ちょっとした夢

 昔の小説を読んでいると見かける転地保養とか長逗留。あれをやってみたいという夢がある。

 たとえば太宰治。

八月には、僕は房総のほうの海岸で凡そ二月をすごした。九月のおわりまでいたのである。
太宰治『彼は昔の彼ならず


 たとえば江戸川乱歩。

当時私は避寒旁々少し仕事を持って、熱海温泉のある旅館に逗留していました。毎日幾度となく湯につかったり、散歩したり、寝転んだり、そしてその暇々に筆を執ったりして至極暢気に日を送っていたのです
江戸川乱歩『黒手組


 ちょっとマジですかそれ、そんなこと可能なんですかみたいなやつを書いているのが葛西善三。

夏前から文官試驗の勉強に來てゐて、受驗後も成績發表まで保養がてら暢氣に滯在してゐる二人の若い法學士――F君は二十五、N君は二十四――二人とも學校を出てすぐ大藏省に入つたのだが、試驗準備中は何ヶ月役所を休んでゐても月給が貰へるのだと云ふ、羨ましいやうな身の上の青年たちだつた。彼等は白根山、太郎山などと、毎日のやうに冐險的な山登りをやつてゐた。
葛西善三『血を吐く


 これ。こういうのをやりたい。

 それにしても、試験準備中は何ヶ月遊んでいてもお給料がいただけたという法学士殿は別格として、いったいどれくらいのお金があれば、昔の人は転地保養が可能だったんだろうか。

 太宰治の『東京八景』(昭和十六年)を読むと、「百円以上の余裕」があるときに、一泊「三円五十銭」(昼食別)の伊豆の温泉宿に「十日ばかり、ここで勉強したいと思って来た」と言っている。
 昼食代を多めに五十銭とみて、だいたい一日四円。十日で四十円の見当か。
 もっとも太宰は、女中さんに前払いを要求されて「五十円でどうか」と提案したものの、女中さんの態度が気に食わなかったのか、勝手にヤケを起こして九十円渡している。こういう人の金銭感覚はいまひとつあてにならない。

 それならば、と牧野信一『風流旅行』(昭和十一年)を見ると、一ヶ月あまりの腹づもりで旅に出て、「一日一円といふ宿料で、町には五里も離れてゐたし酒は十銭くらゐであつたから別段電報を打たないでも*1辛棒された」と言っている。ひと月あたり三十~四十円の予定だったもよう。
 ところが予定以上にお酒を飲んでしまったようで、二週間もたたずに国元へ送金催促の電報を打っている。
 そして、母親からの手紙で「私はそんな山の中で、一日三円もかかるといふやうな湯へ入り度いなどといふ好興は持てませぬ。いつそ熱海か箱根に行つた方が増であります」などと叱られている。
 結局、ひと月あたりでは九十円になる。というか、一日あたり二円ぶんもお飲みになったんですか*2

 太宰先生もアレだけど、牧野先生もだいぶなかなかであった。
 無頼寄りの作家先生であれば、酒・食事つき一日あたり三円~四円くらいが長逗留のための宿泊費用の相場で、でもそれは庶民から見れば贅沢、といったところだろうか。

 昭和十五年の勤労者世帯収入の平均が百二十五円(月あたり)とのことだから*3、だいたい一般家庭の収入ひと月分の余裕資金があれば、数週間の転地保養をしてみようかな、という気になれたのかもしれない。
 なるほど、わりと今でも理解はできる感じではある。

 食事・宿泊込みで一日あたり一万円くらいで、ひと月の転地保養。
 やってみたいなあ。空からお金が降ってこないかしら。

*1:国元への送金催促の意

*2:実際、この作品の発表直後に亡くなってしまうのだが

*3:明治〜平成 値段史