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土井善晴「一汁一菜でよいという提案」

感想、評論

NHKきょうの料理などのテレビ番組、そしてさまざまな雑誌や本でおなじみの料理研究家、土井善晴さん。

私が最初に土井さんのファンになったのは、黒豆のレシピでした。そう、熱い煮汁に黒豆を入れて一晩戻し、それから煮含めるという、かの有名な「失敗しない黒豆」のレシピです。
それからも、料理番組で土井さんの回を見るたびに、おいしそうな料理が魔法のように簡単に美しくできあがるのに見とれ、「これなら私にもすぐできるかも」という気に何度させられたかしれません。そして実際に作ってみると、失敗なくおいしいものができるのです。
ちなみに最近では、豆腐を水切りせずに作る「大根の白和え」(正確には大根と人参の白和え)がびっくりするほど軽く、おいしく、家族の箸も止まりませんでした。

去年の夏、NHKの連続テレビ小説「とと姉ちゃん」の影響で、久しぶりに「暮しの手帖」を読みたくなって、そのときに出ていた83号を買ってみました。そこに載っていたのが、土井善晴さんの「『汁飯香』のお話」です。
お米は洗ったら水を切り、そのままビニール袋に入れて冷蔵庫で保管しておけば、あとは炊飯器の早炊きモードで炊いてもおいしく炊けるとか、お味噌汁は出汁をとらなくても十分おいしいものができるとか、いろいろと目からウロコのお話が、土井さんの普段の柔らかい語り口そのままに伝えられていて、とても楽しい読みものでした。

この「『汁飯香』のお話」の中に要約されている一汁一菜の考え方がさらに詳しく、丁寧に書かれているのが、「一汁一菜でよいという提案」という本です。

一汁一菜でよいという提案

一汁一菜でよいという提案



「一汁一菜のすすめ」といった積極的なタイトルではなく「一汁一菜でよいという提案」という控えめなタイトル。不思議なもので、この方がかえって強く印象に残ります。

私は台所に立つのがどちらかといえば好きな方ですが、帰宅の遅い夫と小学生の子供を抱えて毎日献立を考え、食事を作り続けるのはやはり大変なことです。
ですから、この本を読み始めたときは、どちらかといえば「一汁一菜でよいのですよ。そんなにストレスを感じる必要はもうありませんよ」と、土井さんに柔らかい声で甘やかしてもらえるかな、と期待していました。
読み進めながら、確かに気が楽にもなったし、肩の力が抜けたのはそのとおりなのですが、これは決して単に読者を甘やかす本ではありませんでした。

料理番組などでも、土井さんはよく(料理の一工程ごとに)「けじめをつける」という言葉を使うのですが、おそらくこの本を通じて土井さんが説きたかったことは、食事を含む生活のけじめをつけることの大切さ、なのではないかと思います。
それは、「不摂生な生活を正しなさい」というような道徳的な意味でのけじめをつけることではありません。なんとなくそうすべきだと思い込んでいた結果、私たちの価値観を揺るがせたり縛ったりしてきた「ものの考え方」のけじめをつけることの大切さです。

多くの人が、ハレの価値観をケの食卓に持ち込み、お料理とは、テレビの食番組で紹介されるようなものでなければいけないと思い込んで、毎日の献立に悩んでいるのです。

普段の食事は食べ飽きない慎ましいものを食べて大事に備え、余裕があるときは普段とは違う食べ物を取り入れたり、ごちそうを作ったりして楽しむ。そういった暮らしの秩序を作ることで、さまざまな楽しみや喜びに気づく心や目が養われていくのではないか。
土井さんが言いたいのはそういうことではないかと思います。

私が尊敬する管理栄養士の道良寧子さん(id:doramao)が、以前、こんな記事を書いていらっしゃって、子供の食事に悩んでいた私はとても救われた記憶があります。

d.hatena.ne.jp

ここで道良寧子さんは、「1日毎に見た場合ではでこぼこであっても長い期間でみたらつじつまが合えばよいのですね。自分たちが1ヵ月間に食べたものを1食あたり均等に分けたとき、モデル献立の内容からそんなに離れていなければ良い」「食事は人生の愉しみでもあることも忘れちゃあいけない」と言います。

道良寧子さんはどらねこさんなので、暮らしのけじめといったことは一言も書かれていませんが、少なくとも食事の楽しみと栄養という点において、道良寧子さんのこの記事と土井さんの考え方は通じるものがあるように思いました。
(もちろん、体質や疾患などのために注意しなければならない食品がある人の場合は、また別に考えるべきことがあると思います)

毎日しっかり何品も作らなければならないと思うと、それだけで椅子から立ち上がりたくなくなりますが、「今日は普段のごはんを作ればよい。長い目で見て心と栄養のバランスがとれればよい」と思うと、気軽に台所に立とうという気にもなります。

毎日料理をしてきた人たちにとっては気持ちが楽になり、またごはんをつくろうと思える。
そして、これまで料理をする機会のなかった人たちにとっては、ためしにごはんをつくってみようかな、と思える。
そんな素敵な本だと思いました。

「一汁一菜の実践」のカラーページがとてもおいしそうなので必見です。

作る人が食べる人のことを考えている。料理することは、すでに愛している。食べる人はすでに愛されています。