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島根半島ぐるり一周の旅(二日目)

 旅の一日目はこちら。
blog.ihatovo.com

 二日目は、美保関灯台→出雲大社→日御碕→玉造温泉とめぐりました。

美保館の朝

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 旅行二日目の朝は、目の前の港で水揚げ作業が行われている活気ある物音で目が覚めました。

 朝食は、明治時代から  残る本館でいただきます。
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 吹き抜けから差し込む朝の光が美しい建物です。

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 多くの文豪たちも訪れたというこの旅館。どんな会話が交わされていたのでしょうね。

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 朝食のメニューは、内子たっぷり親ガニ(セコガニ)の味噌汁、新鮮でぴかぴかなイカの刺身、小鯵のみりん干し、温かいおかゆ、などなど。起き抜けのおなかに優しい、たまらないおいしさでした。
 
 さて、おなかもいっぱいになったところで、お世話になった美保館さんに別れを告げ、美保関灯台を目指します。

美保関灯台

 美保館から車で少し走ると、島根半島の東の端、美保関灯台があります。
 駐車場の近くでは、ウグイスが懸命に鳴く練習をしていました。子供がおもしろがって鳴きまねをしていたら、閉口したのか、ぴたっと鳴くのをやめてしまって、おもしろいやら、ちょっとかわいそうになったやら。

 駐車場からしばらく歩くと、灯台に到着。
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 明治時代に建てられたものだそうで、普段は中に入ることはできませんが、真っ白で美しい姿を見ているだけでも飽きません。
 ここで日の出を見たら、きっと美しかっただろうなあ、とちょっと心残りでした。

 さて、ここからはちょっと長いドライブ。国道431号線沿いに、中海の北をとおり、松江市街を抜けて、宍道湖の北をとおって、一路西へ。出雲大社に向かいます。
 このルートの魅力は、湖のすぐ近くを走れること。そして、可愛らしい車両で有名な一畑電車と並走できちゃうことです。このときは、島根県のゆるキャラ・しまねっこのラッピング電車が走っていました。

 言い忘れていましたが、この旅行で私はカメラマンとドライバーの両方を務めていたので、車移動中の写真はありません。残念!

出雲大社

 風は強かったものの、スムーズに走って、お昼ごろには出雲大社に到着しました。
 この日は朝から暖かく、桜が一気に咲き始めていました。
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 どん。

 広い境内をもっとお散歩しようかと思ったのですが、子供がおなかすいたおなかすいたおそばおそばおそば食べようと騒ぐので、お昼にすることに。
 割子そば、おいしかったです。

 ちょっと休憩したあとは、島根半島の西の端、日御碕へ向かいます。
 

日御碕

 日御碕といえば灯台とウミネコが有名ですが、小さいころ、親に連れられてきた私は、夢中でウミネコの鳴きまねをして遊んでいたんだとか。
 美保関灯台でウグイスの鳴きまねをして遊んでた子供と、やってることは変わらないですね。
 その昔、私にさんざん鳴きまねされたウミネコも、さぞ迷惑だったことでしょう。この場を借りて謝ります。

 さて、日御碕灯台です。
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 灯塔の高さが日本一というこの灯台。なんと、内部のらせん階段(163段!)を使って、てっぺんまで登れちゃいます。
 よし。登ろう。

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 よいしょ。

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 よいしょ。

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 よいしょ。

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 キターーー! ……って

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 風、強っ!
 ぐるりと外のバルコニー(?)を一周しようかと思いましたが、あまりの風の強さにくじけて、早々に退却。
 ふたたび163段の階段を下りて、地上に戻ってきたのでした。

 うん。楽しかった。

 だいぶ冷えたので、近くの喫茶店でコーヒータイム。
 休憩したら、ぼちぼち宿に向かいます。この日の宿は、玉造温泉。

玉造温泉

 日御碕から、稲佐の浜を眺めつつ南に下り、山陰自動車道に乗って、夕方4時半ごろには、玉造温泉の宿・佳翠苑 皆美に到着。

 さあ、温泉ですよ!

 露天風呂付き大浴場のほかに、展望露天風呂や足湯もあって、お風呂めぐりしているだけでも楽しいお宿です。
 女性には、かわいらしい浴衣の貸し出しもあります。

 ゆっくり温泉を楽しんだ後は、待望のお食事。鯛めしつき。
 この日の献立はこんな感じでした。
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 どれもこれもおいしい! 

