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「小1の壁」についての個人的経験

 ここのところ私以上にスプラトゥーンにハマってる畏友 id:kobeni_08 が、「結局、『壁は塗って登る』言いたいだけちゃうんかーい」という素敵な記事next.rikunabi.com
を書いていたので、子供がもう小学校3年生になった私も、ちょっと「小1の壁*1」について思い出してみました。
 ちなみに、子供は地元の公立小学校に通っています。

実際、「小1の壁」はあったか

 実際のところ、「壁」というほどの大変さではなかったように(当時は)感じました。

 公設の学童保育クラブが学校内にあり、しかも預かり時間が、基本午後6時まで、延長は午後7時まで可(直前の連絡でもよい)という環境だったので、保育園のころとさほど変わらないお迎え時間で済んだことが大きかったのだと思います。また、子供も学童保育クラブにとても馴染んでいました。
 
 また、子供の学校の持ち物や連絡についても、
・学校からの配布物はすべて、連絡帳と一緒にファスナー付きの「連絡袋」に入れて持ち帰るよう指導されている(プリント類がランドセルの底でぐちゃぐちゃになるようなことがない)
・連絡帳は児童が書いたら先生がチェックしてくださる
・図工等で必要になる材料や集金については、遅くとも1週間前には知らせていただける(基本的に、月初めのクラス便り等に書いてある)
・下校時間や行事予定を含む月間予定表が、毎月初めに配られるクラス便りや学校便りに書いてある
など、かなり行き届いた配慮が学校側からされているので、負担になりませんでした。

 PTA活動も、負担でないと言えばウソになりますが、共働き家庭が比較的多い地域のためか、わりとスムーズに運営されていて、楽しく有意義に活動できていると思います。地域とのつながりが強くなったメリットもかなり感じています。*2

 ……といった感じだったので、「小1の壁コワいコワいどんだけ大変なの〜」と身構えていたわりに(むしろ身構えていたからこそ?)、拍子抜けというくらい、低い壁に感じられました。

それでは、保育園→小学校の変化は楽勝なのか

 楽勝か、と言われると決してそんなことはなく、むしろ、「公的なシステム」がどうであろうと自分(夫婦)と子供とでなんとかしていかなくてはいけないあれこれが大変だったように思います。

 まず、kobeniさんの記事にも書かれていましたが、子供が精神的に一気に成長すること、子供どうしの人間関係が複雑化することで、子供に向き合う時間が格段に増えました。
 べったり一緒にいたり、長時間話したりする時間もそうですが、何より、少し距離を置いたところで、見るともなく見ていて、何かあったら(ありそうだったら)さりげなく声をかけたり手を差し伸べたりする、というような「待ち」の時間がとても増えます。
 この「待ち」の時間を取れるように開き直ってしまうまでが大変でした。
 もっとも、開き直ってしまえば、もう幼児ではなくなりつつある子供と一緒に悩んだり、喜んだり、成長していくことができるという経験が得られるわけで、これは「乗り越えてよかった壁」だったと思います。

 また、実務的な話としては、登校班の付き添い、保護者会・面談出席、PTA活動、宿題や家庭学習のケア、持ち物管理、習い事のケア(それに関連する人の手配含む)、お友達づきあいのあれこれ、等々を、私が一手に引き受けることになったので、その負担増はかなり大変でした。
 これについては、「夫に当事者意識ややる気がない」というようなわけでは決してなく、基本的に小学生周りのあれこれが圧倒的な女性社会で運営されていて、男性が入るには敷居が高すぎるというのが最大の問題なのだと思います。
 そして、先生やほかの保護者、地域の方々とのつながりを日々、夫婦揃ってメンテナンスしていく、というのは相当に労力が必要です。どうしても、メインの窓口となる夫婦の片方(我が家の場合は私)に集約したほうが、少なくとも短期的には効率的になってしまうのです。

