光市の母子殺害事件で、犯人である元少年の死刑が確定した。聞くことすらつらかったこの事件に対する思いはたくさんあるが、それらをすべて正確に言い表せる自信がない。したがって、量刑の判断についての意見も含め、事件と裁判の過程についてのわたし自身の意見の表明は一切保留する。
ただ、今回の最高裁判決(PDFファイル)において宮川光治裁判官が示した反対意見の中に、事件の性質や具体的事実関係を捨象しても(あるいは「捨象すると」)、きわめて示唆に富むと感じた一節があった。
しかし,人は関係の中でしか成長しないのであって,人間的成熟が12歳かそれを幾ばくか超えたところで停滞しているのであれば,その状態で教育的処遇を受けることなく,拘置の歳月を8年,9年と過ごしたとして,反省・悔悟する力は生まれない。不合理で破綻しているとしかみることができない弁解に固執していることは事実であるが,これを原判決のように「反社会性が増進した」と厳しく批判するのは酷であろう。
子供を育てる親として銘記しておきたい言葉であると思ったので、ここに書き留めておく。