 さて、夕食後は、ぶらりとお散歩に出てみました。
 夜のお散歩用には提灯を貸してくださいます。行きかう人たちが皆さん提灯をさげて歩いている様子は、なんとも風情のあるものでした。

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 三日目、最終日は松江城に行きます。
 三日目に続く。

島根半島ぐるり一周の旅(一日目)

旅の始まり

 3月の終わり、二泊三日でのんびり島根半島を一周してきました。

 きっかけは、水木しげるさんと荒俣宏さんという最強コンビが出雲を巡る、異色の(異世界の?)旅番組「水木しげる93歳の探検記~妖怪と暮らした出雲国~/山陰放送」を見たことです。
 水木さんが生まれた鳥取県の境港から、堺水道を渡って向かい側の島根半島を訪れ、幼いころの水木さんとのんのんばあとの思い出をたどる旅。
 子供のころも今も妖怪大好き、水木さん大好きな私には、たまらないおもしろさでした。

 実は父が島根県の出身なのですが、そういえば島根半島の東のほうはよく知らないな、フハッ、これは行ってみたいナ! というわけで、行ってきましたよ!

一日目(境港→水木しげるロード→美保関)

 出発もゆっくり、12時35分羽田発の飛行機で、13時55分に米子鬼太郎空港着。
 レンタカーを借りて、まずは水木しげるロードを目指します。20分くらい走って……

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 来たぞ! 近くの駐車場に車を置いて、お散歩開始。

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 お店というお店が妖怪にまみれてる。もちろん、妖怪ブロンズ像もたくさん。
 足元を見ても
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 いるね。
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 ATMの注意喚起も行き届いてる。
 
 子供は妖怪スタンプラリーに夢中、大人は焼き立てのおせんべいなど食べ歩きつつ、水木しげる記念館へ。
 水木さんがこれまで描かれた膨大な漫画のうち、いくつかの漫画を試し読みできるコーナーが楽しかったです。
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 お庭はどこかにつながっているらしい。

 記念館を出て、おみやげを物色しつつ、来た道をぶらぶら戻ります。
 水木しげるロードを一本外れると、そこはすぐ堺水道。
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 さて、向かい側の島根県に渡りますよ。目的地は、半島の東端、美保関です。

 水木さんと荒俣さんは船で渡っていらっしゃいましたが、私たちは車で一気に渡ります。
 そして、海沿いの一本道をのんびり走りながら、宿泊先の美保館を目指します。

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 夕方5時半前には到着。静かな港町です。
 夕食前に、ちょっとお散歩してみましょう。

 宿のすぐ近くには、事代主神(ことしろぬしのかみ。えびす様)をおまつりしている美保神社があります。
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 事代主神は、出雲大社の祭神・大国主命(おおくにぬしのみこと。大黒様)の子供にあたります。美保神社と出雲大社の両方に「両参り」することで、ご利益が倍増するのだとか。

 美保神社を出て、すぐの道を一本入ると、そこは「青石畳通り」。
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 江戸時代の昔から北前船の寄港地として栄えた歓楽街の雰囲気を、静かに湛えています。この石畳は、雨に濡れると青く光って美しいのだそうです。

 明治時代にここを訪れた、数多くの文人墨客の歌碑や句碑も残されています。
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 こちらは、だいぶやる気が少なめな感じのおふたり。

 宿に戻って、ゆっくりとお風呂につかり、海の幸満載のお夕食をいただいて、早々と就寝しました。
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 翌日は、美保関灯台から出雲大社を目指します。
 二日目につづく。

桜散歩

東京では、明日、3月21日が桜の開花予想日です。
近所の桜(ソメイヨシノ)はどんな感じかな? と見に行ってみました。

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だいぶ芽がふくらんできてますね。

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木によっては、ちらほら花が咲きかけている枝も。

今日も暖かかったので、明日になったら、また一気に開花が進みそうですね。


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桜以外の花もたくさん咲き始めていて、そろそろ春が本格的にやってきそうな雰囲気です。

新しい生活のスタートを切る方々も、いつもどおりの方々も、気持ちのいい春になりますように。

紙の日記をつけ始めた

 1月も20日を過ぎたところで、あけましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願い申し上げます。

 気がつけば、子供もこの春から小学校4年生。
 小学生の親を3年間やってみて、予想よりはるかに多くの貴重な経験をすることができています。
 仕事と親業の両立についても、自分のキャリア形成についても、そして家族と地域のあり方についても。
 これらについては、今年、おいおい書いていくことができればと思います。

