順天堂大学医学部の入試について

東京医科大を皮切りに、さまざまな医大や医学部で不適切な入試が行われていた可能性が指摘されていた問題で、今回、順天堂大学が、女子や浪人生の受験生を不当に取り扱っていたことを認めた。
www3.nhk.or.jp

上記報道にもあるとおり、順大は、女子受験者の差別的取り扱いについて、「大学受験時点では女子のほうが精神的な成熟が早くコミュニケーション能力が高い傾向にあり、判定の公平性を確保するため男女間の差を補正したつもりだった」と “釈明” している。
カッコ付きで “釈明” と書いたのには、もちろん、そんなものが釈明になるはずがないだろう、という憤りを込めている。

私には、自分の子供を順大系列の病院で産んで、とても手厚いケアを受け、いいお産をさせていただいた、という経験がある。
その感謝の気持ちはこれからも持ち続けるつもりだが、だからこそ、今回の件が情けなく、口惜しかった。
抗議の気持ちを込めてこの記事を書く。

女子受験者の取り扱いは差別に該当するか

今回の件で、私がもっとも憤りをおぼえているのは、順大側が、差別的取り扱いの根拠として、学術論文や統計的資料を持ち出してきていたことである。
倫理的問題と正面から向き合うことを避けるために、科学的な見せかけを利用するという態度は、不誠実であり、科学者全体の信用をも落とす行為だ

大前提として、根拠があれば差別していいということには絶対にならない。

差別とは何か。
『新版 フェミニズム辞典』(明石書店)によれば、差別・差別待遇とは、「集団や個人を不当に区別して扱うこと。たとえば,必要性とか真価を基準にするのではなく,人種、性別,年齢などによって,ある人物に特権を与えたりすることをいう」とされている。

差別の議論に関していつも問題となるのは、「必要性があったのだから、その集団や個人を区別して扱うことは差別には当たらない」という主張をめぐる対立だ。
順大もまた、今回のような取り扱いをするに至ったのは、必要性があったからだと考えていたようだ。

たとえば上記の “釈明” に関連して*1第三者委員会緊急第一次報告書(以下、「一次報告書」と呼ぶ)によれば、同大の多数の教職員が、第三者委員会に対して、以下のように説明したという。

大学入試受験時点における男女を比較すると,女性の方が精神的な成熟が早く,男性より相対的にコミュニケーション能力が高い傾向があり,また,大学入学後において男性側の成熟が進み、男女間のコミュニケーション能力差が縮小され,解消される傾向があることから,このような男女間の発達傾向による成績分布差を是正するために,大学入試時点における女子受験者に対する面接評価の補正を行う必要があった
(一次報告書、p.49等)

大学側は、この説明の根拠としてPsychological Bulletin 1991, Vol.109, No.2, 252-266 "Sex Differences in the Course of Personality Development: A Meta-Analysis" という論文(以下、「Cohn論文」と呼ぶ)と、平成25年度から平成30年度にかけての面接試験における男女別面接点分布グラフ等の資料を提出したとのことだ。
そして、それらの資料に基づいて、大学側は、面接試験を含む二次試験の合格基準を、女性受験者は男性受験者より0.5点高いものとして取り扱うことによって、上記男女の成績分布差を補正することには正当性・合理性が認められる、と説明したという。*2

しかし、大学側の提出した資料に基づいたとしても、面接試験における女性受験者の平均点は、男性受験者の平均点に比して0.11点~0.27点(6年間の平均で0.20点)高く評価される傾向にあるのみである。
仮に、性別で区別した取り扱いの必要性を認めるとしても、女性受験者のみに一律で0.5点というハードルを課すのは、必要性の範囲を超えて、不当に高すぎるものと言わざるを得ない。
この点のみを考慮しても、今回のような取り扱いは、紛れもなく差別であるということができる。

Cohn論文の内容はどのようなものか

さらに、私は大学側が、差別入試の「医学的根拠」として提示したCohn論文*3を読んでみたが、この論文が差別を正当化する根拠になり得るとは到底思えなかった。
発達心理学は私の専門ではないが、簡単に内容を紹介したい。読み誤り等については、専門家諸氏のご指摘を歓迎する。

