文豪・偉人萌え文化と小林多喜二

『文豪とアルケミスト』というオンラインゲームで、小林多喜二をモデルにしたイケメンキャラクターが人気だということで、日本共産党の機関誌「赤旗」がその現象を好意的に取り上げたところ、ゲームのファンたちから「多喜二を政治利用するな」といった批判の声が上がったという話が話題になっていました。

文豪とアルケミストと小林多喜二と日本共産党 - Togetter
『文豪とアルケミスト』ファンが「赤旗」紹介記事に「小林多喜二を政治利用するな」! 君たち、多喜二のこと知ってる?|LITERA/リテラ

小林多喜二は、いうまでもなく日本のプロレタリア文学の旗手。
共産党員であり、治安維持法下における労働者の抑圧や、政府批判者の弾圧を鋭く描き出した作品で知られ、その故に当時の警察による拷問で虐殺された人物です。
彼の作品と生き方自体、政治とは切っても切り離せないわけですから、「多喜二を政治利用するな」という主張は奇異に見えることでしょうし、キャラクターのモデルとなった小林多喜二についてあまりに無知なのでは、とも思えることでしょう。

ですが、『文豪とアルケミスト』に至るまでの文豪・偉人萌え文化の系譜にある程度理解がある人たちにとっては、その主張に賛同はしないまでも、そういった主張が生まれる背景はなんとなく理解できるかもしれません。

文豪・偉人萌え文化とは


同人・アマチュア創作だけでなく、商業漫画・アニメ・ドラマCD、そしてゲームなどでは、わりと以前から、実在した文豪や偉人をモデルにしつつ、舞台を現代や異世界などに移して、文豪や偉人の実際のエピソードと架空のストーリーとを巧みに絡み合わせて生まれる世界観やキャラクターを愛で、楽しむという文化があります。

有名どころでいうと、たとえば『文豪ストレイドッグス』(略して『文スト』)。
漫画や小説が人気で、アニメ化もされています(劇場版製作と舞台化も進んでいるとか)。
太宰治、中島敦、国木田独歩、芥川龍之介といったキャラクターが、それぞれモデルになった文豪にちなんだ異能力を使ってバトルします。
登場キャラクターは探偵社に所属していたり、ポートマフィアだったりと、まったく文豪らしい仕事はしていないのですが、太宰治は自殺マニアだったり、国木田独歩は「理想」ノートを常に持っていたりと、モデルの文豪のエピソードを知っていれば「ああ、あれね」とうなずくことのできる設定が織り交ぜられています。

それから、ドラマCD『文豪シリーズ』(略して『文シリ』)と、そのコミカライズ『文豪失格』。
舞台は天国。ただし、「平成地区」と呼ばれる現代的な地区もある、現代の天国です。
つまり、「もしもあの文豪が秋葉原を訪れたら……」といったシチュエーションも楽しめるわけです。
文ストに比べ、より文学史にちなんだエピソードが多いですが、やはり実在の文豪たちとはかなりかけ離れたキャラクターとして描かれています。
アニメ版文ストもそうですが、こちらのドラマCDの方も、人気声優の方々がそれぞれのキャラクターを演じているのも魅力です。

萩原朔太郎とその同時代の詩人らをモデルにした『月に吠えらんねえ』という漫画作品も人気です。
ここでも、舞台は近代日本のような幻想世界。
美しい世界観が私は大好きです。

オンラインゲームだと、『ラヴヘブン』というスマホゲームがあります。
ラヴヘブンは、文豪だけでなく、日本の武将や幕末志士、海外の音楽家や画家などをモデルにした、幅広いキャラクターが登場するのが特徴です。
幕末志士をキャラクター化したゲームでは、『薄桜鬼』なども有名です。

ほかに、NHK大河ドラマのファンでtwitterユーザーであれば、いろいろな戦国武将アカウントが人気なのをご存じでしょう。
石田三成(@zibumitunari)などの武将が、リアルタイムで大河ドラマを見ている設定で、実際の史実を踏まえたつぶやきをしてくれたりします。
これもある意味、「偉人萌え」のひとつかもしれません。

いずれにせよ、文豪・偉人萌え文化の中では、虚構と現実の融合の妙を味わいつつ、その作品で生み出された新しいキャラクターそのものを愛おしむ、という楽しみ方をしているファンが多いのではないかと思います。

文豪・偉人萌えの対象から切り離されていた人びと

さて、今ご紹介した『文豪ストレイドッグス』『文豪シリーズ』『ラヴヘブン』には、共通して登場しない文豪(文人)が何人かいます。
どれほど有名でドラマチックな人生を送った文人でも、著作権が存続している人々(たとえば平塚らいてうなど)は扱いづらいのだろうとは想像がつきます(もっとも文ストには現代の作家も(おそらく了承を得て)登場しますが)。
しかし、きわめてドラマチックな人生を送り、しかもその作品の著作権が切れているにもかかわらず、『文豪ストレイドッグス』『文豪シリーズ』『ラヴヘブン』には登場しない文人もいるのです。

