4月 142014
 

スーパーヒーロータイム(日曜朝の特撮)

 もはやわが家では私くらいしか見ていないスーパーヒーロータイム。

 まずは『仮面ライダー鎧武』だ。
 フルーツのライダーって何だよ、うわホントにオレンジかぶって変身してるよ、とドン引きしながら見始めたものの、ずいぶんとおもしろいことになってきた。

 主人公ライダーには、怪人と化した友人をそれと知らずに殺していたという過去がある。そのことを後で知った主人公は、自分が戦う意味と目的について悩み苦しむ。
 また、主人公の後輩である美少年ライダーが、「愛する人の笑顔を守るため」という目的のために、権力に取り憑かれて闇に落ちていっているようなのだけど、彼はいったいどこへ行ってしまうのか。
 「強さとは結局、誰を守って誰を守らないかを決定できる力にすぎないのではないか」など、仮面ライダーシリーズらしいテーマを、えげつないまでにストレートに扱っているドラマだ。

 現実の世界を支配しようとしているユグドラシルという大組織だけでも得体が知れないのに、さらにその世界を侵略しつつある異世界・ヘルヘイムの森の全貌もまだ見えてはいないようで、目が離せない。

 物語全体を貫く「理由のない悪意」というモチーフは、感受性の強い子供たちにはトラウマものに怖いんじゃないかと思うのだけど、大人としてはこれがどう料理されていくのか、とても楽しみだ。

 今年の2月から始まった『烈車戦隊トッキュウジャー』もおもしろい。
 これも、マスクに線路ってなんだよ、ヒーローが変身する間は敵が白線の内側に下がるとか斬新すぎるわ、といささか引きながら見始めたものの、予想がいい方に裏切られた。

 戦隊シリーズらしく、一話一話、子供たちに身近な友情にまつわるエピソードが丁寧に盛り込まれている。愉快なイマジネーションで敵を倒す爽快感もすばらしい。

 しかし、主人公たちはみな過去の記憶を失ってしまっているという設定だ。そのためか、彼らが暮らすレインボーラインは夢のような列車でありながら、どこか不確かで不安な場所であるようにも見える。
 また、主人公たちをサポートする車掌さんやそのパペットの猿のチケット君は、必ずしも全面的に主人公たちの味方なわけではない。彼らは時に主人公たちに冷淡だし、遠慮なく諫めたり、毒舌をぶつけたりもする。少し喉にひっかかるような設定がうまく組み入れられているため、わかりやすく口当たりがいいだけではない、リアリティのある世界観がつくられている。

 悪役の造形が、前作のキョウリュウジャーにも増してよくできているし、主題歌も快活でおぼえやすく、前作同様かそれ以上に人気が出そうだな、と思って楽しみに見ている。

漫画とかアニメとか

 毎週読んでいるのは、週刊少年ジャンプとモーニング(電子版のDモーニング)。

 ジャンプの方は、うちの小学生も一緒に読んでいて、『ONE PIECE』『暗殺教室』『ワールドトリガー』がお気に入りの様子。

 『ONE PIECE』は、先週、ついに宿敵ドフラミンゴがキュロスに倒されたかに見えた。わが家では、家族でジャンプを回し読みしつつ、読んだ順に奇声を発する、という現象が起こった。
 しかし、ローとの因縁も解決しないままにあっさりドフラミンゴが退場するはずもなさそうである。また、エースの遺志を継ぐべきものとして、ルフィの幼なじみで兄貴分であるサボらしき人物が以前から出てきているものの、なかなか正式に正体が明かされないのも気になる。パンクハザード編以上に目が離せない展開となっている。そんな激動のドレスローザ編は、アニメ版で見ると、動きや色彩の魅力がプラスされてより楽しいと思った。

 『暗殺教室』は、先生を暗殺するのが生徒たちのミッション、という、お行儀のいい大人たちが眉を顰めそうなテーマでありながら、その実、学ぶとはどういうことか、教育とはなにか、という骨太な問題意識を織り交ぜた正統派ビルドゥングスロマンである。と、少なくとも私は思っている。
 小学校生活を一年間経験したおかげでぴんとくるようになったのか、子供が最近になってハマり出し、家にあるコミックスを最初から読み通していた。
 にしても、いつか殺せんせーが殺されてしまったらどうしよう。とりあえず完全防御形態の殺せんせービーチボールがほしいです。

 『ワールドトリガー』は、異世界からの侵略者と戦う少年少女たちの物語だが、世界観の大きさと、キャラクターひとりひとりの魅力が際立っていておもしろい。
 ちなみに、この漫画の登場人物たちは、体内に存在するトリオンというエネルギー物質のようなものを原動力として、トリガーという武器を使って戦う。しかし、トリオンの量は人それぞれであり、もともとの力が強い者と弱い者があらかじめ決まっている。いっぽう、持ち前のトリオンの量は多くても、身体能力がいまひとつ、という者もいる。しかし、自分に適したトリガーを選び、適切なポジションで戦う訓練を受ければ、自分の弱点を克服して成長していくことができる。これも単純な能力バトルにはないおもしろさだ。
 うちの子供はこの漫画が大好きで、早くアニメ化しないかと心待ちにしている。限定ぼんち揚げもしっかり食べた。

