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ちょっと前のだるまちゃんが読む、『未来のだるまちゃんへ』(かこさとし)

 1ヶ月くらい前に、書店で何気なく手に取った本がありました。

 

未来のだるまちゃんへ (文春文庫)

未来のだるまちゃんへ (文春文庫)

 

 

 ああ、かこさとしさんだ。懐かしいなあ。とパラパラめくってみました。

 子供ももう小学校6年生になって、大好きだっただるまちゃんの本も、科学絵本も、私が読み聞かせてやることはなくなりました(本棚には今も並んでいます)。

 正直に言えば、かこさんの本を手に取るのは久しぶりでした。

 

 書店でざっと見た限り、『未来のだるまちゃんへ』は、やさしい言葉で語り下ろされた、かこさんの自伝のようでした。ほほう。おもしろそう。

 

 買って帰って読み始めると、これがおもしろいのなんのって。

 あっという間に夕食の支度の時間になり、しぶしぶ腰を上げて、夕食を作りながらも夢中で読みました。

 

 『だるまちゃんとてんぐちゃん』には、だるまちゃんのことが大好きな、お父さんのだるまどんが出てきます。

 だるまどんは、大好きなだるまちゃんにいろんなものをあげるのですが、どれもだるまちゃんが本当にほしいものとはちょっと違ってしまう。切なくもユーモラスなキャラクターです。

 

 実はこのだるまどんのモデルは、かこさんのお父さんでした。

 

 大人はわかってくれない。

 まさにその通り。

 子どもの胸の内はせつなくて、悲しいものです。でも子どもっていうのは、親という一番身近な大人でさえ自分のことを適切に理解してくれないものだと知って、その葛藤の中で、いろんなことを受け止め、学びながら成長していくものだと思います。

 

 かこさんの少年時代は、子供のころの自分を思い出せば共感しきり、そして、親になった自分と自分の子供との関係を思えば、ちょっと胸が痛む。そんなエピソードがいくつもありました。

 

 絵を描くことが大好きだったかこ少年が成長して、やがて戦後、ふたたび絵筆を取るようになるまでのできごとは、ぜひとも本書を読んでいただくこととして、痛快なのは、かこ青年が子供たちと、文字どおり体当たりで格闘したセツルメント活動時代です。

 

 かこ青年が痛快に活躍するというのではありません。

 いえ、それも少しはあるのですが、何より痛快なのは、セツルメントの子供たちでした。

 

 子供たちときたら、かこ青年に替え歌を教えてくれれば、音程などおかまいなしで「どっちでもいいんだよ」。

 かこ青年が徹夜で描き上げた紙芝居を読んでやれば、遠慮なく見捨てて、ヤンマやザリガニを獲りに行ってしまう。そうして、ケロッとして戻ってくる。

 自分たちでガリ版刷りのこども新聞を発行し始めれば、書き出した詩が紙面に収まらずに「次号に続く」……!

 

 もう60年近くも前の子供たちの様子が、これほど生き生きと伝わってくるのは、子供たちを見つめるかこさんの並々ならぬ観察眼と愛情があってこそだと、すぐにわかります。

 

 机の上だけでこしらえた話が響かないのは当たり前のことで、それよりも「これは君たちの話なんだよ」「僕は、それについてはこう考えているのだ」と語りかけるべきなのです。

(中略)

 子供たちも「これから自分はどうやって生きていったらいいのだろう」と思い、どうにかしてその手がかりを知りたいと思っている。

 お前は、それを知っているのか。少しぐらいは伝えてくれと。

 

  この、生きる手がかり、世界を知るための手がかりを子供たちに示したい、というかこさんの思いが、もっとも端的に表れているのが『かわ』『海』『地球』などの科学絵本ではないでしょうか。

 

 <科学>というのは<分ける>という意味だそうですが、ただ分けるだけでは、生きる上で何の役にも立たないでしょう。いくらイトトンボに詳しくても、それだけではただのバラバラの知識に過ぎないし、ただの物知りということになってしまう。

 その子が、もしイトトンボが好きなら、イトトンボはその子にとって世界の成り立ちを知るための大切な鍵になるはずです。その子は、今まさにイトトンボを通して、自分が生きている世界の地図を描こうとしているのです。

 

 科学絵本だけではありません。

 「『ちっとも家に帰ってこない』と子どもたちが嘆いていた、港湾地帯の工場で三交代で働いているお父ちゃんたちの姿」をも描いた『だむのおじさんたち』もそうです。

 

 今、目の前に見えているものから、それにつながっているけれど、まだ自分の目には見えていないものへと想像を広げるための手がかりとなるものが、かこさんの絵本には詰め込まれていました。

 

 そうか、私が、そして私の子供が、かこさんの絵本から渡されていたのは、この世界を知って、生きていくための、最初の地図だったのだ。

 その地図は、成長につれて広がるかもしれないし、書き換えられていくかもしれないけれど、まず最初に足を踏み出すときに、手に握りしめることができるもの。それを私や私の子供は、かこさんから受け取っていたのだ。

 

 それが今ようやくわかりましたよ、と、かこさんにお手紙を書こうと考えていた昨日、5月7日に、かこさんの訃報を聞きました。

 ぐずぐずしていた自分が悔やまれてなりません。

 せめて天国で、これを読んでいただければと思って書いています。

 

 「だるまちゃんには、僕がそれまで出会ってきた子どもたちの面影が宿っているのです」とかこさんはおっしゃいました。

 もうすっかり大きくなってしまった「かつてのだるまちゃん」であるところの私は、今、自分が手に持っている地図で、いったい何ができるのかをもういちど考えるときが来ているのかもしれません。