#kodomo 語録

Twitterでは、つぶやきにタグをつけて、話題を共有することができます(ハッシュタグ)。
こども関連の話題を共有したいな、と思ってつくったのが「#kodomo」。瞬く間に広まって、嬉しいかぎり。
育児中のお父さんお母さんたちがつぶやく、ちょっとした子供のことばや行動、それにまつわる親御さんたちの思いを見るのが好きです。

その中で、私がつぶやいたものを拾い出して、思い返してみます。

親切心……?2009年09月19日

みかんを2つもってきて「おいしそうなほう、ままにあげるね」とくれたので、喜んで皮をむいたら、「じゃあ、むすめちゃんのと、こうかんこうかん、しよっか!」

このほかに、「むすめちゃんが、そのおにもつ、もってあげる! (荷物をもって)じゃ、だっこして!」というバージョンの親切もあります。


おねえさんふう2009年10月05日

娘と遊びながら「ちょっとお鍋見てくる」と立ち上がったら、「ん? ついてってあげようか? これであんしんだよ。むすめちゃん、まだとちゅうなんだけどね」と、えらいこと恩を着せられた。つーか一人で遊んでくれればいちばん恩に着ますが。

園では、わりとおねえさん役を買って出ることが多い娘ですが、家ではとても甘えんぼう。
おねえさん意識と幼児の気持ちが絶妙に混ざった振る舞いが楽しいです。


生命力2009年11月26日

家に帰ってみたら、「クリスマスになったらね」という約束だったはずのトーマスの缶入りおもちゃを振りかざした娘が、「くりすますのまえに、ぱぱにかってもらったー!」と、満面の笑顔で出迎えてくれた。交渉相手をよく知っておるな。

ママに叱られたらパパに、パパがいないときはママに、それでもダメなときはおばあちゃんやおじいちゃんに、と使い分けています。
あちこちに逃げ場があるのはいいことだ、とありがたく思っています。


想像力…なのか?2009年12月05日

子供が新聞を切り刻んだものを使って「とーますのかみしばい」をしてくれたのだが、「すると、つぎのあさ、いちばんせんに、しんじゅくゆきがまいりました」とか「そして、えみりーは、とーますにとびかかりました」とか、やたらとカオスなストーリー展開であった。

ぶつぶつ言いながら遊んでいるときというのは、たいてい突拍子もない「むすめちゃんワールド」が展開されているので、楽しみに待ち構えているのですが、大人が聞き耳を立てると、なかなか聞かせてくれません。


シンガーソングライター2009年12月19日

ゆず湯用のゆずを手に持って、自作の歌をひとくさり披露したあと「もっかいききたい?」と言うので、ぜひお願いしますとリクエストしたところ、「ゆーずちゃん♪……いっかいでおしまいにします」……再現できなかったらしい。

好き勝手な歌をつくって歌うのもお得意。


商売人2009年12月27日

食べていたいちごの最後の1個を落としてしまった子供。「いちごない!」「なんでなくなったのかな?」「あのね、いっこ、おとしちゃったから(上目遣いで)」「ほほう。それで?(にやにや)」「くーだーさい!」「いくつ?」「みっつ!!」……増えとるがな。

これは、「いくつ?」と聞いた私が甘かった。


言われてみれば2010年01月10日

子供のほっぺを「すべすべで気持ちいいねー」とむにむにしていたら、「どろだんごみたい?」と言われた。

確かにどろだんごはすべすべのむにむにですな。


ときには詩人2010年02月01日

「ゆきがおにごっこしてるね!」

東京で、今シーズン初の積雪が見られた日、窓から降りしきる雪を見ながら、こんなことを言っていました。


上野動物園で2010年02月07日

「ママ、見える? あそこにいるよ。あのメロンパンみたいなやつ!」見えます見えます、アルマジロのお尻が。

33年間生きてきましたが、アルマジロのお尻をメロンパンにたとえた人には初めて出会いました。

リアル「鳩カフェ」に応募してみました

 鳩山総理が、民間の声を直接聞く「リアル鳩カフェ」を開催されるとのこと(第1回リアル鳩カフェについて)で、応募してみました。

 第一回は、これからの日本を担う子どもたちの育つ環境などについての「子育てカフェ」だそうです。
 所定の質問事項については、以下のようにお答えするメールをお送りしました。

