日記

特にテーマのない日記にいちいちタイトルを考えるのが面倒になったので、 id:toya さんに倣って、もうそういう日は「日記」で行くことにしましたよ。

朝起きてTwitterを見たら、タイムラインに五条悟の女が爆増していた。
昨夜のアニメ『‪呪術廻戦‬』は、五条先生が美女領域を展開してしまう回だったか、と気づいて録画を見たら、予想を上回る美女に中村悠一さんの声がついて動いていて最強だった。原作はもっと美少女寄りだったと思うけど、こちらはこちらで大変よいです。

最初から一貫してアクションの描写がかっこいいアニメだけど、五条と漏瑚の肉弾戦の爽快さといったらない。
また、漏瑚が三方向にマグマを噴き出してブチ切れるシーンの音楽が、予想もしなかったテイストでとてもよかった。コミカルさを絶妙に押し殺しつつ不気味な強さを表現しているような。このアニメは劇伴もとにかくいいのだ。サントラが出たらぜひ買いたい。

天気も良かったので、今日はひたすら洗濯、洗濯、洗濯。
その合間にFGOのイベント走ったり、読書したり。
FGOは、待ちに待ったネモ船長をお迎えできたのでとても幸せ。花守ゆみりさん天才かな。

The Tyranny of Meritをちまちまと読み進めている。
エリートは謙虚になるべきだとサンデルが言っている、という主張の根拠として引用されがちな本書だけど、そんなに単純な話ではないような印象。
「Humility」という言葉の解釈が、特に日本語にする際には、鍵になってくるんだと思う。
これは謙虚さ・謙遜という意味もあるけど、屈辱感という意味も持つ言葉で、humiliationとなると、もはや屈辱感を与えるという意味が主になる。
トランプ大統領は、屈辱感をどう利用するかというpolitics of humiliationに意図的であるといった話ももちろんされている。
この本を、エリートよ思い上がるなという主張に単純化してしまうと、いろんなことを見落としてしまいそう。

能力主義というか因果応報思想というか、そういったものの起源と変遷を、神学(キリスト教)や儒学を参照しながら考察していくところもおもしろい。これももちろん、プロテスタントは能力主義で、カトリックはそうではない、といった単純な話にはなっていない。

要は、現代において問題なのは、誰もが市場至上主義的な価値観にとらわれて、common goodについても市場の文脈でしか考えないようになってしまっていることであり、そうである限り、能力主義を利用し、その陥穽にとらわれがちなのは思想の左右を問わないということなんだと思う。

にしても日本では、能力主義偏重のエリート政治は、保守政党であるところの自民党とそれを支える官僚たちによって推進されてきたように思うのだけど、能力主義への反抗がなぜ「左派」や「野党」とその支持者に向かいがちなのだろう。
そんなことも考えつつ、引き続き読んでいきたい。

今日のCOVID-19

今日も国内の一日あたり感染確認数が最高を更新。
中高年の割合や、重症者数も増加しているようで、いわゆる「第二波」とはまただいぶ様相が違う模様。
あいかわらず政府は、感染予防対策をしっかりすれば感染しない、といったトートロジー的な発信で責任を逃れているようなので、市民としては最大限に自衛するしかない。
と多くの人も考えていると思うが、こんな状況で経済が回復するだろうとは信じられないので、やはりどこかできっちりハンマー(ハンマー&ダンスのハンマー)すべきなのではないだろうか。
返す返すも、五月の時点でもう少し踏ん張って、国内のウイルスを抑え込まなかったことが悔やまれる。