 こういった、「公的なシステム」がどうであろうと自分(夫婦)と子供とでなんとかしていかなくてはいけないあれこれ、というのが、実はいちばん考えていておもしろいテーマだなと最近は思っています。
 大変だからなくしたらいい! というわけでもなく、なくしてしまったら困るから問答無用で文句は許さない! というわけでもないあれこれ、と言い換えたらいいでしょうか。
 そういうあれこれを、いろんな角度から、いろんな人があーだこーだ言い合っていくのをたくさん聞けると、そのうち何かいい知恵が出たりしないかな、と思ったりしています。

 
 

*1:なお、Twitter等で言葉の定義がちょっと紛糾していましたが、「小1の壁」はこの記事で書かれているような主に(共働き)親の問題、「小1プロブレム」は子供が学校にうまく適応できないという主に子供や学校の問題、と理解しています。

*2:去年からは本部役員をやっていますが、そのうち詳しく書くことがあるかもしれません

岸政彦「断片的なものの社会学」

断片的なものの社会学

断片的なものの社会学

 朝日出版社第二編集部ブログの連載を楽しみに読んでいました。その連載の内容に、いくつかの書き下ろしなどが加えられたものが本書です。
 
 社会学者の岸政彦さんが、フィールドワークの中で聞き取ってきた人々の語りやエピソードのうち、理解も解釈もすり抜けてこぼれ落ちた、しかしそれでもなお印象的な、数々の「断片」があつめられています。

 社会学者として、語りを分析することは、とても大切な仕事だ。しかし、本書では、私がどうしても分析も解釈もできないことをできるだけ集めて、それを言葉にしていきたいと思う。

 読後感を一言で表すのがとても難しいのですが、なんとも不思議な心地よさがある本です。その心地よさはどこから来るのでしょう。

 社会学者のお仕事には及びもつかないレベルながら、私は私の日常において経験したことがらについて、自分なりの分析や解釈を日々行って生きています。
 ただ、その分析や解釈の多くは、「このことがらにはこういう特徴があるから、この箱に入れよう」と手っ取り早くラベルをつけて、手持ちの類型にむりやり放り込もうとする作業でしかありません。
 どの類型にも押し込められるべきものではないことがらや、分類作業の手をすり抜けてこぼれ落ちたことがらもたくさんあったはずです。
 そして、何かの折に、そういったことがらのどれかをふと思い出し、それをゆっくりと手の中であたためて大事に眺めていることができなかったことに、なんとはなしの悔恨や痛みのようなものをおぼえ、また忘れていく、というようなこともあったように思います。

 本書で岸さんがあつめた「断片」は、当然のことながら、私が忘れ去っていた(見ないことにしていた)ことがらとはまったく違うし、重なるところもなさそうなものばかりです。
 でも、なぜか、岸さんが再現して語り直した「断片」を聞くことで、私が何かを忘れ去っていた悔恨や痛みが慰められたような気持ちになります。
 本書の不思議な心地よさは、その慰めから来るものなのかもしれません。

WordPressからはてなブログに引っ越しました

 これまでWordPressで運用してきた本ブログですが、管理がめんどうになってきたため、はてなブログさんのお世話になることにしました。

 はてなダイアリーからWordPressに移ったものの、結局またはてなさんに出戻ってまいりました。

 過去の個別記事のURL等が変更になり、ご不便をおかけすることもあるかと思いますが、ご容赦ください。

 今後ともどうぞよろしくお願いいたします!