 『磯部磯兵衛』は、読み切りで登場したときに、衝撃と爆笑のあまり、ツイッターで大プッシュしてしまった。連載も回を重ねた今となっては、すっかり謎の安定感を見せており、嬉しいやら腹立たしいやら、複雑な気持ちではある。

 さて、モーニングは、電子版のDモーニングで読んでいる。「バガボンド」と「BILLY BAT」以外のすべての作品(たぶん)が、手持ちの電子端末(iPad等)に毎週配信されてきて、一ヶ月500円という格安のお値段。気に入った漫画のシーンを切り取って、ツイッターに投稿して感想を共有することもできる。

 モーニングにはお気に入りの漫画がたくさんあるけれど、子供に見せるには早いな、と思われるものもあるので、親だけが読むのに電子版はちょうどいい。
 ただし、『鬼灯の冷徹』はコミックス版を子供も読んでいる。もともと子供は水木しげるの妖怪大百科シリーズが大好きで、『鬼太郎の天国・地獄入門』を特に愛読していたためか、地獄の沙汰のあれやこれがおもしろく感じられるらしい。アニメ版も録画して全回視聴した。

 さて、謎のピアニストにして産科医である鴻鳥サクラ先生が活躍する医療漫画『コウノドリ』である。
 妊娠、出産にまつわるさまざまな問題を正面から取り上げるというのは、大変勇気のいる挑戦だったと思う。しかし、産む性である私が読んでも、まったく違和感や反感をおぼえない(涙は出るし、リアルすぎてつらいという回はあった)。医療関係者の方々の感想をツイッターなどで見ても、皆さん絶賛されている。
 作者である鈴ノ木ユウ先生のお人柄なのだと思うが、各シリーズはまったく救いのない結末にはならない。
 私はもう子供を産むことはないと思うけれど、生命と健康に関することはいつも興味の中心にある。これからも読み続けるだろうと思う。

 読み切りで大ファンになった『ハルロック』がついに連載になって、とても嬉しい。
 電子工作や発明が大好きな女子大生が主人公で、彼女を取り巻く個性的な人々との不思議エピソードの数々。リケジョだとかそんなチャチなもんじゃなく、もっと……こう……いわく言い難いものの片鱗を味わえる。

 ほかにも語りたい漫画はたくさんあるものの、だいぶだらだらと書いてきたので、ひとまずこのへんで。

4月 112014
 

 理想を思い描いてそれを叶えようと努力していくことは、よくある人間の営みのひとつにすぎない。
 けれど、それは決して簡単な作業ではないし、理想を高く保てば保つほど、陥りやすい危険もたくさんあるのだな、と当たり前のようなことを改めて考えた一週間だった。

 研究の世界に身を置いていたときのことを思い出すと、「こんなことがわかるようになったらどんなにすばらしいだろう」という理想と、その理想を叶えるためにはあまりに未熟で非力な自分との間でいらだち、のたうち回るような日々だった。

 そのころは、「研究者になりたい(できればアカデミックな世界で)」という強い願いをもっていたけれど、私が思い描いたようなすばらしい研究者になるためには、私にはあまりにも多くのものが欠けていたと思う。
 でも、当時、そんな自分をきちんと正面から見つめることができていたかと言えば、到底そんなことはなかった。自分には知識もセンスも考察力も足りないし、それらを身につけるための根性も粘り強さも足りないのだ、ということから目を背けようとしてばかりいたような気がする。

 研究が好きで、ある程度は得意だと思っていたからこそ、高い理想を具体的に思い描くことができた。でも、それだけに、現実との大きなギャップをこつこつと埋めていく作業がつらかったのだと今にして思う。

 その後、紆余曲折を経て、知財業界に身をおくことになった。この、まったく経験のない分野の仕事に一から挑戦するという経験が、私にとってはとてもよかったと思う(そのかわり、上司や先輩方には大変なご苦労をかけてきた)。

 弁理士の資格を取るまでの数年間は、事務所外の方と接することもほとんどないまま、ただ黙々と勉強と所内の仕事に励む毎日で、まったくの下積み生活。法律についても実務についてもまったくわからなかったため、理想と現実とのギャップを意識するヒマさえないまま、がむしゃらに教えを請い、勉強し、仕事をするしかなかった。その過程で、理想に近づいていくことを阻むような自尊心(虚栄心?)の壁が、ちょうどいい具合に突き崩されていったような気がする。

 最近、ようやく自分で仕事ができるようになってきて、研究者としての経験も、少し違った形でどうにか生かしていけるようになり、自信と喜びを感じるようになってきている。でも、だからこそ、以前のような陥穽に落ちないようにしなければならないと思う。

 高い理想をもたなければ、いい仕事はできないし、人間としての成長もない。常に現実の自分を正面から見つめる勇気と正直さをもっていたいし、その上でこつこつと理想に近づいていくためのしんぼう強さとしたたかさをもっていたい。
 そんな当たり前のことを納得するのが、ずいぶん遅くなってしまった。