⑩以下の質問事項への回答(それぞれ140字以内)
Ⅰ 今、子どもを育てていて、幸せだと感じることは何ですか?
一人の「ひと」の成長に日々立ち会えることです。そして、喜びや悲しみやいらだちを共に分かち合い、楽しんだり、乗り越えたりする経験を家族で共有していけることが、何気ないようですが、幸せだと感じています。

Ⅱ 毎日の生活で一番の課題だと考えることは何ですか?
時間と心のやりくりです。今般の不況下、仕事に精一杯の時間及び精神的リソースを割く必要がありますが、それと同じかそれ以上のリソースを、成長期の子供にも割く必要があるため、優先順位のつけ方に日々苦慮しています。いろいろな意味で、ゆとりや溜めのある生活をしたいと思っています。

Ⅲ 今、一番関心のあるニュースは何ですか?
教育に関する公的費用の配分です。自分の子供が安穏に成長していけるだけでは、将来への不安はぬぐえません。子供がいずれ机を並べるはずのすべての子供が、平等に教育を受ける権利を得られることが、将来の社会の礎を築くことに重要であると考えています。

Ⅳ 日本がどんな国になったら良いと考えますか?
生まれや能力の特性によらず、すべての国民が自分の望むライフスタイルを手に入れ、そして互いを思いやり、助け合っていける国になってほしいと思います。嫉妬や恨みを原動力とするのではなく、希望を原動力とする国をつくっていきたいと考えます。

Ⅴ 鳩山総理に伝えたいことはありますか?
私は一人のワーキングマザーに過ぎません。ロールモデルとして取り上げられるような華々しい経歴をもつわけでもありませんが、大多数の日本の共働き家庭とおなじく、ときに嘆き、ときに喜びながら、子供と社会について、それぞれの立場で考え、働きかけていると思います。「土着の声」を是非お聞きいただきたいと思います。

Ⅵ どうして「鳩カフェ」に参加したいのですか?
先日の選挙で、日本を変えるには民主党に政権をお任せしなければと一票を投じた者として、政権交代後の貴党のご活躍を応援して参りました。自身、博士号(理学)を有する民間の人材として、科学技術政策と知材政策に関わる事業仕分けの議論にも参加いたしました(拙ブログ「科学と生活のイーハトーヴ」 ≫ 科学技術関連事業の仕分けについてhttp://bit.ly/1i5JpH)。ぜひとも鳩山総理と直接お目にかかり、そのご謦咳に接し、今、子育てにおいて働く親たちが直面している経験および実感の一端なりとも、ご参考までにお話しさせていただければと思っております。

なにとぞ、ご高配のほど、よろしくお願い申し上げます。


 私は、今の日本を変えるには政権交代が必要であったと考えていましたが、当然のことながら、野党に下った自民党の中にも、素晴らしい政治家の方は多くいらっしゃると思っています。
 しかし、今、国を動かす力をもっとも強く握っている方々に、お話し申し上げたいことはたくさんあります。
 あくまで私が望むのは、政党間の権力争いではなく、健全な政策論であることをご理解いただきたいと思います。

 私が取り上げていただけるかはともかく、総理(または現政権)の子育て政策について、直接お話されたいことがあるかたは、応募されてはいかがでしょうか。

リビングのパソコン、iPhone

 ちょっと前まで、子供が起きているときでも、ちょくちょくパソコンを開けたり、iPhoneをいじったりしていましたが、さすがに良くない気がふつふつとして、最近は控えるようにしています。
 子供に不満を言われたわけではなく、ただ私自身が「これはいかんよな」と思っただけなのですが。

 私の勝手な感じ方ですが、新聞や本を読んでいるときと、パソコンや携帯(iPhone)をいじっているときとでは、傍からの「話しかけやすさ」が違う気がするのです。
 パソコンや携帯は、その先でつながっている相手が見えにくいから、より「内にこもっている」感じを強く受けるのかもしれません。

 いつもそっぽを向いていたり、背中を向けている、話しかけにくい親ではいたくないなと思いました。
 あくまで私の思いなので、子供はさほどにも感じていないかもしれませんが。
 やたらと子供にかまいたいというのではもちろんなく、なんとなく子供との間に垣根はつくりたくない、という気持ちです。
 一日子供といっしょにいるなら、親と子供が違うことをしている時間があるのは当然ですが、時間が限られている平日の子供が起きている時間くらいは、パソコンなどを開けないことにしようと思っています。