 なお、ブログの引越しにあたっては、webtan.clearclear.jp
 を参考にさせていただきました。ありがとうございます。

ランペドゥーザ島の海綿

 昨夜、NHKで放送されていた『地球イチバン「世界一透明すぎる海の秘密~イタリア・ランペドゥーザ島~」』という番組を見て以来、ずっと海綿のことを考えている。

 ランペドゥーザ島は、イタリアの南の端、アフリカにとても近いところにある。海が透明すぎて舟も浮かんで見える、という絶景で有名なところだ。

 番組では、この海に特別な透明さをもたらした原因を3つほど考察していた。

 1つめは、遠浅で深海からの栄養分が運ばれてこず、また川も流れ込まないため、海水中の栄養分が少なく、プランクトンも少ない環境であること。

 2つめは、海底の砂が、近くの石灰質の岩が削り取られてできた真っ白な砂で、しかも比重が重いため、まきあげられてもすぐに沈んで海水の透明さが保たれること。

 そして3つめは、この海にたくさん棲んでいる海綿が、海を浄化しているのではないかということ。

 その海綿がどんなやつなのか、何をしているのかが、どうにも気になってしかたない。

 貧栄養環境の海に適応した動物といえば、サンゴ(造礁サンゴ)である。

 色とりどりのサンゴが棲息する熱帯の浅い海には、魚などの生き物もたくさん棲んでいるが、実は栄養分(栄養塩)が少ない。栄養塩に乏しい海でサンゴが大繁殖できるしくみについてはまだ謎が多いらしい(田中泰章,海の研究(OceanographyinJapan),21(4),101-117,2012)。もっとも、サンゴと褐虫藻共生関係が重要であることはよく知られている。

 サンゴと褐虫藻は、海水中の少ない栄養塩を上手に協力しあって利用しつつ、サンゴは褐虫藻にすみかを提供し、褐虫藻光合成で作った有機物(炭素源)をサンゴに提供している。サンゴの呼吸等によって、その炭素源は海水中にも放出され、それをまわりの生き物が利用する。

 こうして、透明なサンゴ礁の海は、栄養塩に乏しいにもかかわらず、ゆたかな生き物に満ちているのだ。

 一方、テレビで見た限り、ランペドゥーザ島(のあの有名な透明な海)にはサンゴは見当たらなかった。調べた限りでも、サンゴ礁はないようである。地中海の石灰岩はほとんどサンゴ礁由来だと聞いたことがあるから、石灰質の岩でできたランペドゥーザ島も、ずっと昔はサンゴ礁だったのだろう。今のランペドゥーザはサンゴ(造礁サンゴ)の棲息に適した環境ではないのかもしれない。

 でも、海綿は棲んでいる(それほど多くはないようだったが、海綿のまわりを泳ぐ魚たちの映像も映っていた)。もしかして、この海綿たちがサンゴの代わりのような存在なのだろうか。

 同じ地中海のギリシャも海綿が有名だが、このあたりの海綿はみんな似たようなやつらなのだろうか。そして、かつてサンゴ礁を形成したサンゴたちが、海綿に取って代わられたりしたのだろうか。

 海綿にも共生微生物がいることはよく知られているが、ランペドゥーザ島や他の地中海沿岸の海綿の共生微生物が、サンゴにおける褐虫藻みたいな役割も果たしているとしても不思議ではない。

 そういうことって誰か研究してないのかな、と調べているうちに、東大の山室真澄先生のブログで、バイカル湖の海綿について書かれている記事に行き当たった。

「この海綿達こそが、貧栄養なバイカル湖でなぜ魚類などがの動物がたくさん住んでいられるかの鍵を握っているのではないかと思います。」

バイカル湖の海綿 - Limnology 水から環境を考える

 同じ貧栄養環境であるランペドゥーザ島(や、その他の地中海沿岸地域)に棲む海綿とバイカル湖に棲む海綿との間に、何か共通点はないか気になるところである。これらの海綿が、貧栄養環境でないと生きていけないものなのか、富栄養環境でも生きていけるものなのかも気になる。

