学生課まで、奨学金の借用証書を提出しにいった帰りに、三四郎池に寄った。
冬の午後の池には人気がなく、天気も良かったので、ベンチに腰を下ろして一息つく。
見渡すと、木々の葉はだいぶ落ち、いかにも冬枯れ、といった風情だ。
枝に残った桐の実と椿の花だけが、鮮やかな彩りを見せている。
夏にくらべて澄んでいる池の水が、冷たそうだ。
カラスはどこかへ遠征に出かけたのか、とても静かである。
グリーンの『情事の終り』をちょっと開いた。
私に関して言えば、始まりもなければ終わりもない、というわけで、いたって平穏無事である。
最近、また映画化されたが、あの日本名はいただけない。『ことの終わり』というのだ。
ほんとうは、愛と信仰の話なのに、なんだかポルノ映画みたいではないか。
「こと」をカタカナにしなかっただけ、まだマシだけど。
などととりとめもないことを考えながら、またあたりを見回す。
エノキという木は、どっしりしていて頼りがいがありそうで、私の好みの木である。
葉が繊細なところがまたいい。その葉もすっかり黄色くなって、だいぶ散っている。
漱石大先輩の『三四郎』、美禰子の「あれは椎」はどれだろう。
入学以来の謎は、まだ解けない。
真っ赤な桐の実が、午後の光を浴びて美しい。
桐の木の名前を確かめたくなって、立ち上がった。
歩きながら見ると、石畳のひとつに、誰のしわざか「石」という漢字が彫られてある。・・・たしかに石には違いない。
この深さまで彫るには、さぞ時間がかかったことだろう。
寒椿が咲いている。
落花する椿の物理学を研究した、寺田寅彦大先輩と、その時代を思う。
ふと見上げて驚いた。
椿の葉に、蝉の抜け殻がしがみついているのだ。
夏に見つけたら、喜んで取っていただろうが、手を触れるのがためらわれた。
冬の冷たい空気の中で見るせいか、凍りついているようだった。
さて、お目当ての桐の木には「イイギリ」という札がついていた。イイギリ科、だそうである。
だからどう、ということはないものの、名前を知るのはうれしい。
好きな人の名前を呼び、名前を呼んでもらえるうれしさを思い出した。