持ちはとってもよくわかります。
それでは、ベルマーク活動を廃止しさえすれば、PTA活動はラクになるのでしょうか。
実はそうとも限らないのではないか。
もっと根本的なところをどうにかしなければ、ベルマークだけやめても結局のところ大変さは変わらないのではないか。
根本的なところをどうにかできれば、実は、ベルマークを残したい人がいるなら残してもいいのではないか。
というのが、この記事の趣旨です。
まず大前提として、みんな違う「PTA」について話をしていると考えよう。そして「ベルマーク」の位置づけについて
PTAの構成はさまざま
PTAのあり方は学校によって本当にさまざまです。ここを理解していないと、自分の学校を基準に問題点を提起したり、解決法を提案したりしても、別の学校では「???」となってしまうことも……。
たとえば「PTA役員」と聞いて、皆さんはどのような役割を思い浮かべますか?
この「PTA役員」という言葉が指す役割。実は、学校によってけっこうバラバラなんです。
PTA(Parent-Teacher Association)のうち保護者の役割は、おおむね、
・PTA活動全体をまとめる「本部」(いわゆるPTA会長、副会長、書記、会計)、
・個別の学校行事や安全活動等を担う「委員会(係)」、そして
・各クラスの保護者をまとめる「クラス代表」、
のような形で分担されているところが多いと思います。
たとえば、本部のメンバーだけを「役員」と呼ぶ学校があります。
別の学校では、本部のメンバーは「本部役員」と呼び、その他委員会(係)やクラス代表などの何らかの役割を果たしているメンバーを単に「役員(平の役員)」と呼んだりします。
さらに、本部のメンバーは「本部役員」、クラス代表を「役員(クラス役員)」と呼び、その他の役割のメンバーには特に名前がつかない、なんて学校もあります。
ほかにももちろんいろいろ。
4月ごろにしばしば話題になる「PTAの役員決めがゆううつ……」というような文脈で言われる「PTA役員」は、だいたいが、「委員会(係)」や、「クラス代表」のことを指していると思って間違いないでしょう。
そして、ベルマーク活動はこの「委員会(係)」の仕事として位置づけられていることが多いです。*1
このように、「PTA役員」という言葉の意味すらまちまちなので、「PTAの役員はさー……」という話になったときに、「どの役割のことを言っているのか」を確認しないで話を進めていくと、あっというまに食い違いが生じたりします。
役割の振り方もさまざま
そのうえ、保護者たちに役割をどのように振り当てていくかについても、学校によってさまざまです。
子供が在校中に、1回から数回、何らかの役割を果たせばそれでよいとされる(つまり、何の役もしなくてよい年が、少なくとも1年はある)学校。
とにかく「一人(一家庭)一役」で、子供が在校中はずっと何らかの役をしなくてはいけない学校。
前者と後者とでは、クローズアップされる問題の種類がおのずと違ってきます。
このように、話が具体的になってくるほど、個別の学校やPTAの事情に依存してくることが増えてくるわけです。
ただ、なかなかラクにならないPTAに共通していることが、おそらくひとつあります。
それは「みんなに平等に苦労を割り振ろう」という考え方です。
ベルマーク論争はなぜ燃えるのか
前置きが長くなりましたが、ようやく本題です。
ベルマーク活動が、手間の割に得られる収入はわずかで、きわめて非効率的な活動だ、ということについては、おそらく皆さんの認識が一致するところでしょう。
それなのに、「ベルマーク活動もうやめよう」派と、「ベルマーク活動あってもいいんじゃない」派がいるというこの状況。いったいどういうことなのでしょうか。
ベルマークやめたい人とベルマーク残してもいい人、それぞれの言い分
「ベルマーク活動もうやめよう」派の人たちの言い分は、
・ベルマーク回収と整理のためにわざわざ仕事を休むくらいであれば、そのぶんお金を寄付したほうがいい
・IT化する等、もっと効率的なやり方はないのか
といったものが多いようです。
「ベルマーク活動あってもいいんじゃない」派の人たちの言い分は、
・ベルマークの作業が好きだし、さほど負担にも感じないので、あってもいいと思う
・少ないとはいえ、ベルマークの収入で、学校の備品等を買うことができるので、子供たちのためにもなっている
といったものが多そうです。
どちらも説得力があると思いますが、「まああってもいいんじゃない」という人がいるのに、「やめよう」と言うのは、かなり強い主張です。ベルマーク活動をやりたいと思う人たちの選択肢を狭めるからです。
ベルマーク、ほんとうにやめないといけない?