 このあたりのことには詳しくないので、これまでにどんなことが明らかになっているのか、詳しい方がいらしたら教えてくださると嬉しいです。

明けましておめでとうございます

 昨年一年は、例年にも増してあっというまに過ぎ去ったように思います。

 公私にわたって大変お世話になり、ありがとうございました。

 今年は、弁理士としては3年目、知財の仕事をするようになってからは8年目。仕事の幅を広げ、新しいことにも臆せず挑戦していく年にしたいと考えています。

 家庭では、娘が4月から小学校3年生になります。

 昨年1年間で心身共に大きく成長した娘が、このまま健やかな毎日を送っていけるように、安心して帰ってくることのできる居場所をつくっていきたいと思います。

 末筆ながら、新しい年が皆様にとってますます良い年になるようお祈り申し上げます。

 本年もなにとぞよろしくお願いいたします。

新しいiPhoneとApple Watch

 9月9日に新しいiPhoneiPhone 6とiPhone 6 plus)、そしてApple Watchが発表された。

 新しいiPhoneについては、サイズが大きくなったこと(特に6 plusはデカい!)以外にさほど大きな驚きはなく、Apple Watchの方がおもしろそうに思えた。

 さて、どうするか。

 今のiPhone 5は2年近く使っていて、とても気に入っている。ただし、バッテリーの持ちはそれなりに落ちていて、しかもバッテリー交換プログラムの対象となっている個体であることもわかっている。この際、新しいものに買い換えても、言い訳は立ちそうだ。

 買い換えに悩むもっとも大きな要因は、iPhoneのサイズが大きくなるのを受け入れるかどうかである。

 私はときどきジョギングをしているのだけど、そのときにはiPhoneをウェストポーチに入れて、ランニングアプリでワークアウトデータを記録している。今よりiPhoneが大きくなると、身軽に走ることができなくなりそうだ。

 来年発売予定のApple Watchは、フィットネス用途を大きな売りのひとつにしているようなのだけど、GPSを利用して走った距離の記録をするためには、常にiPhoneを一緒に持っていなければならないようだ(Apple Watch本体にはGPSがついていない!)。

 それなら、小さいiPhoneひとつで計測も記録も済む今の方がまだマシである。

 Apple Watchを単体でワークアウトに持ち出して、データを記録した後、家でスマートにiPhoneと同期する、みたいなことを期待していたのだけど、残念ながらそういうものにはなりそうにない。防水性能も生活防水レベルにとどまるようで、今のところ、Apple Watchをスポーツウォッチとして使うのはあまり現実的ではなさそうだ。

 iPhoneを買い換えるなら、Apple Watchを買おうが買うまいが、何かしら別のスポーツウォッチかスマートウォッチが必要になるのは間違いない。

 それでも買い換えるとしたら、6にするか、6 plusにするか。キャリアは、今のままで継続するか、ほかのキャリアにMNPするか。

 私の手で持ちやすいのは6だと思うけど、画面が大きくなることで電子書籍(特にコミックス)が読みやすくなるなら、6 plusもいいのではないかという気がする。

 電子書籍はけっこう好きなので、今はKindle PaperWhiteiPad miniを愛用している。iPhone 6 plusは、Kindleに比べればレスポンスの良さや容量の点で勝ることは明らかだし、iPad miniよりは小さいので持ちやすいかもしれない。

 小さいiPhoneは、常に身近に置いておけるという魅力はあったけれど、いずれ、iPhoneへの通知をApple Watchで受けることができるようになれば、何かしらの作業をするとき以外はiPhoneはカバンに入れておくもの、と割り切ってもよさそうではある。

 キャリアはずっとソフトバンクだったが、あちこちから聞く噂では、auの方が通信状態は良いようだ。

 この際、MNPも検討しようかな、と思うが、ギリギリになって孫正義さんが何かしらのアイディアを出してくる可能性もある。

 もう少し、各社のサービスの具体的な状況が見えてくるまで、決断を待とうか。

 ……などと、いろいろ思い悩んでいるときがいちばん楽しい、というのも毎度のことではあるのだけど。

 

 

『花子とアン』の時代の翻訳にまつわる著作権事情

もらった本を気楽に翻訳して出版する花子、それでよかったの?

