理想を思い描いてそれを叶えようと努力していくことは、よくある人間の営みのひとつにすぎない。
けれど、それは決して簡単な作業ではないし、理想を高く保てば保つほど、陥りやすい危険もたくさんあるのだな、と当たり前のようなことを改めて考えた一週間だった。
研究の世界に身を置いていたときのことを思い出すと、「こんなことがわかるようになったらどんなにすばらしいだろう」という理想と、その理想を叶えるためにはあまりに未熟で非力な自分との間でいらだち、のたうち回るような日々だった。
そのころは、「研究者になりたい(できればアカデミックな世界で)」という強い願いをもっていたけれど、私が思い描いたようなすばらしい研究者になるためには、私にはあまりにも多くのものが欠けていたと思う。
でも、当時、そんな自分をきちんと正面から見つめることができていたかと言えば、到底そんなことはなかった。自分には知識もセンスも考察力も足りないし、それらを身につけるための根性も粘り強さも足りないのだ、ということから目を背けようとしてばかりいたような気がする。
研究が好きで、ある程度は得意だと思っていたからこそ、高い理想を具体的に思い描くことができた。でも、それだけに、現実との大きなギャップをこつこつと埋めていく作業がつらかったのだと今にして思う。
その後、紆余曲折を経て、知財業界に身をおくことになった。この、まったく経験のない分野の仕事に一から挑戦するという経験が、私にとってはとてもよかったと思う(そのかわり、上司や先輩方には大変なご苦労をかけてきた)。
弁理士の資格を取るまでの数年間は、事務所外の方と接することもほとんどないまま、ただ黙々と勉強と所内の仕事に励む毎日で、まったくの下積み生活。法律についても実務についてもまったくわからなかったため、理想と現実とのギャップを意識するヒマさえないまま、がむしゃらに教えを請い、勉強し、仕事をするしかなかった。その過程で、理想に近づいていくことを阻むような自尊心(虚栄心?)の壁が、ちょうどいい具合に突き崩されていったような気がする。
最近、ようやく自分で仕事ができるようになってきて、研究者としての経験も、少し違った形でどうにか生かしていけるようになり、自信と喜びを感じるようになってきている。でも、だからこそ、以前のような陥穽に落ちないようにしなければならないと思う。
高い理想をもたなければ、いい仕事はできないし、人間としての成長もない。常に現実の自分を正面から見つめる勇気と正直さをもっていたいし、その上でこつこつと理想に近づいていくためのしんぼう強さとしたたかさをもっていたい。
そんな当たり前のことを納得するのが、ずいぶん遅くなってしまった。