今週は、実にニュースに事欠かない一週間でした。
アメリカ大統領選挙に、遺跡ねつ造に、重信房子逮捕に。
科学者のハシクレとして、やはり気になるのが、例のねつ造事件です。
ふしぎでしかたないのは、考古学という学界の、チェック機構の甘さ。
何人もの人で、検証に検証を重ねる、ということはないのか。
出てきた結果に疑問を持ったら、とことん議論するということはないのか。
だって、石器の年代なんて、成分分析をしたら、一発でわかるものではないの?
と、素人ながら、思ってしまいます。
科学の対象になるものは、「再現可能」なものである、とよく言われます。
遺跡の発見は、再現可能ではないのかな。だからむつかしいのかな。
ここからは踏みこむのがむつかしい領域になりますが、
ねつ造する学者の心について。
「こうあったらいいのに」と思われる、自分にとっての真理をねつ造してしまう。
いつのまにか、願望に引きずられてしまう自分がいる。
日常でも、よく起こりうる心理と思われるだけに、なにか人ごとではない、笑えない事件でした。