現代の知識階級の悲哀は彼等が次第に自分の本質を失って無識になるつつあるということである。なるほど彼等は物を読む、けれどもそれは彼等の生の不安に原因を有するところの好奇心に刺戟されてのことであり、そういう風にして唯新しいものを漁っていたのでは好いものと悪いものとの区別も出来なくなり、知識は結局無識に等しい。否、彼等は新しいものと古いものとの区別さえ出来なくなりつつあるのである。
三木清 「講義録狂」(1932年8月)
今年は哲学者・三木清の生誕120年目。
ということで、年明け早々、講談社文芸文庫から『三木清 教養論集』が出ていました。
1932年から1941年までの10年間に、新聞や雑誌などに寄稿された比較的短いエッセイの数々が、読書論・教養論・知性論の三部に大きく分けて収録されています。
情熱的で明晰でチャーミングな文章。
どこまでも一気に読むこともできるし、ちょっとした隙間の時間に振り返り読むこともできる、素敵な本です。
これらのエッセイが書かれた時代と、その直後、敗戰翌月に獄死という形で三木が死を遂げた事実を考えると、ぞくっとするような記述も数多くあります。
ですが、何より私が衝撃を受けたのは、今、言論のプラットフォームとしてインターネットが支配的なスペースを占めるに至った時代において、まったく普遍性を失わない論考が、これほど豊かに生み出されていたということについてです。
この『三木清 教養論集』の中から、私が今にも通じると思ったエッセイのいくつかをメモしておきます。
インターネット時代に「物を読む」こと
最初に引用した「講義録狂」は、この『教養論集』の冒頭に収録されているエッセイですが、まさしく今の時代のことを言っているのではないかとすら思える内容です。
なるほど、確かに現代、本や新聞を読む人は少なくなったかもしれません。ですが、ウェブにあふれるさまざまなテキストを読む時間は、私たちの1日の中でも、かなり大きなウェイトを占めています。*1
本や新聞をよく読む人であっても、日々、さまざまなメディアから流れ込んでくる情報に影響されないはずもありません。そしてその結果、「生の不安に原因を有するところの好奇心に刺戟され」「唯新しいものを漁って」いるだけ、という状況に陥っていないと胸を張って言える人がどれだけいるでしょうか。
SNSなどでバズり(急速に話題になり)、拡散され、もてはやされる言説が、どこかで聞いたことのあるようなものの繰り返しであった、なんてことも実にしばしば目にします。
私たちは、80年以上前に三木が言っていた「新しいものと古いものとの区別さえ出来なくなりつつある」状態を抜け出せてはいない(または再びその状態に陥っている)のではないでしょうか。
三木はこのエッセイで、当時の日本の学会や思想界の不幸は、ひとがあまりに誤謬を(というより世間から誤謬といわれることを)恐れているがために、かえって混乱をかもしていることである、とも指摘し、いくつかの思考の道筋を提案しています。詳しくは本書をお読みください。
三木の提案をもういちどじっくり考え直してみると、思考と議論の堂々めぐりから抜け出す道が見つかるかもしれません。
専門家ブームの功罪
さて、三木は、「流行と権威」(1940年7月)の中で、当時の読者が本を自分で識別し選択するということが少なくなって、何か流行となっているもの、何か権威といわれているものに無造作に頼るということが多くなったと指摘しています。そして、このような読者の鑑識力の低下は流行が力を得る原因であり、また、流行は権威らしいものを作り出す原因になると述べています。
読者が流行に頼って本を選択するというのは世の常だと思いますが、封建思想の現れとしての権威と流行との結びつきは、今、特に強まりつつあるように思えてなりません。
たとえば、根拠のない健康情報を集めたキュレーションサイト・WELQが問題になったのは記憶に新しいですが、そのとき盛んに「専門家の監修」の必要性が叫ばれていました。
しかし、医師や大学教員といった専門家の肩書きをもつ人であっても、いいかげんな健康情報にお墨付きを与えるような人はたくさんいます。
テレビや新聞、雑誌、そしてインターネット上で、「○○という食べ物は健康によい」「がんは治療せず放置すべきだ」といった根拠のない(しばしば危険な)主張に、専門家の肩書きでお墨付きが与えられ、特定の食品や健康法のブームが生まれる、といったケースはよく目にします。
主に肩書きだけをみて「専門家」という権威に安易に頼るのは危険であるにもかかわらず、「とにかく専門家の監修さえあればよい」という風潮になってはいないでしょうか。