3月 012014
 

今週、気になった話題いくつか。

下から7割の人のための理科&算数教育 – Chikirinの日記

下から7割の人のための理科&算数教育 – Chikirinの日記
 ちきりんさんが書かれた「理科教育」についての提言で、インターネット上で賛否両論かまびすしかった話題です。
 
 かいつまんでいうと「今、教えられている内容を前提とすれば、数学や理科に関しては、全体の 3割程度の生徒が学べばよい(ちきりんを含め、下から 7割の人は学ぶ必要がない)」「残りの 7割の人には、今教えられてる内容に替えて(=その時間を使って)「生活するために必要な科学知識」を教えてほしい」という主張です。
 
 このちきりんさんの主張にはまったく賛成できません。

 まず、ちきりんさんが「今教えられてる内容に替えて(=その時間を使って)「生活するために必要な科学知識」を教えてほしい」とおっしゃっている内容を(私が専門の理科について)見てみましょう。

生物の時間には、
・命にかかわる病気になった時、治療方法をどう選べばよいのか
・妊娠のメカニズムと、不妊治療やその限界など
・副作用も指摘されてるワクチンを勧められたんだけど、摂取すべきかどうか、どう考えて決めればいいのか?
・太っちゃって、脂肪吸引に興味があるんだけど、大丈夫かな?
みたいなことを(カエルの解剖をする代わりに)教えてほしい。

化学の時間には、
・トイレ掃除のとき、何と何の洗剤を一緒に使うと危ないのか (もしくは、ガスファンヒーターの前にヘアスプレーのカンがあったら、どれほど危ないのか)
・ホテルで火事にあったら、煙は上下、どっちに流れるのか
・天ぷら油から火がでたら、水をかけるのとマヨネーズをかけるのはどっちがいいのか。なければケチャップでもいいのか?
などを(リトマス紙で遊ぶ時間の代わりに)教えてください。

物理の時間には、
・イオンのでる家電って、なんか意味あるの?
・放射能が怖いんだけど、ラジウム温泉でダイエットするのは大丈夫?
とかね。


 しかし、これらの内容はどれも、正解不正解のある「知識」としてバラバラに教えこむべきものではないと思います。
 ちきりんさんは、「全員に与えるべきは、技術者や研究者になるための専門教育ではなく、生活者として自己決定ができ、健全に安全に生きていけるようになるための科学リテラシーだ」と主張されますが、上記のような問題についてとおりいっぺんの答えを知っているだけでは、「生活者として自己決定ができ、健全に安全に生きていけるようになる」とは到底思えません。
 
 ちきりんさんが挙げられたような問題は、どれも「知識」としてではなく「自分のアタマで考える」ことができるようにすべき問題だと思います。

 ちきりんさんが、生物や物理の時間に教えてほしいとして挙げられているものは、どれも(阪大の平川秀幸先生の言葉を借りれば)「科学なしでは解決できない、科学だけでは解決できない」ような問題です。
 そして、ちきりんさんが化学の時間に教えてほしいとして挙げられているものは、小・中・高で「今教えられてる内容」で答えが出るものです。

 「科学なしでは解決できない、科学だけでは解決できない」ような問題について、ちきりんさんの記事のように正解不正解の「知識」を教え込むだけの教育しかしないというのは、非常に危険です。それでは、まったく新しい問題が出てきたときに判断できません。「科学なしでは解決できない、科学だけでは解決できない」問題について一意的に答えが決まるという考え方は、科学の暴走にも、カルトにも、そしてちきりんさんがよくないとお考えの偽科学(疑似科学、ニセ科学)にもつながりうる、危険な態度です。
 
 そして、「科学なしでは解決できない、科学だけでは解決できない」ような問題について、単に正解不正解を教え込むだけじゃない教育をしようとするなら、ちきりんさんが否定する基礎的な(実学的でない)科学の教育も必要になるし、倫理や社会について考えるための基礎的な教育も必要になります。
 
 ただし、これまでの理科教育を受けて育っていても、疑似科学的なものや陰謀論にコロッとだまされてしまう人が後を絶たないということを考えると、これまでの理科教育「だけ」で満足しているわけにもいかないということも確かです。
 ちきりんさんは、いくつかの題材を「リトマス紙で遊ぶ時間の代わりに」「カエルの解剖をする代わりに」教えてほしいと挙げていらっしゃいますが、それらは、「代わりに」ではなく、リトマス紙やカエル「から」その題材につなげるべきものではないかと私は思います。
 そのように問題を定義し直すならば、それは理科教育や、科学技術社会論、科学哲学に携わってきた人たちの中で、ずーっと昔から考え、議論され、実践もされてきたテーマなので、より多くの人たちとともに実り多い議論に発展させていけるような気がします。

(この話題については、ここでつぶやいていました)

「女子力を磨くより、稼ぐ力を身に付けなさい!」上野千鶴子さんが描く、働く女の未来予想図

「女子力を磨くより、稼ぐ力を身に付けなさい!」上野千鶴子さんが描く、働く女の未来予想図 – Woman type [ウーマンタイプ]