それが、大杉栄、伊藤野枝、辻潤、そして小林多喜二です。

大杉栄は著名なアナーキストで、数多くの社会主義論文や自叙伝、そして翻訳を遺した人物ですが、恋愛観もきわめて奔放でした。「自由恋愛」を唱え、一時期は妻・堀保子、伊藤野枝、神近市子の3人と同時期に愛人関係をもち、ついに辻潤の妻であった伊藤野枝と結婚しました。
伊藤野枝は女学生時代に、教師であった辻潤と恋に落ち、婚家から出奔して辻と同棲。その後、「青鞜」に参加して文筆家として活躍するも、大杉と恋愛して結婚。
関東大震災後に、大杉と伊藤は共にとらえられ、甘粕大尉によって虐殺され、非業の死を遂げました。
その後、辻は『ふもれすく』というエッセイの中で、伊藤を偲んでこう書いています。

しかし僕は野枝さんが好きだった。野枝さんの生んだまこと君はさらに野枝さんよりも好きである。野枝さんにどんな欠点があろうと、彼女の本質を僕は愛していた。

『ふもれすく』辻潤

これほどエピソードに満ちた人たちが、なぜ『文豪ストレイドッグス』『文豪シリーズ』『ラヴヘブン』には登場していないのでしょう。
あまりにその最期が悲惨であったために、キャラクター化して消費することが憚られたからでしょうか。しかし、よくキャラクター化される太宰や芥川の最期も、決して幸せなものとはいえません。

大杉栄、伊藤野枝、辻潤、小林多喜二についてはやはり、その人生や著作においてあまりに政治思想の色が濃いために、これまで「萌え」の対象には組み込まれてこなかったのではないかと思えてなりません。
大杉栄、伊藤野枝はアナーキスト。辻潤はアナーキストの友人を多くもつダダイスト。小林多喜二はプロレタリア文学者。
いずれも当時の政府に批判的な政治思想をもっていた人びとです。

文豪・偉人系作品でよくキャラクター化される坂口安吾はダダイズムの影響を受けていましたし、太宰治は左翼運動に参加していた過去があります。
太宰については、共産主義からの転向コンプレックスがその作品群のひとつの大きなテーマであるとさえ言われていますが、大杉らにくらべれば、反政府的な政治思想が顕著に現れているとまではいえないように思います。

(少なくとも商業作品の制作者側からは)あまりに「生」な政治思想は文豪・偉人萌えの文化にはなじみにくいと考えられ、そのために文豪・偉人萌えの対象からは切り離されてきた人びとがいるのではないか、と私は考えています。

『文豪とアルケミスト』で切り離されなかった多喜二

さて、従来の文豪・偉人系作品『文豪ストレイドッグス』『文豪シリーズ』『ラヴヘブン』には登場してこなかった文豪(文人)のうち、『文豪とアルケミスト』のみに登場する文豪がいます。
それが、今回話題になった小林多喜二です。

実は、『文豪とアルケミスト』には、小林多喜二以外にも、もうひとりのプロレタリア文学者・中野重治が登場しています。
中野重治に至っては、まだ著作権も存続しています。もちろん、文スト、文シリ、ラヴヘブンのいずれにも、中野重治は登場していません。

どうやら『文豪とアルケミスト』は、萌えの対象からプロレタリア文学者を切り離すつもりがないどころか、積極的に登場させようとしているようです。。
『文豪とアルケミスト』は、この記事でご紹介した作品の中でもっとも最近(2016年)リリースされたものですから、制作者も冒険をしたのかもしれません。

文アルファンの間で小林多喜二と中野重治が受け入れられ、愛されている様子を見ると、少なくとも消費者にとって、キャラクターのモデルとなった人物の思想性は、ゲームやキャラクターを楽しむことの邪魔とはなっていないように見えます。
これまで積み重ねられてきた文豪・偉人萌え文化の経験から、虚構と現実の融合の妙を味わいつつ、その作品で生み出された新しいキャラクターそのものを愛おしむ、という楽しみ方に、ユーザーが慣れてきているからでしょうか。

一方、これまで文豪・偉人萌え文化と縁遠かった人にとってみれば、突然イケメン化した小林多喜二がゲームのキャラクターとして登場したことに面食らい、しかもそのキャラクターを政治利用してほしくないという訴えにさらに驚いたことでしょう。
ですが、文豪・偉人萌え文化の系譜をある程度おさえると、「キャラクターを政治利用してほしくない」と主張するファンが出てくる理由が、単に「モデルとなった文豪について無知なだけ」というわけではないことが理解できるのではないかと思います。

もっとも、文豪・偉人系作品の楽しみ方はファンによってさまざまですから、「キャラクターを政治利用してほしくない」という主張を好ましいとは思わないファンもそれなりにいそうです。
『文豪とアルケミスト』がプロレタリア文学者のキャラクター化を果たしたことで、今後、さまざまな文豪・偉人系作品において政治思想の色が濃い人びとがキャラクター化される道が開かれたかもしれません。
となると、キャラクターとモデルをめぐって、ふたたび今回のような議論が巻き起こる可能性もあるのかな、などと考えているところです。