日曜日に衆院選の投開票が行われて、おおむね予想どおりの結果ではあったものの、新しい選択肢として登場した立憲民主党が大躍進したことは嬉しかった。
民進党や希望の党の混乱ぶりが見苦しいが、立憲民主党には舵取りを誤ることなく、野党第一党として、マイノリティの声をしっかり国会に届けてほしいと思う。
衆院選の結果を受けて、経団連の榊原会長が「痛み伴う改革を」と発言したというニュースが話題になった。
記事を読むと、「国民の痛みを伴う思い切った改革」とあって、目を疑った。
あまりのことに経団連のオフィシャルサイトを確認したが、
「安定した政権基盤が得られたことで、安倍政権には、国民の痛みを伴う改革にも取り組んでもらいたい」
と明確に書いてある。
経団連:記者会見における榊原会長発言要旨 (2017-10-23)
失われた20年を経験して、小泉政権以来の「痛みを伴う改革」を経てなお、国民はずっと痛み続けてきているままだと思う。
それでもまだ、国民は痛み足りないというのだろうか。
この上、どんな痛みを背負えばいいのだろうか。
経済政策についてさまざまな意見があるとしても、景気回復のために、国民に広がる閉塞感を払拭していくべきだという方向性については、さほど異論はないところだろう。
しかし、「痛みを伴う改革」という言葉は、その方向性に向けた努力を台無しにするものとしか思えない。
疲労しきっている状態で、さらに「痛み」の追い打ちをかけるぞと言われて、冷え切ったマインドが熱くなるだろうか。
既に聞き飽きた「痛みを伴う改革」という言葉から、何か新しい展望が開けるだろうと期待することができるだろうか。
仮に消費税率の引き上げや社会保障制度の改革が正しい方針なのだとしても、この言葉の選択は最悪なものだったと思う。
閉塞感を打破しようとする努力を台無しにするといえば、希望の党の小池百合子代表によるこの発言である。
小池代表が、ケネディ前駐日米大使に
「都知事に当選して(女性の活躍を阻む)ガラスの天井を一つ破った。都議選でもパーフェクトな戦いをしてガラスの天井を破ったかなと思ったけど、今回の総選挙で鉄の天井があるということを改めて知った」
と語ったというのである。
冗談ではない。
希望の党の主な敗因は、都知事としての小池氏の失政と、その後の党代表としての言動の過ちによって、信用が失墜したことである。
自分の落ち度による信用の失墜を、女性にのみ存在する障害に阻まれたかのように表現するのは、自らの性を利用した甘え以外の何ものでもない。
理不尽な性差別と戦うために、正当な評価を勝ち取ろうと日々奮闘している女性たちの努力を毀損するものであって、極めて不適切な発言だと思うが、どうか。
国立西洋美術館で開催されている「北斎とジャポニスム」展に行ってきた。
作品を通じた芸術家たちの対話をじっくり見ることができて、とても楽しかった。
自分でも絵を描きたくなって、ちょっと描いてみたりもしてしまった。
優れた表現に触発されて生まれた、別の優れた表現を見ていると、自分でも何かを表現したくなるのだと思う。
西洋美術館の版画素描展示室では、ロダンの素描集、『アルバム・フナイユ』も紹介されている。
これもまた、自分で絵を描きたくなってしまう企画で楽しい。