 これは非常に不思議な記事でした。

 もちろん、女性に対する「自分に投資をして稼ぐ力をつけなさい」という上野先生の最終的なアドバイスには大賛成です。ただし、そのための方法論として、それまでに挙げられている内容が支離滅裂に思えました。

 上野先生はまず、「マミートラック」の害を説きます。
 マミートラックとは「出産後の女性が時短制度の利用を許されたり、残業の少ない部署に配置換えされたりする」ことで、上野先生はこれを「一見すると女性に配慮しているように見えて、実は「今後はあなたを二流の労働者として扱いますよ」という戦力外通告」であると定義します。そして、「塩漬けになった女性のほうも、「評価は下がるけど、そこそこのお給料をもらえて、子どもとの時間を持てるなら、これはこれでいいわ」と納得してしまうこと。塩漬けになった女は、そのまま腐ってしまいがち。でも、それはあまりにももったいない。」と否定します。

 その一方で、上野先生は「今の日本が成長社会ではなく、“成熟社会”に入っているのは明白な事実。人間の一生に例えれば、穏やかな老後に入りつつあります。だから、現在20代や30代の若い女性たちも、ゆっくりまったりと生きていけばいいじゃないですか」「賃金が上がらないといっても、外食せずに家で鍋をつついて、100円レンタルのDVDを見て、ユニクロを着ていれば、十分に生きて行けるし、幸せでしょう?」と言います。
 そして、「「給料が安くて子どもが産めない」と言うけれど、年収300万円の男女が結婚すれば、世帯年収は600万円になります。今の平均世帯年収の400万円台を軽く超えますし、子どもに高等教育を受けさせるにも十分な額です。ですから、女性は年収300万円を確保しつつ、年収300万円の男性と結婚して、出産後も仕事を辞めずに働き続ければいい」とアドバイスします。

 このような上野先生のアドバイスは、極めて矛盾しているように私には思えます。

 上野先生のおっしゃるとおり、「外食せずに家で鍋をつついて、100円レンタルのDVDを見て、ユニクロを着て」、同程度の年収の配偶者と結婚してなんとか生きていくこと。それはもちろん、配偶者が健康で働き続けることができれば、「十分に生きていけるし、幸せ」である(と考える人も多い)かもしれません(その場合、まさか上野先生は「塩漬けになってそのまま腐ってもったいない」などという評価は下されないだろうと信じます)。
 しかし、その生活は、いったん配偶者を失ったら、保つことができるものでしょうか。ましてや、子供がいた場合、配偶者を失ったときのリスクはどれほどのものでしょうか。
 そもそも、今の時代、年収300万円を得ることは、それほど簡単なことでしょうか。

 人ひとりが自分と家族を養えるだけの生活ができてこそ、人は男女問わず自立して人間らしい生き方ができるのだと私は思います。
 自分と扶養家族が、ひいては社会の構成員皆が、お腹を空かせることなく、あたたかいふとんで寝て、お互いに十分に語り合い、共に遊び、必要な教育や訓練を受けることができるだけのお金と時間を、男女問わずそれぞれ固有の権利として得られることを求めるのが、私にとってのフェミニズムだと思ってきましたが、上野さんにとってはそうではなかったのでしょうか。

 相手なしには生きていけないという状況を依存というのだと私は理解していますが、今回の記事において、上野さんは(異性間の)共依存関係を許容しているようにしか読めないのが、私にとってのいちばんの驚きでした。

 上野さんは以前『特集ワイド:言いたい! 「おひとりさま」か「婚活」か – 毎日jp(毎日新聞)』という記事で「誰が、何のために、婚活を促進したいと思っているんでしょう? 国が少子化を防ぐためなら、シングルでも安心して産み、子育てができる環境を整備してほしいものです。」と主張されていました。その主張と、今回の主張とは、まったく矛盾するものではないでしょうか。

 上野さんは常々、シスターフッド(女性どうしの共助)を好ましいものとして紹介されてきたと理解しています。依存ではない助け合いの関係というのは、女性どうしにとどまらず、非常に好ましいものであると私も考えていますが、上野さんはシスターフッド以外の共助関係、特に法律上の婚姻関係についてさほど肯定的であったという記憶がありません。

 最大限に今回の記事を善解すると、もしかしてついに上野さんは、その共助の枠を、女性どうしから法律上の婚姻関係にまで拡げられることとされたのでしょうか。だとすると、そのことがフェミニズムに及ぼす影響というのはかなり大きいと思います。
 今後の上野さんの言論についても、興味深く注目していきたいと思います。

3月 012014
 

 前回のエントリのあと、事態に少し変化があったようである。

 まず、株式会社ユーメイドから、具体的な経緯の説明とお詫びが発表された。
 それによると、ユーメイド社は、事前にツイッター社に企画趣旨と発刊可否の確認をメールで問い合わせており、それに対して以下の返答があったとのことだ。

たいへんお世話になっております。
このたびはご連絡をありがとうございます。

Twitter上のツイートを書籍などに利用される場合のガイドラインはこちらとなります。
https://support.twitter.com/articles/277644-#
こちらに沿った使い方をされるのであれば、まったく問題はありません。