それでも「ベルマークやめよう」と言わざるを得ない人たちが抱えている問題は、おそらく「ベルマーク活動の非効率性」そのものにあるのではないでしょう。
問題のおおもとは、「非効率でやる気が起きない仕事をむりやりやらされる」というところにあるのではないでしょうか。
やる気が起きない仕事であれば、その仕事をやらないという選択をすればいいだけのことです。
ところが、今のPTAの多くでは、そのような選択ができない状況になっている。そのことが問題なのだと私は思っています。
一人一役制のPTAでは、そもそも、「何のPTA仕事もしない」という選択そのものができません。
一人一役制でないPTAでも、何かしらのPTA仕事をしなければいけない年が必ずあります。
そういうとき、ベルマーク活動以外のPTA仕事は、実際の負担が重すぎてできない(たとえ興味がある仕事であっても)、という人はたくさんいます。
そこで、「負担が重い仕事は免除してもらうかわりに、『せめて』ベルマーク活動を……」というように、いわば「比較的ラクな仕事の受け皿」としてベルマーク活動が存続しているPTAがたくさんあるのです。
そして生じるのが、負担の重い仕事をしている保護者の「せっかくラクな仕事で済んでいるのに文句を言うなんて……」という思いと、やりたくもないベルマーク活動をやっている保護者からの「やりたくもないことをやらされるなんて……」という思いのぶつかり合い。
これすべて、「みんなに平等に苦労を割り振ろう」という考え方が元凶です。
「ベルマークやめよう」だけではおさまらない問題がある
「みんなに平等に苦労を割り振ろう」という考え方が支配している。こんなところに、「お金払うからベルマークやりたくない」「ベルマークそのものをやめよう」と言い出したらどうなるでしょう。
「お金を払える人だけが苦労から逃れるなんでズルい」「ベルマークやめてもいいけど、それならほかの仕事をつくらないと『不公平』」といった反論が返ってくることは、目に見えています。
繰り返しになりますが、「みんなに平等に苦労を割り振ろう」という考え方がダメなわけです。
だから、「みんながラクになる」方向で解決していかないと、ベルマークにまつわるゆううつな諸問題は、別の問題へと姿を変えて噴出し続けることでしょう。
「お金を払ってベルマーク活動を免除してもらう」「ベルマーク活動そのものをやめる」というのは、みんながラクになるのではなく、今ベルマーク活動をやっている人だけがラクになる方向だと受け止められかねません。
このような主張を続けていても、多くの人たちの反感を買いこそすれ、理解を得られることは少ないのではないでしょうか。
このあたりが、ベルマーク論争が燃える理由なのかなと思っています。*2
ベルマークがあってもなくても、ラクなPTA活動にしたい
それではどうやったら「みんながラクになる」PTAにできるのでしょうか。
どれほど考えても、最終的には「やりたい人が、やりたいことを、できるときにやる」完全ボランティア式にするということ以外、解決策はないように思います。
もっとも、実際にそれを実現するためにクリアしていくべきことを考えると、気が遠くなります。
学校の中だけでは解決できない問題がある
PTA活動は、学校内だけで閉じた活動ではありません。
今は、文科省からも「教育における学校、家庭、地域の連携」という方針が強く打ち出されている時代です(第4章 学校・家庭・地域社会の連携:文部科学省)。
PTA活動というのは、多くの人が思っている以上に地域(他校も含む)や自治体(教育委員会)等とのつながりが深いのです。
特に「地域の教育力」を期待された事業については、自治体から補助金が下りてくることもあって、無償ではどうかと思うくらいの責任と事務作業を負担しているPTAも多いと聞きます。
このような状況で、ある日いきなり「これから、当校PTAは完全ボランティア式にしま~す」と言い出すわけにはとてもいかないでしょう。
学校内で合意を取った上に、これまで築いてきた地域や自治体との関係を損なうおそれがないことを、外部に対して示して説得していくという、かなり周到な準備が必要になりそうです。近隣他校と連携して同時に改革、という形にする必要が出てくるかもしれません。
重い役割を担う人材を確保できるか
また、完全ボランティア式にした場合、いちばん大変なのは、ボランティア・センター的な役割を担うことになる人たちでしょう。
そういう役割を担ってもいいよ、という人がどれくらい継続的に出てくる見込みがあるのか、ということについて、不安を言い出す人も出てきそうです。
このことについても各学校の事情によるところは大きいでしょうが、ある程度の割りきりと楽観性で臨むしかないのかな、と思います。
つまり、「ボランティア・センターの構成員が少ないときは、それにあわせた規模の活動しかしない(できない)」と割り切り、「ある程度うまく、楽しく活動が回り出せば、ボランティア・センターをやってもいいと思う人も増えるに違いない」と楽観的に構える、というような具合です。
もしかすると、将来的には、ある程度重い役割を担う人たちには一定の報酬を、という方向での検討も必要になってくるかもしれません。
ボランティア式の成功例にも学ぼう
ここで勇気づけられるのが、実際にPTAをボランティア式にした嶺町小学校PTOの例です。
cybozushiki.cybozu.co.jp
先日、この改革を成し遂げた嶺町小PTOの元団長、山本浩資さんのお話を聞く機会がありました。
そのお話の内容は、もし今、強制参加PTAで悩んでいるところであれば、不安や越えるべきハードルがどれほどたくさんあったとしても、「とりあえずなんとか、完全ボランティア式の『お試し』だけはやってみたい」と思わせられるものでした。
このような成功した例にも学びつつ、焦らず、じっくりと、そして何よりも「子供たちのため」ということを忘れず、自分の学校と地域の実情に合ったPTAを目指していけたら、どんなにいいでしょうか。
嶺町小PTOでは結局、ベルマーク活動は存続していると聞きます。
「やりたいことをやれる」「やりたくないことはやらなくてもいい」PTAであれば、ベルマーク活動をやるかやらないか、はもはや燃えるような問題ではないのかもしれません。