また、東日本大震災時に起きた福島原発事故のときは、特に放射性物質の健康リスクの見積もりについて、専門家(と一般に受け取られるであろう学者たち)の間でも意見がわかれ、大きな混乱が生じました。
人々がそれぞれ、自分の信じたいことに沿った主張をする専門家を「権威」とみなし、その「権威」どうしが衝突する、ということすら起きました(今でもまだ起きているといえるのかもしれません)。
私たちは、ひとりですべてのことがらについての知識や経験をもつわけにはいきません。ですから、何かについて判断する際に、何らかの「専門家」の判断を参考にすることはどうしても必要になってきます。
自分が信頼するに足る「専門家」たちをどのようにして見極め、そしてその「専門家」たちの意見をどのように参考にして自分の行動を決定していくのか。
三木は今のこのような問題に通じる「流行と権威」の問題を指摘していますが、その問題に対する答えを出してはいません。
しかし、さまざまな混迷を経験してきた私たちであれば、考え、議論し続けていくことで、未来に向けていくつかの道筋を示していくことができるのではないでしょうか。
少なくとも、そのための努力を続けている背中を、子どもたちには見せていきたいと思います。
そのほかいろいろ
ほかにも、現代に通じると思われる三木の論考には事欠きません。
たとえば、「教養論」や「知識階級と伝統」(いずれも1937年4月)には、最近の日本の右傾化を思い起こさせる議論を見ることができます。
ここで三木は、「現代の客観的状況から見れば、民族と伝統を力説しているものは周知の如くファッシズムである」と断じています。
一方で、当時のファッシズムとの闘いを含む抑圧的な空気に疲れた人々(インテリゲンチャをも含む)が、現実から退いて自分自身に還って来るときにも、自然と自分の故郷や休息所として、民族的なものや伝統的なものを見出すことがあるとも指摘しています。
つまり三木は、「民族的なものや伝統的なもの」への関心はファッシズムから与えられるだけではなく、ファッシズムと闘い疲れて政治的関心を後退させたインテリゲンチャの中からも生まれ得ると言っているのです。
今風に(かつ乱暴に)まとめてしまえば、サヨク的な人々からも、ウヨク的な気分は生まれ得る、ということになるでしょうか。
三木は「この『還る』という気持は日本的伝統的なものである」と述べた上で、伝統的なものへ還って行くということに対して理論的支持を与えているのは、「自国の伝統についての教養は我々の忘れていたものであり、少くともこれを補うことは必要である」という「近頃の『教養』の思想である」と指摘しています。
この指摘はまさしく、現代の「日本を、取り戻す」「教育勅語の精神を取り戻す」を思い起こさせるものです。
現代の日本では、右翼と左翼の区別はもちろん、リベラルと保守の区別すら曖昧です。
リベラルだと自認している人が極めて反動的な言動を見せることすらよくあります。
三木の主張をみるかぎり、現代のこのような混乱はなにも最近新しく始まったものではなく、今から80年以上も前に、既に似たようなことはあったのだと考えざるを得ません。
現代においては、「民族的なものや伝統的なもの」への関心だけでなく、思想の異なる人たちの間に共通して生まれ得る関心や気分はもっといろいろあることでしょう。*2
関心や気分が一部共通していることによって却って、それ以外の思想や関心の差異が際立ち、相手への憎しみがいや増すということすらありそうです。
今、「あいつは○○だからウヨク(サヨク)」のようなレッテル貼りはしばしば見られます。これは、嫌いな相手をむりやり何かのクラスタに分類して自分と切断することによって、その相手と自分が共通したものをもっているという事実から目をそらすための、一種の悲鳴のようなものなのかもしれません。
しかし、そのような安易な切断は後退しか生まないだろうと私は考えます。
そのような安易な切断をすることなく考え、対話していくために必要な教養とは何か。
もう一度、この本を読んで考えてみたいと思います。(そして久しぶりに『人生論ノート』も)
*1:「人々が文字を読む時間は80年代に比べてほぼ3倍になっている」という話もあるくらいです。(〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則)
*2:同じアニメが好きだとか、同じ社会現象に対して憤っているとか。