 さて、私もずいぶん大人になったなと思うことのひとつに、感じたことや思ったことをすぐにネットに垂れ流さなくなった、ということがあります(決してブログを更新していない言い訳ではあ……る……かもしれませんが、それだけではありません)。
 とはいえ、まったく何もアウトプットしないと、「考える」ということ自体がおろそかになり、漫然と本やネットの上澄みをすくって終わり、ということになりがちでした。

 そこで1月(正確には正月明け)から、紙の日記をつけ始めています。

 私の背中を後押ししてくれたのは、この記事
kobe-nagasawa.co.jp
 でした。

 小学生~高校生くらいまでの間は、わりとマメに大学ノートなどに日記をつけていたのですが、博文館さんの当用日記を使うのは初めてです。
 書き始めたら止まらなくなるだろうと思って、たっぷり書ける大型当用日記にしてみたのですが、これが大正解。その日にしたこと、読んだ本、食べたもの、子供のできごと、所感などをしっかり書くことができます。
 一方、一日あたりのスペースが限られているので、さほど身構えずに、つぶやくように、「これは書いておこうかな」程度のことを気楽に書き留めておくことも可能。文字制限のあるツイッターのようなものですね。 
 とりあえず10日以上は続いています。

 3日以上続いたことに気をよくし、そして、やっぱりしっかり考えたいテーマについては制限のないスペースもほしいな、とも思い、つい自由日記も買い足してしまった始末。こちらは「補遺」的に使っています。

 今年は、紙で考え、その後に公表する、みたいな形を試してみようかと思っていますが、果たしてどうなりますか。

 今年もあたたかく見守っていただければ幸いです。

この夏、子供と見に行ったお芝居2つ

 私が子供のころから親しんでいる繁華街が池袋なのですが、池袋のある豊島区は演劇の街でもあります*1。そんな池袋で、子供向けの楽しいお芝居を2つ見てきましたよ。

子供のためのシェイクスピア 「ロミオとジュリエット」@あうるすぽっと

 
 子供のためのシェイクスピアは、もう20年くらい続いている人気のシリーズです。「子供のための」と言いながら、子供騙しでない、きわめて本格的なシェイクスピアの舞台を見ることができます。

 今回は「ロミオとジュリエット」。少し早めに着席したところ、カンパニーの皆さんによる歌と踊りのサービスがあって、子供はびっくり。大喜びでした。

 舞台はとてもシンプルで、古い学校にあるような木の机と椅子を組み替えることだけによって装置が作られていきます。
 わずか9人の役者さんたちがそれぞれ何役も演じるのがみごとですが、10人目の役者かもしれない操り人形(シェイクスピアそっくり!)もまた、チャーミングな食わせものでした。

 笑劇的要素は現代的で軽妙なやりとりにアレンジされています(「マーキューシオが塩をまーきゅーしお」と言ったダジャレもまじえて)。しかし、悲劇として大切なシーンでは、子供には難しいだろうと思われる言葉でも、美しい言葉がしっかりと使われています。

 決闘シーンも見せ場ですが、迫力ある華麗なアクションで、子供もくぎ付けになっていました。
 
 有名なラストシーンは、ジュリエットがはっきりと自分の胸を刺してその場に倒れ伏す、というものではなく、とても印象的な演出がされていました。

 もう全国ツアーも終わったようなのでネタバレをしてしまいますが、暗い墓の中、操り人形のシェイクスピア(?)に短刀を渡されたジュリエットは、次第に大きくなるトルコ軍隊行進曲に合わせて、舞台奥から差してくる強い光に向かって歩き出すのです。
 その光の中では、ロミオが子供のように嬉しそうに手を振り、飛び跳ねながら、ジュリエットを待っています。
 ジュリエットが歩みを進め、音楽が最高潮に達したとたん、舞台は一気に暗転。もう一度明るくなったときには、ロミオとジュリエットが石像のような姿で向かい合っています。

 死後のジュリエットとロミオに救いを与えたとも見えます。しかし、その救いの光景はまた、死に瀕したジュリエットが見た幻影のようでもあります。たとえ幻影でなかったとしても、そのような救いが現世では得られなかったということは、観客の誰もが知っています。
 救いの光景の楽しさや輝かしさが増すほど、悲劇性が強く感じられるものとなっていると思いました。

「気づかいルーシー」@東京芸術劇場シアターイースト

 もう、誰もむかなくていい。もう、誰もむかれなくていい。万歳、万歳!
Amazon.co.jp: 気づかいルーシー: 松尾スズキ: 本

 松尾スズキさんの絵本「気づかいルーシー」をもとにつくられた音楽劇です。
 
 ルーシーというかわいい少女が、おじいさんと馬と一緒に楽しく暮らしていたのですが、あるとき、馬と出かけたおじいさんは馬から落ちて死んでしまいます(死んでいない)。
 ルーシーが悲しむだろうと思った馬は、おじいさんの皮をむいてかぶり、おじいさんのふりをして家に帰ります。
 ルーシーは、そのおじいさんが馬であることにマッハで気づきます。しかし、馬の気づかいを無駄にしてはいけないと気をつかって、だまされたふりをし続けます。中身だけのおじいさんは、二人に気をつかってその様子を見守ります。そして……?!

