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子供が大きくなるということ

 この4月から、子供もついに年長さんになる。あと1年で小学生だ。

 時が経つのが早いかといえば、そのようで、またそうでもないようで。いずれにしても、大きくなったなあと思うことが多い今日この頃。

 子供が大きくなって嬉しいと思う気持ちの中には、色合いの違ったさまざまな「嬉しい」がある。

 子供自身の力でできることが増えていき、自立していく様子を見るのが嬉しい。

 自立とともに、自信を育てていっている様子を見るのが嬉しい。

 子供が伝えてくれる考えや思いが、どんどん豊かになっていくのが嬉しい。それは、言葉や身体表現などの「伝える道具」が豊かになってきているためでもあるだろう。

 親を説得するために、必死で屁理屈を考え出したりするのもおもしろい。子供の世界の広がりを横からのぞかせてもらって、わくわくするのが嬉しい。一緒にいろんな話ができるようになってきたことが嬉しい。

 生まれてもうすぐ6年という日々を、共に生きてこられたことが嬉しい。

 「○○する能力の獲得」というようなわかりやすい成長がなかったとしても、子供と一緒に過ごした日々が6年近くも積み重なってきたということが、それだけでわたしにとっての大きな宝物であると思う。

 誰かと共に暮らすということは、ときに派手な喜びや悲しみや怒りを生む。少し前までは、そういった派手なイベントこそが共に暮らすことの本質だと思っていた。しかしどうやら、共に暮らした日々から少しずつしたたり落ちてくる何かの積み重ねが、意外なほど大きな重さをもっているらしい。

 もっとも、こういったわたしの思いを子供にわかってほしいという気持ちはさらさらなくて、親ってそういうものなのか、それでいいんだ、と変なところで感心したりもしている。