 NHKで放映中の朝の連続テレビ小説花子とアン』は、タイトルのとおり、『赤毛のアン』の翻訳者として知られる村岡花子氏の生涯を題材としたドラマです。

 先週、ついに花子が『赤毛のアン』の原書である『Anne of Green Gables』と運命の出会いを果たし、ドラマもクライマックスが近づいてきました。

 このドラマでは、花子がいろいろな人から英語の本を手渡され、その魅力を日本の子供たちに伝えようと翻訳に取り組むシーンがたびたび登場します。

 後に義弟となる村岡郁也さんからは『The Prince and The Pauper』(『王子と乞食』)を、そして女学校時代の恩師であるスコット先生からは、『Pollyanna Grows Up』(『パレアナの成長』(または『パレアナの青春』))と、『Anne of Green Gables』(『赤毛のアン』)を、という具合に。

 今の日本では、海外の著作物を日本語に翻訳して公開する場合、原則として、その著作物の著作者または著作権者から許諾を得る必要があります。

 しかし、このドラマでは、花子はもらった本の翻訳にすぐ取りかかっていて、特に許諾等を気にかけている様子はありません。

 ええ? ドラマとはいえ、花子、そんなに気楽に翻訳していいの?

 郁也さんもスコット先生も、「これ素敵だから訳して」みたいなノリでいいの?

 結論から言うと、「この時代は、だいたいそれでいいことが多かった」けど「それぞれ事情はちょっとずつ違う」ということになりそうです。

 『花子とアン』の時代は、国際的な著作権保護について大きな動きがあった時代です。『花子とアン』に登場した本を手がかりに見ていくと、著作権に関する歴史の中でも、とてもおもしろい時代であったことがわかります。

 

国際条約はどうなっていた?

 著作権がどのように保護されるかは、その国の法律がどうなっているかで決まるのが原則です。

 しかし、国によって、著作権に関する規定はさまざまですから、自分の国の著作物に関する権利が、ほかの国では保護されない、といったことも起こりえます。

 そこで、さまざまな国の間で、統一的な基準で著作物に関する権利を保護しよう、という動きから「文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約」(通称・ベルヌ条約)が生まれました。 *1

 ベルヌ条約は、1886年に作成されて以来、数度の改正を経ていますが、どのバージョンでも、著作者が自己の著作物を翻訳する権利を占有することが定められています。日本は1899年に、ベルヌ条約に加盟しました。

 つまり、『花子とアン』の当時である20世紀初め、日本を含むベルヌ条約加盟国の間では、他国の著作物を自国で翻訳・出版する場合、原則として、著作者の許諾を得る必要がありました。

 

 それなら、花子はやっぱり、気楽に無断で翻訳しちゃいけなかったのでは? と思いきや、当時、日本で効力を持っていたベルヌ条約には、特別な規定があったのです。いわゆる「10年留保」です。

 「10年留保」とは、簡単にいうと、オリジナルの著作物が刊行されてから10年以内に翻訳・出版されなければ、誰でも自由に翻訳・出版してよい、というものです。

 つまり、刊行から10年以内に、誰かが正式に翻訳権を取得して翻訳・出版したことがある作品でなければ、その作品を誰でも自由に翻訳・出版してよかったわけです。 *2

 なお、アメリカ合衆国は、ずっとベルヌ条約に加盟しておらず、1989年にようやく加盟しました。したがって、『花子とアン』の時代、日本とアメリカとの間での著作権の保護については、ベルヌ条約は関係がありません。

 しかし、この時代(1906年以降、おおむね日米開戦まで)、日本とアメリカとの間では「日米間著作権保護に関する条約」(いわゆる日米著作権条約)が結ばれていました。

 日米著作権条約では「翻訳の自由」が定められていたため、アメリカで発表された作品は日本で自由に翻訳・出版することができました。その逆も然りです。 *3

 このあたりの話は、日本雑誌協会 日本書籍出版協会50年史 第4章Aに詳しいです。

 それでは、ドラマに登場した3つの作品について、具体的に見てみましょう。

『王子と乞食』について

 郁也さんが花子に手渡した『The Prince and The Pauper』(マーク・トウェイン作)は、1881年にカナダ(自治領カナダ(英連邦内の自治領))で最初に出版されました。 *4 その後、1927年、村岡花子氏による翻訳書『王子と乞食』が日本で出版されています。

