グレーテルは妹?

NHK 教育テレビでやっている「グレーテルのかまど」という楽しい番組があります。
www4.nhk.or.jp

グリム童話の初代ヘンゼルから数えて十五代目のヘンゼル(瀬戸康史さん)が、姉のグレーテルのために素敵なスイーツを手作りする、という設定で、国内外のさまざまなスイーツを、それにまつわるエピソードとともに紹介してくれます。

ちなみにこの番組では、グレーテル自身は黒板にメッセージを残すのみで、一切姿を見せません。
スイーツができあがったころに「ぴんぽーん」とドアのチャイムが鳴る音がすると、ヘンゼルが「あ、姉ちゃん帰ってきた」とドアを開けに行き、ドアの外で待つカメラ(視聴者)に向かって「おかえり。おいしい○○(*スイーツの名前)作ったよ」とにっこり笑いかけてくれるという趣向です。いいなあ、グレーテル。

この「グレーテルのかまど」について、興味深い考察をしているブログがありました。
sorayori.com

sorayori.comさんのこの記事では、グリム童話のグレーテルは妹だったはずなのに、この番組では姉なのはおかしい……というところから出発して、おもしろい深読みをしていらっしゃいます。詳しくは記事をお読みください。

さて、初代から数えて十五代めにもなっているのですから、きょうだい関係が入れ替わっていてもまあ不思議はないかな、とも思いますが、そもそもグリム童話のグレーテルって、妹でよかったのでしたっけ?……というのが私の疑問でした。

sorayori.comさんは、大手前大学論集『グリム童話集』初稿、初版、第7版における「ヘンゼルとグレーテル」の変化について(大島 浩英)の以下の箇所を引用して、「グレーテル=妹」説の根拠としています。

初稿でのBrüderchen(兄)、Schwesterchen(妹)に対してそれぞれHänsel(ヘンゼル)、Gretel(グレーテル)という一般的な実名が与えられることにより、物語に具体性が増している。

この論文では、Brüderchenを兄、Schwesterchenを妹、と特に注釈なく訳していますね。
ですが、本来、BrüderchenやSchwesterchenには、年齢の上下までを含む意味はないはずです。

Brüderchenは、Bruder(英語で言うところのbrother)に、小さいとかかわいいとかの意味を付加する語尾-chenをつけた言葉です。*1
同様に、SchwesterchenはSchewester(英語で言うところのsister)に、-chenをつけた言葉。
おもしろみなく直訳するのであれば、どちらも「男きょうだいちゃん」「女きょうだいちゃん」となり、年齢の上下関係までは特定されません。

んんん? と思って調べたところ、2013年4月11日付けの日本経済新聞に、翻訳家の金原瑞人さんがこんな記事を書いていらっしゃいました。
www.nikkei.com

金原さんはこの記事で、

日本人はヘンゼルとグレーテルは兄妹だと思っているし、日本の絵本もほとんどそう描かれているのだが、英語圏では圧倒的に逆が多い。

と書かれています。

そうだったんだ! 

この記事で金原さんもおっしゃるように、英語圏やヨーロッパでは、きょうだい関係やおじおば関係について、年齢の上下関係を明確に特定することをあまりしません。
「ヘンゼルとグレーテル」のように、年齢を明示しない(男女の)きょうだい関係が出てきたとき、年齢の上下関係をどのように解釈するかについてお国柄が出る、というのはとても興味深いご指摘です。

こうなると、もう一度「ヘンゼルとグレーテル」を読んで、自分の目には彼らがどういうきょうだい関係に映るのか、試してみたくなりますね。

とりあえず、手元に、池内紀さん訳の『グリム童話』(ちくま文庫)があるので見てみます(「ヘンゼルとグレーテル」は上巻に収録されています)。
これは1857年版の『グリム童話集』を底本としているようですので、その版の「Hänsel und Grethel -Wikisource-」と対照しながらいきましょう。

深い森のはずれに、貧しい木こり夫婦が住んでいた。夫婦には二人の子どもがいた。男の子はヘンゼル、女の子はグレーテルといった。

と始まります。
「男の子」は「das Bübchen」、「女の子」は「das Mädchen」、なのでそのままですね(子供なので冠詞はどちらも中性名詞につくdas)。

しばらく、「グレーテルが」「ヘンゼルが」と名前による表記が続いて、こんな場面が。

ヘンゼルは(中略)それから部屋にもどった。
「もう安心だ。おれたちには、神様がついている」
と、妹にささやいて寝床にもぐりこんだ。

おっ、「妹」登場です。
原文を見てみると、
「それから彼(ヘンゼル)は再び戻ると、グレーテルに言った。
『安心おし、愛しいSchwesterchen。静かに眠るんだ。神様がついている』
そして寝床にもぐりこんだ。」
といった感じ。特に「年下の女きょうだい」と明示する記載はありません。

さらに読み進め、ついにヘンゼルとグレーテルは森に置き去りにされて、帰る道がわからなくなってしまいました。
泣き出すグレーテル。そして

ヘンゼルは妹の手をひいて歩き出した。

ここでも原文は、「ヘンゼルはSchwesterchenの手を引いて……」となっていました。

どんどん行きましょう。
ヘンゼルとグレーテルはお菓子の家を見つけて、たらふくお菓子を食べ、眠ってしまいます。
ところがそれは魔女の罠。
ヘンゼルは格子のついた小屋に放り込まれ、グレーテルは魔女に下働きを命ぜられます。

兄さんのために、おいしい料理をつくりな。兄さんは、外の小屋にいる。

ここで、「兄さん」に対応する原文は、特に年齢の上下関係を意味しない「Bruder」でした。

池内訳で「兄」「妹」と書かれているのはこれらの箇所だけで、あとはすべて「ヘンゼル」「グレーテル」と名前で呼ばれていました。
そして、原文のどこにも、きょうだいの年齢関係を明示する記載はありません。

となると、グレーテルが妹なのか姉なのか、判断する手がかりは、ヘンゼルとグレーテルのふるまいにしかありません。

最初のうち、ヘンゼルは、泣くグレーテルを慰め励ましたり、グレーテルの手を引いて歩いたり、家へ帰る目印の智恵を出したりと、比較的主導的な立場です。
それを見ると、ヘンゼルが年上かな? とも思えます。

一方、終盤、魔女にとらわれたヘンゼルを助けるのはグレーテルです。しかも、魔女をだましてかまどの中に押し込め、焼き殺してしまうのです。
それから家に帰るときにも、川を渡る智恵を出すのはグレーテル。

うーん。ヘンゼルもグレーテルも同じようにリーダーシップをとっているように思えます。
これはわからなくなってきました。

ですが、どうやら彼らのふるまいを見て、日本人はグレーテルが妹だと考え、英語圏の人たちはグレーテルが姉だと考える傾向があるようなのです。
どうしてでしょうね……?

グリム兄弟が生きていたら、どういう設定だったか、聞いてみたいものです。

*1:ケストナーの名作「点子ちゃんとアントン」の主人公はPünktchen。Punkt=点 chen=子。点子ちゃん、というわけで、これは名訳ですね。