 という、とんでもなくヘンテコなストーリーなのですが、そのヘンテコさをよくぞここまで生かして素敵なお芝居にしてくださったものだと思いました。
 どちらかといえば大人向けのテーマとシュールな設定にもかかわらず、子供の好きなもの(ギャグ、かけあい、歌、下ネタ、怖いもの、キモいもの)全部入りという素晴らしさ。

 音楽劇なので、楽しい歌がたくさん出てくるのはもちろん、なんと、舞台上にいろいろな楽器が置いてあって、音楽家さんの田中馨さんと森ゆにさんが、最初から最後まで生演奏してくださるのです。実に贅沢。
 
 そして、どのキャストも、「この方でなければ」というハマりっぷり。

 この上なくルーシーらしいルーシーの岸井ゆきのさんの元気なかわいらしさ。
 ちょっと残念なイケメン王子の栗原類さんの王子っぷり。
 様々な役を演じた上に、最後にあっと驚く役として出てくる川上友里さんと山口航太さんの大活躍。
 いろんなものをかぶったりむいたりかぶったりして文字通り大汗をかきつつ、子供たちの人気を集めた馬の山中崇さん。
 そして、ずっとむかれたままでかわいそうなのに、ダンスでは素晴らしい動きのキレを見せつけたおじいさんの小野寺修二さん。

 客席の子供たちも、もちろん大人も、終始大爆笑していて、実に楽しい舞台でした。
 
 

*1:毎年九月には、「池袋演劇祭」も開催されます。

「小1の壁」についての個人的経験

 ここのところ私以上にスプラトゥーンにハマってる畏友 id:kobeni_08 が、「結局、『壁は塗って登る』言いたいだけちゃうんかーい」という素敵な記事next.rikunabi.com
を書いていたので、子供がもう小学校3年生になった私も、ちょっと「小1の壁*1」について思い出してみました。
 ちなみに、子供は地元の公立小学校に通っています。

実際、「小1の壁」はあったか

 実際のところ、「壁」というほどの大変さではなかったように(当時は)感じました。

 公設の学童保育クラブが学校内にあり、しかも預かり時間が、基本午後6時まで、延長は午後7時まで可(直前の連絡でもよい)という環境だったので、保育園のころとさほど変わらないお迎え時間で済んだことが大きかったのだと思います。また、子供も学童保育クラブにとても馴染んでいました。
 
 また、子供の学校の持ち物や連絡についても、
・学校からの配布物はすべて、連絡帳と一緒にファスナー付きの「連絡袋」に入れて持ち帰るよう指導されている(プリント類がランドセルの底でぐちゃぐちゃになるようなことがない)
・連絡帳は児童が書いたら先生がチェックしてくださる
・図工等で必要になる材料や集金については、遅くとも1週間前には知らせていただける(基本的に、月初めのクラス便り等に書いてある)
・下校時間や行事予定を含む月間予定表が、毎月初めに配られるクラス便りや学校便りに書いてある
など、かなり行き届いた配慮が学校側からされているので、負担になりませんでした。

 PTA活動も、負担でないと言えばウソになりますが、共働き家庭が比較的多い地域のためか、わりとスムーズに運営されていて、楽しく有意義に活動できていると思います。地域とのつながりが強くなったメリットもかなり感じています。*2

 ……といった感じだったので、「小1の壁コワいコワいどんだけ大変なの〜」と身構えていたわりに(むしろ身構えていたからこそ?)、拍子抜けというくらい、低い壁に感じられました。

それでは、保育園→小学校の変化は楽勝なのか

 楽勝か、と言われると決してそんなことはなく、むしろ、「公的なシステム」がどうであろうと自分(夫婦)と子供とでなんとかしていかなくてはいけないあれこれが大変だったように思います。