 1881年の時点で、ベルヌ条約はまだ作成されていません。したがって、日本で『The Prince and The Pauper』を翻訳・出版しても問題なさそうに思えます。

 しかし、ベルヌ条約は、原則として、条約が発効する前に創作された著作物でも、条約の発効時に著作権の保護期間が満了していなければ、条約に従って保護されるべきであることを定めています(第18条)。

 したがって、日本がベルヌ条約に加盟した1889年以降にカナダでもベルヌ条約が発効していれば、条約に従って考える必要がありそうです。

 しかし、カナダでもベルヌ条約が効力を持っていたとしても、『王子と乞食』が日本で出版されたのは、1889年から10年以上後の1927年ですから、「10年留保」が適用されて、何の問題もないでしょう。

 ところで、このころのカナダの著作権事情は、カナダの独立の歴史と深く関わっています(Sara Bannerman "The Struggle for Canadian Copyright, Imperialism to Internationalism, 1842-1971")。

 ベルヌ条約が作成された当時のカナダはいわゆる「自治領カナダ」であり、英連邦内の自治領でした。

 カナダは、最初は単独でベルヌ条約に加盟したわけではなく、イギリスが1886年ベルヌ条約に調印したとき、イギリスの植民地として、ベルヌ条約に加盟しています。

 1889年、カナダ議会は新しい著作権法を審議します。この法律には、外国の著作物に関する権利がカナダ内で強いものとなりすぎないようにするための規定が含まれていました。これは、ベルヌ条約が要求する要件を満たさないものでした。そこで、カナダ政府は、この新しい著作権法を議会で通過させるためには、ベルヌ条約の破棄(脱退)が必要であることをイギリス政府に申し入れたのです。

 これをきっかけに、イギリスとカナダの間で、そしてカナダ内の保守派と革新派との間で、激しい議論が生まれました。また、ベルヌ条約の同盟国の間でも、カナダに追従する国が出てくることをおそれて、なんとかカナダを脱退させまいとする動きも生じ、議論はやがて国際レベルに発展していきます。

 その後、ベルヌ条約の改正に関する数度の国際会議や、イギリス帝国とその植民地との会議において、カナダは粘り強い交渉を続けました。

 やがて、第一次世界大戦において、イギリスを含む連合国側に立って功績をあげたカナダは、戦後、著作権法の譲歩案をイギリスに提示します。また、カナダ内でも、国際的な地位の上昇を考慮して、ベルヌ条約に合わせた著作権法の整備へ向けた機運も高まっていきます。

 そして、カナダが外交権を得た後の1928年、カナダは単独でベルヌ条約に加盟しました。その後、1931年のウェストミンスター憲章により、カナダは独立国家となったのでした。

『パレアナの成長』について

 さて、『花子とアン』に戻りましょう。

 女学校時代の恩師であるスコット先生が、花子に渡した最初の本が『Pollyanna Grows Up』(エレナ・ホグマン・ポーター作)です。 *5

 『Pollyanna Grows Up』は1915年に米国で出版され、その後、1930年に、村岡花子氏による翻訳書『パレアナの成長』(現在のタイトルは『パレアナの青春』)が日本で出版されました。

 つまり、『Pollyanna Grows Up』が、米国のみで出版された本であれば、これは翻訳の自由を定めた日米著作権条約が結ばれた1906年より後に出版された本ということになりますから、条約に基づいて、日本でも自由に翻訳してよい本に当たります。

 ところで、ベルヌ条約には、非加盟国の国民がその著作物を加盟国でも同時に出版すれば、ベルヌ条約の保護を受けることができるという規定があります(第3条(1)(b))。

 しかし、仮に『Pollyanna Grows Up』がいずれかのベルヌ条約加盟国で同時出版されており、ベルヌ条約による保護を受けるべき本であったとしても、花子が翻訳書を出版したのはその15年ほど後になりますから、ほかの翻訳者が既に翻訳を出版していたりしなければ、「10年留保」で問題ありません。

