私が捨てたもの(追記あり)

女性は結婚や出産を機に人生の転機を迎えることが多いし、男性の転職も珍しいことではなくなった。(追記・私個人の転職の経緯についてはこちら→転職について


環境を変えることは、前向きな変革であり、挑戦である、と多くの人が考え、ポジティブな側面ばかりが喧伝されている。


でも、環境を変えて失われるものについては、あまり語る人がいない。

転職して半年を過ぎたところで、私が失ったものについて振り返ってみる。


それまでいた世界における信用

信用、というのは語弊があるが、それなりに長い間、同じ業界で飯を食っていれば、「これについてはあの人に」と声がかかることも多くなる。経験が肩書きになる。

通常の仕事とは、少し違う分野からも、「あの分野のエキスパートに話を聞こう」と呼んでもらえて、世界が広がる。


私はまず、アカデミアンとしての経験と肩書きを捨て、次に研究者としての経験と、肩書きを、すべて捨てた。


アカデミアにいるあなただったら、うかがいたい話もあったんですけどね。え?もうあの研究していないんですか。惜しいなあ。

研究者としてのあなたの意見を聞きたかったのですが、もう研究者じゃないんですね。残念ですがまたいつか。


友人

かつていた世界を去るということは、その世界を部分的にせよ否定することだ。

その世界に今もなお残る人の中には、私がその世界を去ったことで、自分の価値観を否定されたと感じる人もいる。


決してそうではない。しかし、そうではない、と伝える私の言葉と行動がつたなくて、私はある友人を失った。


有給休暇

すこし位相の違う話になるが、有休の日数が振り出しに戻ってしまった。


子どもがいなければどうということはないが、幼児を抱えていると、初期値の有休日数では厳しすぎる。

自分の体調が悪くても、いつ子どもが熱を出すか、と思うと休めない。


特に子どものいる人や、体の弱い人にとっては、あなどれないポイントだ。


半年間とどまって、それから動こう

違う世界に行ってみよう、と思ったら、まず半年間はその場に居続けることを勧める。


自分が積み上げてきたものの価値を、その間に冷静に見定めよう。

「こんなもの」と思っていたものが、意外に大切なものであったりする。


それでも、その世界を離れることの価値の方が大きいと思ったら、決断しよう。

そのくらい頑張れば、その後失うことになるものについても、自分の中で整理ができるはずだ。


でも、きっといつか取り戻す

私は多くのものを失った。でも、いつか私はそれらを取り戻す。


今いる世界で、私はまだ何ものでもない。経験の浅い、無資格の特許技術者にすぎない。

しかし、経験と資格を手に入れることによって、かつていた世界で積み上げたものが、再び生きてくるだろう。


新しい人脈もどんどんできるだろう。つくっていくだろう。

しかし、失った友人だけはかけがえのないものだ。友人自身をいつか取り戻したいと願いながら、毎日を生きていくしかない。


雌伏の時に手放してはいけない、たった一つのもの。

それは希望であると私は思う。