 一日仕事して、家事して、子供の面倒みて、だと、自分の裁量で使える時間というのは皆無に近いので、ふと自分に戻る時間がないのは、つらいところではありました。
 ただ、少し前までは、そのつらさが無視できないほど大きかったのですが、最近は子供との意志疎通がしやすくなり、夫の協力も以前よりさらに得られるようになったことから、さほど「自分だけの逃げ場」を必要としなくなってきたようにも思います。

 自分が楽になるために必要だ、と思っていたものに縛られたり、振り回されたりすることはあるもので、それを排除してみると、わりに快適にここしばらくを過ごせています。

本年もよろしくお願いいたします

昨年中は、まことにお世話になりました。
本年も何卒よろしくお願いいたします。

皆さまにとりまして、今年一年がますます実り多いものとなりますよう、お祈り申し上げます。

科学技術関連事業の仕分けについて

 行政刷新会議の事業仕分け作業が進んでいる。
 13日の第3会場で行われた、科学技術関連事業の仕分けの結果については、twitterでも大議論が巻き起こった( #shiwake3 )。

 結果として、対象となった事業すべてについて予算縮減の提言がなされることになったわけだが、これをもって日本の科学が衰退に向かうと嘆くのは早計であると思う。
 
 まず、この評価に拘束力はない。あくまで鳩山政権が今後どう判断するかに任される。
 とはいえ、影響力はかなりあるには違いないが、あくまで既存の一部の事業についての見直しが要求されたにすぎない。
 既存の枠組みがダメなら、新たな枠組みを提示すればよい。未来はそのようにしてつくるものだろう。

 したがって、私たち国民はまず、今後の日本の科学技術の発展に向けて、何が必要なのかを自分の問題として考えるべきだ。そして、わからないことがあれば研究者や行政にたずね、新たな事業が必要であると判断するのならば、それを遠慮なく提言すべきである。
 また、研究者たちも、これでは研究の現場が立ち行かないと考えるのであれば、その旨を具体的に国民に説明し、みずから提言してほしい。

 ひとりの納税者として、また、研究成果を産業に結びつける仕事をしている民間人として、2つの分野の仕分け結果について私が感じたことを述べる。

競争的資金(先端研究)に関して
 財務省や仕分け人からは、
「さまざまな種類の資金が乱立しており、目的や対象が整理されておらず、無駄が生じているのではないか」
「既に実績のある研究者にばかり資金が集まり、若手に資金が回らないという不公平はないのか」
「政策的に進めるべき研究と、研究者の自由な発想に任せる研究を切り分けて、資金の配分と出所を見直すべきではないか」
というような問題提起が主になされ、これら自体は妥当であると思った。
 そして、文科省担当者からの説明は、これらの疑問を覆すようなものではなかった。

 たとえば、仕分け人からの
「単独の資金だけで一つの研究のすべてを賄えないから、あちこちから集めざるを得ないのではないか」
という質問に対し、文科省からの説明は
 「そのようなことはない。その研究にどれくらいの費用が必要かということは研究者が申告し、その妥当性を審査した上で、できるだけ申告された費用の満額に近い形で交付するようにしている」
 との答えであった。それを信じた上で、ひとつの研究に資金が重複している事実があるならば、確かに無駄があるということになってしまう。でなければ、審査の妥当性が低いということになる。

 もっとも、自由に使える研究費が潤沢にあるに越したことはないだろうから、かならずしもすべての無駄が悪いともいえないと私は思う。しかし、実際に研究者間に不公平感があるとすれば、解消されるべきだろう。
 そのあたりは、ぜひ、現場の研究者の方々のご意見をうかがいたいところだ。

 何にせよ、今後、若手の基礎研究者が困窮するということであれば、将来の日本の科学が先細りしてしまうだろうことを、私は恐れる。

 基礎研究がなければ、応用研究も知財ビジネスも生まれようがない。
 また、産業に直結する応用研究でも、普遍性を追求していくほど、基礎研究上の問題意識と区別がつかなくなる。
 だから、基礎と応用の双方に十分な人材がいて互いに交流できることは、どちらの研究を発展させるためにも必要不可欠なことなのだ。

