河上肇『自叙伝』と下村湖人『次郎物語』

職場の近くに大きな書店があるので、ついつい書籍代がかさんでしまう。
今日は買わないぞと購買欲を封印して、本の匂いだけでも嗅ぎに行こうと書店に立ち寄ったのが運の尽き。岩波書店さんの在庫僅少フェアが開催されていて、購買欲の封印はいとも簡単に破られてしまったのだった。

でもまあ、読みたい本がないかもしれないし、と背表紙を眺めていて見つけてしまったのが、河上肇『自叙伝』全5巻。

河上肇については、著名なマルクス主義者であり、治安維持法下で弾圧を受けて収監され、転向を遂げた思想家である程度のことしか知らなかったが、いつかちゃんと知りたいとは思っていた。
この出会いを逃すまじと購入して読み始めてみたら、小説のようなおもしろさ。
まだ1巻しか読んでいないが、失礼を承知で申し上げると「なんて血の気の多い、稚気愛すべきおじいちゃん」という印象である。

幼年時代の序文に曰く、

多くの偉い人が、ルーソウもクロポトキンも、トルストイもゴルキーも、片山潜氏も島崎藤村も、みな幼年時代の思い出を書き残しているが、私もその真似がして見たいのである。

かわいらしいとは思いませんか。

青年・壮年時代の思い出では、自分に対する無理解な批判を思い出して激おこ。

杉山平助みたいな男が何と言おうと気にしなくてもよさそうなものだが、しかしあんな男にこんな事を言われ、それが活字になって残っていると、癪に障る。

いやにひねくれた物の言い方をして、「事実」により私の前半生を素破抜いたような見えを切っているが、その事実というのが絶対に嘘なのだから、少々困まる。

私もクソリプなどに悩まされたら、こんなふうに闊達自在に反論できるようになりたい。

もっとも河上は、櫛田民蔵らのように当を得た批判はまっすぐ受け止め、気持ちよく反省をしている。
そして、いったん反省したとなれば、いささか潔すぎるのではと思えるほどに潔く、それまでの自分の思想をかなぐり捨ててしまうのだ。
思想信条の変遷の過程が、きわめて正直に書かれているのがおもしろい。
共産主義からの転向を遂げた獄中記も早く読んでみたいと思う。

と、ここまで『自叙伝』を読んで思い出したのが、下村湖人の『次郎物語』である。


下村湖人の自伝的要素が濃いと言われる『次郎物語』だが、河上肇の『自叙伝』とも不思議な共通点がある。
次郎も河上少年も、特に幼年時代は癇が強く、ときにわがままとも見えるほど情が強く、しかし情に厚い子供だった。
次郎は乳母のお浜に溺愛され、河上少年は祖母に溺愛されて育った。
次郎は成長して、恩師・朝倉先生が起こした青年塾「友愛塾」で働くようになり、河上は、哲学思想家・伊藤証信が設立した修養施設「無我苑」に入った。

下村湖人(1884年~1955年)と河上肇(1879年~1946年)は、ほぼ同時代を生きたと言ってもいいだろう。
重苦しい時勢に対して何かしら反発の念を抱き、悩みもがいていた青年たちは、どこか重なり合う思想的変遷を経るものなのだろうか。

次郎物語は未完の小説とされている。
最後の第五部で、次郎たちの「友愛塾」は当局に睨まれて閉鎖を余儀なくされ、次郎たちは思想運動の全国行脚に旅立つ。少なくとも公開されている範囲では、次郎は最後まで「友愛塾」の精神を愛していたように見える。
一方、河上は、伊藤証信の無我愛の思想を全否定して「無我苑」を出た。

このあたりが次郎と河上の道の分岐点だろうか。
それとも、次郎の道が、やがて河上の道と重なる未来があっただろうか。
などと、昭和初期の青年たちの生き方に思いをはせるのも楽しい。