NBonlineに、こんな記事が載っていた。
要は、家事育児の分担が妻に偏りすぎていると、妻に何かあったとき、夫は慌てふためくことになる。だから、普段からノウハウを共有しておけ、という主旨。一理ある。
ちょっと前までの私であれば、「そら見ろ、ほれ見ろ。だから、普段からちゃんと料理くらいはできるようになってないといーけないんだ、いけないんだ」と、鬼の首でも取ったかのように夫にイヤミを言ったであろう。
というか、実際、言おうと思いつつ、この記事を読み進めていたことを白状する。
ところがぎっちょん。
私が長期入院したり、この世からいなくなったりしたときのことを、あらためて想像してみると、意外にもそれほど不安にはならなかった。
まあ最初は大変だろうと思う。
うちの親やら夫の親などに頼りまくることだろうし、ファミレスも、市販の弁当も大活躍するだろう。
でもきっとそのうち、カレーをつくり、肉じゃがをつくり、シチューをつくり(←全部同じ材料でできる)、数少ないレパートリーのひとつであるところの、かぶと鶏肉だんごのスープをつくり、なんだかんだで、いろいろつくれるようにはなるだろう。
育児と仕事の両立だって、そのときが来れば、ああだこうだ悩みながら、娘と一緒に夫なりのやり方を見つけていくだろう。
だから、家事や育児のノウハウを完全に共有できていなくても、私は安心して死ねるよ。
夫が何とかしてくれると、信じているから。
家庭の有事に備えて、一番重要なことは、実務上の引き継ぎが全然できていなくても、この人ならなんとかしてくれる、と信じられる人がいることではないかと思う。
なんとかする方は大変だろうから、そのためにノウハウを放出することにはやぶさかではないものの、「何かあったらどうすんの!!」と脅してまで夫を「教育」する必要性は、今のところ感じない。
これまで、夫に家事育児をもっとやってほしい、とやきもきしていたのは、「私ばっかりで不公平」という思いもあったけれど(それが妥当な思いかどうかはともかく)、「安心して後を任せられるよう、信じさせてほしい」という思いも大きかった。
(「もしも私に何かあったら・・・」と考えたことのない母親はいないだろう)
夫は夫で、どうして自分を信じてくれないんだ、と思っていただろう。
娘が生まれて2年半。
その間に夫も変化してくれたし、夫を信じることの薄かった私も、ようやく夫を信じられるようになってきた。
今まで、丸ごと信じてあげられなくて、ごめんね。そしてありがとう。
以上、のろけでした。
注1:この週末に私が風邪と頭痛でぶっ倒れており、その上今日も飲みに行くため夫に頼りまくっているから、夫を持ち上げている、というわけでは決してない。かもしれない。
注2:もちろん、ほんとうになーんにもしない/できない夫さんの場合は、家事育児のやり方をある程度まで共有しておかないと、大変だと思う。