「ミニ腸」と「ら抜き」

ES細胞から「ミニ腸」

www.ncchd.go.jp
JCI Insight - A xenogeneic-free system generating functional human gut organoids from pluripotent stem cells

生体の腸のように蠕動運動をして、しかも吸収能や分泌能ももつ小さな腸を、ヒトのES細胞やiPS細胞を用いて試験管内で形成することに成功したというニュースです。
朝のテレビで見てびっくりしました。

培養皿に微細加工を施して細胞の自己集合と自己組織化を促したという点、
そして、異種成分(今回の場合だとヒト以外の動物由来成分)をまったく含まない培養環境(ゼノフリー)を用いたという点、
あたりがミソのようですね(ほかにもあるのかも)。

腸疾患のメカニズムについての研究や、治療薬の開発のための研究への応用が期待できます。楽しみです。

論文には、この方法で作ったミニ腸の成熟度合いを確かめるために、ヌードマウスへの移植を試みて成功したことについても簡単に触れてありました。すごいなと思ったのですが、プレスリリースでは、移植治療による臨床応用がすぐにでもできるというような煽り方は一切しておらず、とても誠実な伝え方をしていて素敵だなと思いました。

朝のテレビニュースを一緒に見ていた子供(小4)の感想「うまくいったら、試験管の中でちっちゃいうんこがコロコロできるようになんのかな」

うん。それはちょっと見てみたいね。

「ら抜き」言葉、多数派に

論点 「ら抜き」言葉、多数派に -毎日新聞-

国語学者の金田一秀穂さん、そして劇作家永井愛さんへのインタビュー記事です。

金田一先生は「そもそも『正しい日本語』など存在しない」というお立場で、「いちいち間違いの揚げ足取りをするのはいかがなものかと思う」と苦言を呈しています。
これは、twitterなどでも積極的に発言されている日本語学者の飯間浩明先生も同様のお立場だったかと思います。
上一段活用の動詞の可能形から「ら」が抜け落ちるのが、今よく話題になる「ら抜き」言葉ですが、実は五段活用の動詞にも、かつて(江戸時代頃)「ら抜き」と同様の活用変化があったというご指摘がおもしろかったです。

永井さんは、「ら抜き」以上に過剰敬語の反乱が気になるとのこと。ら抜きは率直な言葉だとも言えるが、過剰敬語はこれとは逆な「欺瞞の言葉」に思えてならないと指摘しています。

お二方とも、言葉そのものより、言葉の本意や言葉が表す精神を大切にしたいというご意見でした。

私はわりと言葉に興味がある方だと自負してはいましたが、自分にとってなじみのない言葉づかいにあまり寛容でないところがあるなと常々反省していたところでした。

私が他人の言葉づかいに不寛容だったのは、私に言葉の知識があるからというわけでは決してなく、ただ「自分とは異なるなにか」に対する感覚的な嫌悪感だったのかもしれず、その嫌悪感を正当化するために、生半可な知識を利用していたのかもしれません。