 まず、kobeniさんの記事にも書かれていましたが、子供が精神的に一気に成長すること、子供どうしの人間関係が複雑化することで、子供に向き合う時間が格段に増えました。
 べったり一緒にいたり、長時間話したりする時間もそうですが、何より、少し距離を置いたところで、見るともなく見ていて、何かあったら(ありそうだったら)さりげなく声をかけたり手を差し伸べたりする、というような「待ち」の時間がとても増えます。
 この「待ち」の時間を取れるように開き直ってしまうまでが大変でした。
 もっとも、開き直ってしまえば、もう幼児ではなくなりつつある子供と一緒に悩んだり、喜んだり、成長していくことができるという経験が得られるわけで、これは「乗り越えてよかった壁」だったと思います。

 また、実務的な話としては、登校班の付き添い、保護者会・面談出席、PTA活動、宿題や家庭学習のケア、持ち物管理、習い事のケア(それに関連する人の手配含む)、お友達づきあいのあれこれ、等々を、私が一手に引き受けることになったので、その負担増はかなり大変でした。
 これについては、「夫に当事者意識ややる気がない」というようなわけでは決してなく、基本的に小学生周りのあれこれが圧倒的な女性社会で運営されていて、男性が入るには敷居が高すぎるというのが最大の問題なのだと思います。
 そして、先生やほかの保護者、地域の方々とのつながりを日々、夫婦揃ってメンテナンスしていく、というのは相当に労力が必要です。どうしても、メインの窓口となる夫婦の片方(我が家の場合は私)に集約したほうが、少なくとも短期的には効率的になってしまうのです。

 こういった、「公的なシステム」がどうであろうと自分(夫婦)と子供とでなんとかしていかなくてはいけないあれこれ、というのが、実はいちばん考えていておもしろいテーマだなと最近は思っています。
 大変だからなくしたらいい! というわけでもなく、なくしてしまったら困るから問答無用で文句は許さない! というわけでもないあれこれ、と言い換えたらいいでしょうか。
 そういうあれこれを、いろんな角度から、いろんな人があーだこーだ言い合っていくのをたくさん聞けると、そのうち何かいい知恵が出たりしないかな、と思ったりしています。

 
 

*1:なお、Twitter等で言葉の定義がちょっと紛糾していましたが、「小1の壁」はこの記事で書かれているような主に(共働き)親の問題、「小1プロブレム」は子供が学校にうまく適応できないという主に子供や学校の問題、と理解しています。

*2:去年からは本部役員をやっていますが、そのうち詳しく書くことがあるかもしれません

岸政彦「断片的なものの社会学」

断片的なものの社会学

断片的なものの社会学

 朝日出版社第二編集部ブログの連載を楽しみに読んでいました。その連載の内容に、いくつかの書き下ろしなどが加えられたものが本書です。
 
 社会学者の岸政彦さんが、フィールドワークの中で聞き取ってきた人々の語りやエピソードのうち、理解も解釈もすり抜けてこぼれ落ちた、しかしそれでもなお印象的な、数々の「断片」があつめられています。

 社会学者として、語りを分析することは、とても大切な仕事だ。しかし、本書では、私がどうしても分析も解釈もできないことをできるだけ集めて、それを言葉にしていきたいと思う。

 読後感を一言で表すのがとても難しいのですが、なんとも不思議な心地よさがある本です。その心地よさはどこから来るのでしょう。

 社会学者のお仕事には及びもつかないレベルながら、私は私の日常において経験したことがらについて、自分なりの分析や解釈を日々行って生きています。
 ただ、その分析や解釈の多くは、「このことがらにはこういう特徴があるから、この箱に入れよう」と手っ取り早くラベルをつけて、手持ちの類型にむりやり放り込もうとする作業でしかありません。
 どの類型にも押し込められるべきものではないことがらや、分類作業の手をすり抜けてこぼれ落ちたことがらもたくさんあったはずです。
 そして、何かの折に、そういったことがらのどれかをふと思い出し、それをゆっくりと手の中であたためて大事に眺めていることができなかったことに、なんとはなしの悔恨や痛みのようなものをおぼえ、また忘れていく、というようなこともあったように思います。

 本書で岸さんがあつめた「断片」は、当然のことながら、私が忘れ去っていた(見ないことにしていた)ことがらとはまったく違うし、重なるところもなさそうなものばかりです。
 でも、なぜか、岸さんが再現して語り直した「断片」を聞くことで、私が何かを忘れ去っていた悔恨や痛みが慰められたような気持ちになります。
 本書の不思議な心地よさは、その慰めから来るものなのかもしれません。