子供のころから何度となく読み返した本に、下村湖人の『次郎物語』がある。
この年になってもまだ、わたしの中には小さな本田次郎が棲んでいる、と思う。
中学生になった次郎は、おそらく生涯の恩師となる、朝倉先生と出会う。志ある中学生たちが集う朝倉先生の家の額に掲げられたことばが「白鳥芦花に入る」である。
次郎が、その額とにらめっこしながら意味を考えているとき、朝倉夫人はこうヒントを出した。
「芦の花って真白でしょう。その真白な花が一面に咲いている中に真白な鳥が舞い込んだっていうのですわ。」
(次郎物語 第三部)
わたしはずっと、そのように生きたいと願ってきた。そして、これからも。
もっとも、こう言明することそのものが「白鳥芦花に入る」の心境とは矛盾する。そこが、わたしがいつまでも次郎である所以だろう。