恵まれているということ

男ってめっちゃ恵まれてね?を読んだよ。


何歳になっても自分の子供が持てる上、自分は何もしなくていいんだから


凄すぎじゃね?最強じゃね?


あははー。ねー。ほんとにねー。


でも、実際「何もしなくていい」なんてことはまずないだろうし、「何もしなくてもいい」ならいいで、そこが「男はつらいよ」になる所以なんじゃないのかなあ、などと推測したりもする。


だって、


「あなたは何にもしなくていいのよ。育児も、家事も、ぜんぶアタシがやるから。一家を背負う重圧なんて感じなくてもいいのよ。アタシの収入だけでも十分やっていけるから。だからそのぶん、うんといいお仕事してね(はーと)」


とか言われる方が、よっぽどつらくないかい? 逃げ場がなくて。


男女逆にしてみると、


「キミはなーんにもしなくていいよ。子どもの面倒はぜんぶボクが見るし、ご飯も毎日つくってあげる。掃除も洗濯もしなくていいから、仕事“だけ”に専念して、それに見合った業績を“しっかり”あげてね(はーと)」


これが子どもであれば、


「ボクちゃんは、おうちのことなんか、なーんにもしなくていいの。お勉強だけしていればいいのよ」


やー。こわいですねー。


責任はなにひとつとらなくてもいい。夫(妻)としても、父(母)としても、家庭にいてもいなくてもいい。

それはそれで、つらいところもあるような。


長らく働いてきた人が、職場に居場所をもっているのは、それなりの不条理を耐えてきたから、という側面もあると思う。

同じように、自分の居場所がある家庭をつくりあげるには、なんかしらの代償は必要だろう。


一見ふてぶてしく「恵まれ」た環境を手にしているように見える人でも、それなりの思いを積み重ねてきているはずだ。


職場と家庭のどちらに、あるいは両方に、どう力を配分するかはまったくの自由だけど、幸せそうに見える人が、なんの苦労もなくその幸せを獲得した、と判断してねたむのは、少々筋違いかな、と思う。


適当にぶーぶー言いながら過ごしている毎日も、きっとそれほど捨てたもんじゃないよ。