満州事変のころ

金子光晴「西ひがし」より:

人間のうえに築きあげた土台がくずれゆく気配について、けぶり一つ感じとっていないのは、
人々がおろかでも、特別に感性が鈍磨しているわけでもなく、
互いに頼りきってしか、一刻を安堵して生きられない人間の
じぶんたちがつくりあげた諸般のシステムに頼りすぎて、それが習慣となったからと言うよりほかはない。
そのようにはかない人間は、常に、じぶんたちのつくった依拠に任せきって、
小動物ほども自然に対処する知恵も本能ももちあわせてはいない。
人類の終るまで、彼らは、明日ふりかかっている災害を予知することができずに、
ポンペイの火の灰に埋もれるも、閨房で抱き合って死ぬよりしかたがない。

・・・


人間は、それを嘆き、それをかなしむが、その嘆きやかなしみを薬味にして、生活の魅力とし、
次第につのる悪食を断念しようとはしない。