また、タイトルなどをお決めになられる際、購入される方にTwitter, Inc.
の書籍ではないということがわかるようにしていただけると幸いです。
サービス名などの利用に関してはこちらをご参照くださいませ。
https://twitter.com/logo

他にもご不明な点がありましたら、ご遠慮無くお申し付け下さいませ。

Twitter
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 つまり、Twitter社はTwitter上で発信されたコンテンツを第三者が書籍等に利用する場合、「ブロードキャストでのツイート利用に関するガイドライン」に沿った使い方をするのであれば問題はない(ガイドラインの文言によれば「Twitterに連絡をする必要は」なく、「オリジナルのコンテンツ作成者の許可なしに」利用してよい)と考えているようである。当該ガイドラインにおける「ブロードキャスト」に書籍等も含まれると考えてよいことになる。

 ユーメイド社は、「本返答に基づき、弊社ではツイートの利用には問題がないと判断し、ガイドラインに沿った形で書籍化を進めるに至りました」と述べている。
 しかし、前回のエントリでも述べたように、このガイドラインにおいては、「すべきこと」として、各ツイートにユーザーの名前とユーザー名(@ユーザー名)を表示することが明示されている。
 そして、ユーザーの正体を削除、ユーザーを特定する情報を削除、改ざんしたり、不明瞭にしたりすることや、ツイートを匿名のまま掲載すること(ユーザーの安全性が懸念されるような場合を除く)は、「してはいけないこと」として明確に禁じられている。
 今回のケースは、このガイドラインに準拠しているようには見えない。

 したがって、今回のケースにおいて自らのコンテンツを不適切に利用されたと感じたユーザーの皆さんが、この説明とお詫びで納得されるとはあまり思えない(実際、当事者ユーザーのおひとりである@toppinpararinさんは、ユーメイド社に質問されたそうだ。“「アホ男子かるた」出版の件について。 – ユラフラグラのくに”(もっともこの質問の趣旨については、「Twitter社がそう決めたから」という答えにしかなりようがないと考えられるので、「ガイドラインに準拠していない」という点について問い合わせた方がよかったと思う))。

 ユーメイド社は、改めて各ユーザーに個別の許諾を得た上で、書籍の出版に取り組みたいと考えているようだが、「なぜ、当初問題となった書籍の形でガイドラインに準拠していると判断したのか」について、もう一歩踏み込んだ説明をした上で理解を求めるようにしたほうがいいのではないか。

 なお、このようなトラブルを未然に防止するためにも、Twitter社の日本法人は、日本の著作権法を考慮した「Twitter上のコンテンツの利用」に関する具体的な規約(必要であれば実例も添えて)を作成し、周知を図っておくべきだとも思う。

<追記>
 あとあと!
 もし著作権まわりで「他人の著作物を利用するにあたって、このまま進めていいのかな」「自分の著作物が不本意な利用のされ方をしていると思うんだけど、これっておかしいって言っていいのかな。どういうふうに(どういう問題に絞って)相手と交渉したらいいのかな」と思うことがあったら、弁護士さんに相談するもよし、ですが、弁理士(特許、実用新案、意匠、商標だけでなく、著作権にも詳しいです)にも相談してみてくださいね。

1月 302014
 

 Twitter上に投稿されたツイート(つぶやき)に漫画をつけてまとめた書籍「アホ男子かるた」が、無断転載であるとして、ネット上で騒動になっていた。

 TwitterのようなSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)を初めとして、インターネット上には、独創的な文章や絵などが、日々投稿されている。これらの投稿を、ただ時間とともに流れ去るままにしておくのは、いかにももったいない、書籍等の新しい作品として構成したい、という動きが出てくるのはごく自然なことだろう。インターネット上に投稿されたものを、別の形に構成することで、まったく新しい価値のある作品が生まれる可能性も大いにある。しかし、インターネット上に投稿する人の数は膨大で、そのほとんどが匿名であったり、アカウントが予告なく削除されることも多い。このような状況の中、最初に投稿した人の権利をどのように尊重するかが問題となる。

 多様な文化の発展のためには、著作物をできるだけ自由に利用できることが望ましいが、著作者の権利はしっかりと守られなければならない。
 今回の騒動には、著作物の自由な利用と著作者の権利との均衡という、著作権における根本的な問題が典型的に表れていると思うので、少し考えてみたい。

ことの経緯

 今回の騒動について、当事者のおひとりであるイシゲスズコさんが、ブログに詳しく書かれている。
「アホ男子かるた」出版の件 – スズコ、考える。

 簡単にまとめると、以下のような経緯であると理解している。

 2012年10月末ごろから、Twitter上で、息子たちのアホかわいらしい言動に悩んだり、なごんだりしているお母さんたちが、「#アホ男子母死亡かるた」というハッシュタグ(共通のテーマのようなもの)のもとに、さまざまなツイートを投稿していた。(「#アホ男子母死亡かるたまとめ」にまとめられている)

