毎日新聞・発信箱、元村さんの記事「男社会」より。


ある国立大教授から聞いた、あきれた話。


指導していた博士課程の女子学生が就職活動をした。数社受けたが全敗。大手メーカー幹部からこう言われたという。「君は2翻ついてるから」


「翻」というのはマージャンの「役」で、本来は数字が多いほどいい。だがここでは逆で、「あなたは女性でしかも博士だから採用できない」という意味だった。それが本音なら男女雇用機会均等法違反である。


彼女は結局、米企業に就職した。実力が認められ、1年目から年収8万5000ドル(約1000万円)。日本は優秀な女性研究者を1人失ったわけだ。女性であることがどう支障になるのか、幹部氏に聞きたい。

 

山梨大が04年、卒業生1400人の追跡調査をしたところ、工学部卒女性の平均勤続年数は工学部卒男性の半分、教育学部卒女性の6割だった。工学部の鳥養映子教授は「生き方の参考にできる同性が周囲に少なく、結婚や出産で二者択一の選択をしがちだ」という。


(中略)


右手で手招きしながら左手でシッシと追い払う。男性主導の社会に、そんなイメージを持ってしまう。


実力のある女性なら、博士でも、いまどき数社受けて全敗ってことはないんじゃないかと思います。そこまで、最近のメーカーは頭固くないはずだけどなあ。それに、そんな言い方する幹部がいるような会社は、どれだけ規模が大きくても、ロクなもんじゃないですよ。こっちからお断り。


その女子学生さんにちゃんと実力があったとしたら、単に日本企業が求める「受け答え」ができなかっただけかもしれません。

学歴が高い=プライドが高い、年を食っている=頭が固い、と思い込んでいるオジサマは多いから、いかに親切に、謙虚に、丁寧に、そして毅然と、その思い込みを矯正してあげるかが、女性博士の民間就職活動の極意だと思います。

お目当ての会社で働くためには、そのくらいの知恵と手間は惜しまないわ、という女性なら、上手に立ち回って日本企業に潜り込めば良い。また、そこまでするのはイヤ~!という誇り高き女性であれば、国内の外資なり、国外に出れば良いだけの話。


今回の「発信箱」の話題は、元気な女性博士が、しょうもない企業にひっかからずに、ちゃんと適切な居場所を見つけた、という話で、何も嘆く必要はない気がするです。


それからね。


工学部卒の女性が、結婚や出産で二者択一の選択をしがちだということですが、それは必ずしも身近なロールモデルが少ないから、というわけではないと思うのです。

本当の問題は、理系・文系や、アカデミア・民間企業に関わらず、働く母親に共通したものなんじゃないかなあ。(教員や公務員の方々はいろいろと状況が違うので、教育学部卒と比べるのはちょっと違うと思う)


アカデミアでも民間企業でも、共通していることは、他人との業績比較で自分の価値が決まるということです。そこで自分の価値を維持向上させるためには、子どものいない人や、いてもその面倒を見ない男性たちと同等に働かなくてはいけません。

それでも、子どもと向き合う時間は大切だから削りたくない。

上手に他人の手を借りながら、仕事量を増やしてがんばっている女性はたくさんいる。それがわかっていても、他人に子どもを任せることで、子どもとの時間が失われることに耐えられない女性だっている。

どちらが正しいという話じゃありません。でも、きっと後者の女性の方が多いのではないかな、と推察するわけです(一見、上手に仕事量を増やしているお母さんたちも、きっとつらい思いをしている方が多いはず)。


だから、「こんなに上手に頑張っている女性がいるのよ」というロールモデルをいくら見せられても、子どもとの時間を削ることに対する自分の気持ちの整理がつかない限り、屁のつっぱりにもならんのですよ。


今の男性たちが、「右手で手招きしながら左手でシッシと追い払う」ような人ばかりだとは思いません。むしろ、こちらが「いいのかしら?」と思うほどに歓迎してもらっていると思います。

問題は、相対評価に依存した成果主義、そして自分自身の心のあり方なのではないでしょうか。


働くお母さんたちが心穏やかに育児と仕事を両立していくためには、子どもが小さい頃だけでも、相対評価から解放される働き方を選択できるとよいのかな、と思っています。




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