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インフルエンザの季節にちゃんと休めるようになるには

インフルエンザが猛威を振るっています。

インフルエンザ患者数 過去最多の前週上回る 流行ピークか | NHKニュース

 

今年はインフルエンザワクチンの製造が遅れたこと、ウイルスの型の適合性があまりよくないことなども相まって、大変なことになっていますね。

うちの子も先日、おそらくはインフルエンザだろうという症状が出たので、学校を一週間休ませました。

 

あまりに流行が激しいので、

ワクチン行政の不備を指摘する意見、

予防接種についての国民の意識の遅れを指摘する意見、

確定診断を求めに医療機関に殺到する患者・確定診断を過度に要求する雇用者や教育機関を批判する意見、

そしてそれらに異議を唱える声が沸き起こって、インターネットは大騒ぎになっています。

 

インフルエンザで「早めの受診」は間違いです! (新潮社 フォーサイト) - Yahoo!ニュース

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インフルエンザの特効薬(その薬を投与すれば、1日、2日でウイルスが完全にいなくなって、症状もなくなり、周囲への感染の危険性もなくなるというもの)がないのが現状。

インフルエンザが流行している時期に、常にない高熱が出るなどの症状が現れたら、インフルエンザを疑って、一週間程度は家でひたすら安静にしている、というのが、公衆衛生の全体最適を考えるならば、最良の解なのでしょう。

 

ただ、実際のところ、その「一週間程度」を黙って家で寝て過ごす、ということが難しい状況も数多くあります。

 

 -小さい子供が常日頃ない高熱を出している。

 -大きな子供で、さほど症状は重くないものの、通常の欠席にしてしまうと内申に響くから、インフルエンザの診断をもらって出席停止にしてほしい。

 -ものすごくインフルエンザっぽい感じはするけど、大事をとって仕事を休むなんてことは職場にはとても言い出せない。

などなど。

 

そんな現状で、医療機関や社会への影響を考えろ、と個人に判断を求め、医療機関の利用について自制を強いるのは無理があります。

 

私が信頼している医師のid:NATROMさんが、インフルエンザが疑われる場合の受診のめやすについて、さっそく記事を書いてくださっていました。

インフルエンザで「早めの受診」が必要なのはどんな人? - NATROMの日記

 

自分ではなかなか判断ができないところ、めやすを示していただけて、大変救われた思いです。

そして、ここでNATROMさんがおっしゃっている「将来的には検査や医療機関の受診なく休めるようになるのが望ましい」ということについて、全面的に賛成です。

 

どうしたらそうなれるのでしょうか。

 

私は、インフルエンザワクチンを皆が安価に、容易に受けられるようになったらいいと思っている者です。

ですが、仮に接種率が上がったとしましょう。

それにもかかわらずインフルエンザに罹ってしまった場合(ワクチンは、今のところ、インフルエンザを完全に予防するものではありません)、「インフルエンザの流行時期だから、インフルエンザを疑って一週間休みます」という理屈は、雇用主や教育機関にとって、より受け入れられにくいものになりはしないでしょうか。

 

できるかぎり多くの人たちが予防接種の恩恵を受けることができるようになること、そして集団免疫の重要性は言うまでもありません。

 

しかし、それとは別に、あるいはその上でもなお、「何を理由に、不利益なく、仕事や学校を休むことができるか」という問題は残ります。

 

今のところ、私が思いつく解は「休むことの理由を求めすぎないこと」しかありません。

 

たとえば、通常の有給休暇とは別に、体調(肉体的なもの、精神的なものを問わず)不良による休暇を、年間10日ほど認め、医師の診断書を必要としないこととしてはどうでしょうか。

もう少し前向きに、「体調管理休暇」のような名目にしてもいいかもしれません。

言い出しづらい理由(女性の月経に伴う不調であるとか、誰にでも訪れる精神的なしんどさであるとか)でも、気軽に休みやすい環境を作って、皆がこまめに休めるようにできないでしょうか。

 

そうすれば、最大限、予防に努めたあげくに運悪く罹患してしまった疾患であっても、その「体調管理休暇」の中に紛れ込ませれば、無理なく休養を取ることができるような気がします。

 

感染症を含めた肉体的なものにせよ、ストレスを含めた精神的なものにせよ、「このように対策すれば、完璧に予防できるはずだ」といえる疾患はないと思うのです。

予防に向けた努力を最大限に行うことは当然ですが、最大限に努力してもなお、すべてを完全に予防できるものではないこともまた、当然です。

 

だからこそ、運悪く予防できなかった災厄を受けてしまった人たちが、後ろめたさや負い目を感じることなく、回復に努めることができるような環境を作っていくべきなのではないかと思っています。