 およそ1年後、そのお母さんたちのひとりの甘井ネコさんに、これらのツイートをもとに、「アホ男子かるた」という書籍をつくってみないか、と、出版社(株式会社ユーメイド)から声がかかった。このあたりの経緯は、甘井ネコさんのブログ「「アホ男子かるた」の作り方」の「第03話 一年後の奇跡」に書かれている。

 甘井ネコさんご本人は、当然、オリジナルのツイートをした人たちの著作権の処理が気になり、出版社に確認されたそうだ。実際、甘井ネコさんは、騒動を受けて、

書籍化に際し、出版社さんのサイドで、Twitter社さん等の許可などはクリアされているという事で、このお話を受けた次第です。
http://twitter.com/amaineko3/status/427658810115624960

と話している。

 しかし、オリジナルのツイートをした人たちは書籍化について知らなかったため、書籍の発売直前に大騒動となった。

 書籍の紹介サイトを見ると、オリジナルのツイートをした人たちのアカウント名は一切記載されていない様子であることがわかる。また、甘井ネコさんご自身も、ご自分のツイッターで「我が家のアホ男子がモデルの漫画「アホ男子かるた」来年2月3日発売決定しました!」と告知している。
 これを見た人たちが、「私たちのツイートなのに、どういうこと?」と驚くのも無理はない。

 その上、書籍発売決定の告知とともに、編集部が「#アホ男子かるた」という新しいハッシュタグをつくって、twitter上で投稿を募り、オリジナルの「#アホ男子母死亡かるた」の投稿内容とは少しずつ表現が違う投稿を集めた新しいまとめがつくられていることもわかった(アホ男子・絵札|アホ男子かるた編集部のブログ)。ここで新しい投稿をした人たちは、甘井ネコさん以外は新しくつくられたアカウントのようだったらしい。

 このことから、オリジナルの「#アホ男子母死亡かるた」はなかったことにしつつ、オリジナルのツイートを少しずつ改変したツイートを書籍に収録しようとしているのではないか? とさらに非難の声が大きくなった。

 昨日夜遅く、出版社から、書籍の発売を無期延期とする旨の発表があった。
 この発表では、以下のように述べられている。

 ツイッター投稿者の皆様からの理解を得ないまま出版準備を進めておりましたことにより、投稿者の皆様に不快な思いを与えてしまったことにつきまして、深くお詫び申し上げます。

 本件に関する出版までの流れですが、企画段階において関係各所に問い合わせた結果、ブロードキャストでのツイート利用に関するガイドライン(https://support.twitter.com/articles/277644-#)に準拠した形での利用であれば問題は無いとの判断に至り、漫画家甘井ネコ先生に漫画の執筆をお願いすることとなりました。
 漫画を執筆いただいた甘井ネコ先生には、弊社の判断ミスにより多大なるご迷惑をお掛けいたしましたことをお詫び申し上げます。

 弊社と致しましては、事前にツイッター投稿者の皆様へ個別にご連絡をさせていただくことも検討いたしましたが、ツイッターの特性上、個別にご連絡を差し上げることが非常に困難であり、現実的ではないとの判断により弊社からの個別のご連絡を断念した次第です。

 末筆となりますが、本書の出版をお待ちいただいておりました皆様にご迷惑をお掛けいたしましたこと、重ねてお詫び申し上げます。


 一冊の本を発売直前まで仕上げるために、どれだけの労力と時間とお金が費やされたかを思うと、円満な形で解決していればよかったのに、と残念に思わざるを得ない。
 また、書籍化の経緯について疑念を発した人たちも、書籍化をまったく白紙に戻してほしいとまで願っていた人は少なかったのではないか。
 「無期延期」とのことなので、オリジナルのツイートをした人たちも納得できる形で、なんとか望ましい形に再構成できればいいのに、と一消費者としては思う。

 それにしても、どうしたらこのような事態を避けることができたのだろうか。以下で考察してみる。

ツイートを本にするために、投稿者に個別の許諾を得る必要はあるか

 Twitterの利用規約を見てみると、第5条「ユーザーの権利」の以下の個所が関連しそうだ。

ユーザーは、本サービス上にまたは本サービスを介して、自ら送信、投稿、または表示するあらゆるコンテンツに対する権利を留保するものとします。ユーザーは、本サービス上にまたは本サービスを介してコンテンツを送信、投稿、表示することをもって、媒体または配布方法(既知のまたは今後開発されるもの)を問わず、かかるコンテンツを使用、コピー、複製、処理、改変、修正、公表、送信、表示および配布するための、世界的な非排他的ライセンスを(サブライセンスを許諾する権利と共に)当社に対して無償で許諾するものとします。

ユーザーは、このライセンスに、Twitterが本サービスを提供、宣伝および向上させるための権利が含まれること、ならびにコンテンツ利用に関する当社の条件に従うことを前提として、本サービスに対しまたは本サービスを介して送信したコンテンツを、他の媒体やサービスで配給、配信、配布または公表することを目的として、当社のパートナーとなっている他の会社、組織または個人に対して提供する権利が含まれることに、同意したものとします。

