細胞を培養しているクリーンルームには、タンクに大量の70%エタノールを入れて置いてある。
作業する場所や手を消毒するのに、しょっちゅう使うからだ。
この前から、このエタノールで手を消毒した後、しばらくすると、その手からなにやら酸っぱいにおいがしてくることに気づいた。
たいへん気持ちわるい。
しかし、70%のエタノールというのは、腐るものだろうか。
僻地にサンプル採集に行く人たちは、固定液がないときに、虫とか魚とかを焼酎やウォッカといった強いお酒に漬けて持ってかえるという。
(放射線生物学研究室のNさん談)
腐るはずがない。
4年生のEくんの手にも、問題のエタノールを吹きかけて、
「ほら、くさいでしょ」
とにおいをかがせたら、やはり酸っぱいにおいがするという。
うーむ、と悩んでいたら、助手のMさんが、いとも簡単に答を出した。
「酢酸になってるんじゃないの?」
C2H5OH(エタノール)が酸化されて、CH3COOH(酢酸)になる。
古いワインが酢になるのと同じ。
あたりまえの現象だった。
考えてみれば、クリーンルームは、使用していないときはUVランプを点灯している。
空気中の酸素だって、ラジカルになるだろう。よけい酸化されやすいはずだ。
なんで、こんなかんたんなことに気がつかなかったかなあ。
こんなことではいかんぞ、生物学者!