Cohn論文は、パーソナリティ発達における性差を考察することを目的としていて、基本的にはレヴィンジャー(Loevinger)の自我発達理論に基づいている。
レヴィンジャーの理論では、自我は、衝動的段階→自己保護的段階→同調的段階→自己意識的段階→良心的段階→個人的段階→自律的段階→統合的段階、のように、連続した段階を経て発達するとされている。*4

Cohn論文では、自我発達に関するワシントン大学文章完成テスト(Washington University Sentence Completion Test, WUSCT)のさまざまな結果をメタ解析している。
WUSCTの被験者は、刺激となる文章の前半を与えられ、それに続く文章を完成させることを要求される。
結果は一定のマニュアルに基づいて評価され、自我発達水準が測定される。*5

Cohn論文では、このWUSCTを使用した65の研究から113の独立した効果量を得た。
そのうち39がWUSCTスコアにおける女性の優位性を有意に示し、11がWUSCTスコアにおける女性の優位性の有意傾向(p<.10)を示したが、男性の優位性が有意に示されたのはわずか2であったとしている。

さらに、このWUSCTスコアにおける性差に最も大きく寄与する要因は年齢であろうという分析結果が示されている(Table 3)。

まず、均一な年齢集団(1学年刻み)を対象とした分析結果のみを紹介する。
5th - 6th grade(10歳~12歳)くらいまでは性差が見られないが、これは分析に用いたサンプルの数が少ないからだろうと考察されている。
中高生の間において、もっとも発達段階における性差が大きい(すなわち女性が優位である)。
大学1年生になると劇的に性差が縮まる(7th grade=12.1歳~13歳時の性差を下回る)が、これは主としてサンプリングバイアスのため(たとえば自我発達水準が低い男子生徒は大学で学ぼうとはしないため、大学のサンプルにはいない等)ではないかと考察されている。*6

次に不均一な年齢集団(4歳刻み)を対象とした分析結果を見てみる。
12歳~15歳の年齢集団のみ、WUSCTスコアにおける女性の優位性が大きく示されるが、それ以降は性差が劇的に縮まる。

Cohn論文に示されたデータを見る限り、WUSCTという試験で測定可能な自我発達水準については、年齢によって、ある程度の性差の傾向が集団的にありうるということは確かなことのように見える。

一方、自我発達水準の性差が縮まる(男子がいわゆる「後伸び」する)時期については、この論文を読む限りは確かなことは言えないように見える。

Cohn論文は、性別で区別した取り扱いの必要性の根拠となり得るか

ここまで見てくればわかるとおり、Cohn論文は、自我発達過程における性差に関するもので、コミュニケーション能力に直接的に関係するものではない。
この論文を根拠にして、医学部の面接においては女子学生が生得的にコミュニケーション能力に優れているのだから、一律に男子より不利な取り扱いをすべきだということはできない。

Cohn論文で、コミュニケーション能力と幾分関係すると言えそうな唯一の考察は、言語能力(verbal ability)に関する部分である。しかし、Cohnは、自我発達における性差に言語能力が寄与している可能性を否定している*7

仮に、自我発達水準が高いほどコミュニケーション能力も高いと言えるとしても、自我発達水準が低い傾向にある集団に「後伸び」を期待し、自我発達水準が高い傾向にある集団に高いハードルを課すことは不適切だ。
Cohn論文はあくまで集団としての傾向を検討したものであり、その集団の中には当然ばらつきがある。ましてや、どの個人が、いつ、「後伸び」したかを追跡調査したようなものでもない。
入学試験の面接に現れた特定の個人が、たまたま女性だからというだけで生まれながらにある種の能力について得をしていると決めつけることも、たまたま男性だからというだけで生まれながらにハンデを負っている(が、後で必ず伸びるはずである)と決めつけることも、その場においてはまったく不可能である*8

ある属性を持つ集団の傾向を、その属性を持つというだけの特定の個人に、直接あてはめて理解しようとしたり、取り扱おうとしたりすることは、いかなる場合においても不適切だ
それは、ある属性を持つ個人の考え方や行動を、そのままその属性を持つ集団全体に拡張することが不適切であるのと同様である。