Twitter、またはTwitterのパートナーとなっている他の会社、組織または個人は、本サービスを介してユーザーが送信、投稿、転送または提供するコンテンツについて、ユーザーに報酬を支払うことなく上記のように追加的に利用できるものとします。


 この規定を素直に読めば、ユーザーは、ツイート内容(コンテンツ)の著作権をもっている。それと同時に、ユーザーは、コンテンツを利用するためのライセンスをTwitter社に対して無償で許諾している。さらに、コンテンツを利用するためのライセンスを、別の第三者に対してTwitter社が許諾する権利(サブライセンス)も許諾している、と読める。

 つまり、Twitter社は、特にユーザーの許諾を得ることなく、ユーザーのツイートを利用することができる。そして、第三者も、Twitter社の許諾を得さえすれば、個別のユーザーの許諾を得ることなく、ユーザーのツイートを利用することができそうだ。このこと自体は、著作物の利用をより自由に、簡便にするものとして、私自身は好ましい方針であると思っている。

 今回のケースでは、オリジナルの「#アホ男子母死亡かるた」のツイートを書籍化することについて、出版社がTwitter社から許諾を得ていたとすれば、個別のユーザーに連絡を取ることまでは求められていなかったはずなのだ。

 本来、Twitterのユーザー一人一人がこの規約について理解しているべきなのだが、実際、なかなか難しいことだろうと思う。

 出版社側は、書籍化が決定した段階で、オリジナルのハッシュタグをつけてTwitter上で書籍化を告知している(アホ男子かるた – Togetter)。つまり、オリジナルのツイートをした人たちにも書籍化の方針を伝える意図があったと見えなくもない。この段階で個別の許諾の必要性についても説明していれば(必要があれば編集部ブログ等でも)、オリジナルの投稿者たちの多くにも早い段階で周知できただろうし、ここまでの騒動にはならなかったのではないか。

ほかに問題点はないか

 ただし、日本の著作権法では、著作者には、著作者人格権という権利が認められているので、注意する必要がある。

 たとえば、著作者人格権のうち、氏名表示権(著作物に、氏名(実名でも変名でもよい)を著作者名として表示するかしないかを決められる権利)については、オリジナルの投稿者のアカウント名等をあらかじめ表示しておくという対応をしておけばよかった。オリジナルのツイートはアカウント名を表示してなされているので、投稿者には「氏名を表示したい意思がある」との推定してよさそうだからだ。しかし、今回のケースの書籍では、投稿者のアカウント名は、甘井ネコさん以外は表示されていないように見える。この点はうまくなかったと思う。

 また、著作者人格権のうち、同一性保持権(著作者の意に反して改変を受けない権利)については、オリジナルのツイートの表現を変える場合は、あらかじめオリジナルの投稿者の許諾を得ておくのが無難だろう。
 今回のケースにおいて、オリジナルの表現を少し変えたように見えるツイートのまとめをつくり、それらのツイートを収録する、というような工程を経たのは、どのような意図があったのかはわからないが、やはりうまくなかったと思う。

 また、Twitterのユーザー側も、利用規約に同意してTwitterを利用している以上、「自分に直接の連絡がなかったのに、”勝手に”自分のツイートが利用されている! 著作権侵害だ!」と焦るべきではない。
 自分のツイートを利用した人や会社がTwitter社にツイートの利用許諾を得ているかどうか、きちんと確認してから抗議しても遅くはないはずだ(今回のケースでは、オリジナルの投稿者の一人であるイシゲスズコさんは、最初にTwitter社に確認しようとされていたが、返事を得られなかったようだ。会社に直接聞いた方が早かったかもしれない)

 ところで、今回のケースにおいて、出版社側は

企画段階において関係各所に問い合わせた結果、ブロードキャストでのツイート利用に関するガイドライン(https://support.twitter.com/articles/277644-#)に準拠した形での利用であれば問題は無いとの判断に至り


と述べている。この点が少し不思議である。

 当該ガイドラインでは、Twitterにおけるブロードキャストについて、

以下を含みますが、この限りではありません。メディアが提供する(全ての形態のテレビ、ラジオ、衛星放送、インターネットプロトコル、ビデオ、専用の無線ネットワーク、インターネット販売など)全てのツイートの展示、配布、放送、複製(再生)、公共パフォーマンス、その他一般に公開されるものです。これは既存のもの、現在開発中のものを問いません。


と規定されている。

 これを素直に読むと、このガイドラインは放送や有線放送、自動公衆送信のような公衆送信によるツイートの利用を意図しているようにも思える。しかし、ここで規定される「メディアが提供する一般に公開されるもの」から、紙媒体の書籍が明確に排除されているとも断言することはできない。したがって、仮に、書籍についてもこのガイドラインに準拠した形でツイートを利用できるとして考えてみよう。

 この場合、確かに、ガイドラインに従っていさえすれば、特定の場合(広告や、製品・サービスの保証のためにツイートを利用する場合)を除いて、Twitter社やオリジナルの投稿者の許諾を得る必要はない、という規定になっている。