 したがって、花子がスコット先生から原書を受け取ってすぐに翻訳を開始したとしても、特に不思議はなさそうです。

赤毛のアン』について

 スコット先生が花子に渡した2冊目の本『Anne of Green Gables』(ルーシー・モード・モンゴメリ作)は、1908年、米国(ボストンのL.C. Page & Company)で出版されました。

 その後、1939年に、宣教師のミス・ショーから原書が村岡花子氏に手渡され、村岡氏は戦火をくぐりぬけながらこれを翻訳し、1952年、翻訳書『赤毛のアン』が日本で出版されたとのことです。

 本国での出版から40年以上経ってから初めて、日本で翻訳が出版されたことになります。また、その間に第二次世界大戦を経ているため、条約の効力等を詳細に検討することにはあまり意味がないように思います。

 戦後、占領下の日本では、外国の著作物の翻訳を日本で出版するための交渉等も困難であり、出版に際しては占領軍の厳しい統制を受けていました。著作権をめぐる混乱もさることながら、日本全体がとてつもない混乱と激動の中にあった時代です。

 それを乗り越えて、ようやく『赤毛のアン』が三笠書房から刊行されたのは、サンフランシスコ平和条約が発効し、日本が再び独立国として認められた直後の1952年5月のことでした。

 村岡花子氏の孫である村岡恵理氏の『アンのゆりかご』(『花子とアン』の原案)によれば、戦後5年を過ぎた1950年、三笠書房の編集者の小池喜孝氏が、村岡花子氏のもとを訪れて、女性読者を視野に入れた何か新しい作品はないか、と相談したそうです。当時の三笠書房は、復刊した『風と共に去りぬ』が大ベストセラーとなり、それに続く翻訳文学を探していたようです。

 小池喜孝氏の相談を受けた村岡氏は、既に『Anne of Green Gables』の翻訳を終えていたものの、新しいものではないし、『風と共に去りぬ』のような強烈なドラマもない、と考えて、最初のうちは小池氏に「ありませんよ」とそっけなく答えていたそうです。 しかし、翌年、村岡氏はあたためていたアンの翻訳原稿を小池氏に渡し、出版に向けた動きが始まります。

 このあたりはドラマとしても非常におもしろいところだと思います。これから、『花子とアン』でどのように描かれていくのか、楽しみにしています。

*1:この動きには、『レ・ミゼラブル』等を書いた大文豪、ヴィクトル・ユーゴーらが大きな役割を果たしています。

*2:ちなみに日本では、1971年の著作権法改正まで、この規定が有効でした。

*3:「日米間著作権保護に関する条約」第2条『両締約国の一方の臣民又は人民は他の一方の臣民又は人民が其の版圏内に於て公にしたる書籍、小冊子其の他各種の文書、演劇脚本及楽譜を認許を俟たずして翻訳し且其の翻訳を印刷して公にすることを得べし』

*4:マーク・トウェインはアメリカ人の作家ですが、著作権の保護に非常に熱心で、カナダにおけるこの作品に関する著作権の保護のために、カナダに居住権を得ています。(参考

*5:ドラマで映っていた原書のタイトルは『Pollyanna』(パレアナシリーズの第1作である、邦題『少女パレアナ』)でした。しかし、その後に映し出された花子の翻訳原稿は『Pollyanna Grows Up』に基づいたものでした。また、実際の村岡花子氏も、『Pollyanna Grows Up』の方を『Pollyanna』よりも先に翻訳・出版したようです。ドラマで映った原書は、単純なミスであったか、視聴者に「パレアナの本である」ことを印象づけるための演出であったか、どちらかであろうと思います。

(『Pollyanna』の本邦初訳は、おそらく大正5年(1916年)に日本基督教興文協会から出版された弘中つち子氏の『パレアナ』ではないでしょうか)