自我発達水準にせよ、コミュニケーション能力にせよ、ある要素について、集団として明らかに性差が見られると考えたのであれば、そもそもそのような要素は、入学試験の基準とすべきではなかった。
面接は参考程度とし、小論文の配点を大きくする等のやり方があったのではないか。

「男子は後伸び」言説の罪

女子は精神的な成熟が早いが、学習面を始めとするその能力はすぐに頭打ちになる。しかし、男子は後伸びする。
いろいろなところで目にする主張だ。

最近では以下の記事などが記憶に新しい。
toyokeizai.net

発達がゆっくりな子供の成長をせかすことなく、おおらかに見守るために「後伸び」を見込むのは、とても優れた考え方だとは思うものの、それを「男性特有」「男性脳特有」のように決めつけてしまうことは、極めて害が大きい。

「男子は後伸び」言説を聞かされて育った女子は、自分の成長はいつか止まり、無限に伸びる可能性のある男子に追い越されるだろうと思い込んでしまいかねない。
実際、Twitterでは、女子は生理が始まったらもう学業面では伸びないと言われたとか、男子より中間期末が10点高くないと希望高を受けさせないと言われ、その根拠が「男子は後伸び」だったとか、いろいろな声を聞いた。

一方、男子については、一律に現在の能力を低く見積もられたり、「後伸び」「後伸び」と努力を先延ばしさせられたりする不利益がある。

しかし相対的には、将来の稼得能力に直接結びつく教育・就職の機会を女子のみから奪うと言う意味で、この「男子は後伸び」言説は女子に対してより不利に働く。
中学受験時や高校受験時にも、「男子は後伸び」するからと、共学校で女子の定員が減らされる。*9
医学部の入試でも、今回のように女子のみに高いハードルが課される。
就職試験でも、「男性の方が入社後に伸びる」などとまことしやかに囁かれる。*10

他の国は知らないが、我が国では「男はいつまでも子供」説が大手を振ってまかり通っている。
男性はいつ「後伸び」することができるのか。
伸びていくのは、履かされる下駄の歯の高さばかりではないか。

このような状態は男女双方の健全な成長を妨げるものだ、と私は声を大にして言いたい
今回の順大医学部の件を機に、「男子は後伸び」言説が根絶されることを願いたい。

最後に

最初に述べたように、私は子供を順大系列の病院で出産した。
そして、期待した以上の手厚いケアを受け、無事出産をすることができ、子供はすくすくと育って、小学校6年生になった。
順大につないでもらった命である。

産科だけではなく、たくさんの命が、順大によって、全国の医大・医学部によって、そこから巣立ったたくさんの医療者の皆さんによって、今日もつながれているはずだ。
その命がやがて育ち、医学の道を志したとき、理不尽な差別によってその進路を閉ざされるようなことは、決してあってはならない。

医学部で男子学生が求められる背景には、医療の現場が抱える問題が大きいはずだ。
市民として、国民として、できる限りの協力をしていきたいと思う。

*1:ほかにもいくつかの論点があるが、今回はこの点のみを取り上げる。

*2:二次試験には小論文も含まれるが、そのウェイトは面接に比べて極めて低い(一次報告書のp.10およびp.13を参照)。

*3:この論文は、今から27年も前の1991年に発表されたものである。

*4:たとえば大野和男『Loevingerの自我発達理論についての日本における研究動向』(日本女子体育大学 紀要32巻 p.19-29)。

*5:たとえば大野和男『Loevingerによる自我発達理論に基づいた青年期における学年差 ・性差の検討』(発達心理学研究 2002、第13巻、第2号、p.147-157)。

*6:もっともCohnは、大学進学を希望する(college-bound)高校生たちのデータでは、大学1年生でも性差が見られたことを指摘して、サンプリングバイアスのみが原因ではないと主張している

*7:語彙スキルおよび読解力に性差はないというHyde and Linn (1988)の結果を引用している

*8:実際、順大は、大学における6年間の教育後に、男子学生のコミュニケーション能力が入学時よりも向上したというようなデータは示していない。

*9:https://twitter.com/konahiyo/status/1024875029903753216

*10:就活で女性であることは有利?不利? | 大学生の困った!を解決するCampus Magazine