 しかし、このガイドラインにおいては、「すべきこと」として、各ツイートにユーザーの名前とユーザー名(@ユーザー名)を表示することが明示されている。
 そして、ユーザーの正体を削除、ユーザーを特定する情報を削除、改ざんしたり、不明瞭にしたりすることや、ツイートを匿名のまま掲載すること(ユーザーの安全性が懸念されるような場合を除く)は、「してはいけないこと」として明確に禁じられている。

 今回のケースは、このガイドラインに準拠しているようには見えない。
 どの点をもって、「このガイドラインに準拠している」と判断したのか、また、問い合わせをした「関係各所」とはどこなのか、差し支えのない範囲で公開した方が、理解が得られやすいように思う。
 たとえばTwitter社に問い合わせてOKが出たのなら、そのことをはっきりと述べておいた方が、よけいな詮索を招かなくて済むのではないだろうか。

Twitter上のコンテンツを利用して新しい作品をつくることには、常に炎上リスクが伴うのか

 このような騒動があると、Twitterのようなインターネット上のコンテンツを利用して新しい作品をつくることはリスクが高いのではないか、と心配される向きもあるかもしれない。
 特に規模の小さな出版社等であれば、多大な労力と費用をかけてつくった作品が、数日の炎上でおじゃんになってしまうことのダメージは極めて大きい。
 その意味で、対応を誤ったときのリスクは非常に大きいと言えそうだ。

 しかし、今回のケースは「よりよい対応」が(事後的ではあるが)いくつも思いつくものではある。したがって、Twitter等のインターネット上のコンテンツを利用して新しい作品をつくろうとする場合に、常に今回と同程度のリスクがある、とまでは私は思わない。

 インターネットコンテンツの成長は著しく、エキサイティングだ。一年後、もしかすると数ヶ月後でさえも、どのようなコンテンツが登場するか、正確に予測することのできる人はいないだろう。それらのコンテンツを利用して、今は予想もできない価値のある作品を新たに生み出すことができるかもしれない。

 コンテンツの利用者と提供者が最大限の利益を得ることができるシステムをさらに改良していくことによって、ますますおもしろいものが自由につくれる世界になっていくといいと思っている。

追記:Twitterのコンテンツの二次利用は、APIを使用した場合に限られるのか

 この記事に関し、「Twitter社APIに関する規約を「投稿の利用」って読んじゃうと起きる誤解。」とのご指摘をいただきました。
 このご指摘のほかにも、「Twitterのコンテンツの二次利用についてユーザーが許諾を与えたのは、APIを使用した場合に限られる」と解釈できるとお考えの方もいらっしゃるようですので、以下に私の考えを述べておきたいと思います。

 「Twitterのコンテンツの二次利用についてユーザーが許諾を与えたのは、APIを使用した場合に限られる」という解釈の根拠は、Twitterの利用規約の第5条の中に「ヒント(原文では”Tips”)」として挿入されている以下の内容ではないかと思います。

Twitterは、エコシステムパートナーによるユーザーのコンテンツの取扱いについて、進化し続けるルールを定めています。これらのルールは、ユーザーの権利を尊重しつつオープンなエコシステムを実現するためのものです。ただし、ユーザーのコンテンツをユーザー自身が所有していることには変わりありません-ユーザーのコンテンツ(コンテンツには写真も含まれます)の所有権はユーザーにあります。


このヒントの中の「進化し続けるルール」として、「Developer Rules of the Road」というAPIを使用してTwitterのコンテンツを利用する場合のルールにリンクが貼られています。
 このことから、Twitterのコンテンツを二次利用することができるという許諾をTwitter社から与えられているのは、APIを使用したサービスを提供する「エコシステムパートナー」のみである、と解釈されたものと考えます。

 しかし、この解釈に依存して実際の紛争に臨むのは、あまり得策ではないように思います。たとえば、以下のように反論されたらどうでしょうか。

 ユーザーの権利に関する原則は、あくまで、第5条の第1パラグラフにおけるサブライセンスに関する規定にあると読むべきである。
 エコシステムパートナーに関する記載は「Tips」として挙げられていることから、APIを使用した場合を代表的な事例としてTwitter社は想定しているようだ、ということは読み取れても、サブライセンスの許諾先を、このヒント中のエコシステムパートナーのみに限定した、と読むことには無理がある。(このTipsの直前の規約本文の中に、「他の媒体やサービスで配給、配信、配布または公表することを目的として、当社のパートナーとなっている他の会社、組織または個人に対して提供する権利が含まれることに、同意したものとします」との記載があるが、この「パートナー」イコール「エコシステムパートナー」と断定することにも無理がある)
 そして、書籍においてTwitterのコンテンツを利用する場合が明示的に除かれていないことからも、「Twitterのコンテンツの二次利用についてユーザーが許諾を与えたのは、APIを使用した場合に限られる」とは言えない。

 この反論に立ち向かうことがまったく不可能であるとは思いませんが、相当に困難なのではないでしょうか。
 あえて困難な路線を選ぶよりも、より確実にユーザーの権利を守ることのできる方向で戦ったほうが得策ではないかと思います。

 

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