 それだけではない。基礎研究が見せてくれる夢は、すぐれて文化的なものだ。
 私たちの子供が育ち、活躍する未来の社会は、産業が見せる夢と基礎研究が見せる夢の両方が花開く、豊かなものであってほしいと切に願う。

 苦しい経済状況であっても、将来を見据えて、若手の基礎研究者が研究意欲をかきたてられ、それを維持できるような資金の再配分がなされることを望む。

競争的資金(若手研究育成)に関して
 博士号を取得したのち、若手研究者が自立して研究を遂行し、キャリアを築いていくことを支援する事業が仕分け対象となった。

 ざっくりまとめると、査定側・仕分け人側は、
「若手研究支援(若手研究者の育成、研究成果の両方)の成果は上がっているか」
「就職難が喧伝されるポスドク(博士後研究員)について、優秀な研究者のみを厳選して支援するシステムにすべきではないか」
 というような論点を挙げていた。

 裾野を広げなければトップも高くならないと考えるので、若手研究者の支援を全体として縮減することには、私は反対だ。
 
 しかし、今のままのシステムで、果たして若手研究者がキャリアを築いていけるかということについては、いくつか不明な点がある。
 
 ここで対象となっている事業のほとんどは、若手研究者がアカデミックキャリアを築いていくことを目的とした支援事業である。
 気になるのは、現行の事業で支援された研究者が皆、アカデミックの世界でずっと食べていけるようになるのかということ。おそらくそうではないだろう。

 アカデミックポストは限られている。支援される研究者が全員優秀だとしても、全員がいつか独立した研究室をもてるようになるのだろうか。
 おそらくどうしたって、あぶれる人は出てくるだろう。支援を獲得できるくらい優秀な研究者であるのに、だ。
 そういった優秀な研究者のために別のキャリアパスが提示されていない以上、網をかけておいて、ただふるいおとすだけの人材使い捨てシステムと言われてもしかたないのではないか。

 一人前の研究者であれば、自分のキャリアパスは自分で切りひらくべきであるとも思うが、すべてを研究者の自己責任に帰するのも酷であるように思う。研究に向いた人が全員ビジネスに向いているとは思えない。だから、起業せよ、と安易に言うこともできない。
 それならば、民間企業にも就職しやすいうちに、アカデミックキャリアの人材として育成する人数を絞るというのも、あながち不合理とはいえない(どのように選抜するかの基準が非常に難しいだろうとは思う)。

 ただし、これはこの支援事業以外のシステムが、現状と変わりないことを前提としての話である。
 この支援事業で支援する人数を減らさないことが必要なのであれば、ほかのシステムを変える必要があるはずだ。
 それが何なのか、研究の現場にいない私にはわからない。現場の声をうかがいたいと思う。

 ところで、民間企業が博士、とくに卒業後数年経ったポスドクの採用を敬遠することについて、しばしば大学等から非難の声を聞く。
 しかし、アカデミックキャリアをいったん外れた人を、大学等は抵抗なしに研究者として受け入れ、給与を支払い、育成しようとするだろうか? そうでないとすれば、同様の抵抗感が企業にもあると考えればわかりやすいのではないか。

 自分とは違うバックグラウンドの人と仕事を始めるということは、確かに楽ではなく、乗り越えなければならない壁も多い。しかし、うまくいけば実りも多いはずの挑戦だ。
 個人的には、このような壁をさまざまな局面で突き崩す努力をしていくことが、研究者だけでなく、多くの働く人たちのキャリアパスの多様化において望ましいと思っている。

 これとは別に、博士課程までの大学院教育は、自立して考え、研究していくことのできる高度な能力を有した人材の育成が目的であると理解している。このような人材は、産業界においても、大学以外の教育界においても、必要だ。
 したがって、博士課程の学生の生活と研究を補償するための特別研究員制度の縮減とは、大学院教育の目的を見誤った結論であり、これは撤回してもらいたい。

その他雑感
 結論の導き方が乱暴に過ぎる、一部仕分け人の態度に納得がいかない、というような不満点は多々あるが、このような議論がオープンになされたことは、非常に画期的な試みだと思った。
 やり方に工夫の余地はまだまだあると思うが、行政・国民・研究者の間でこういった議論を積み重ねていければ、きっと「他人まかせ」ではない国づくりができるに違いない、と私は希望をもっている。

 一部事業予算の縮減ばかりが先に立ち、科学技術政策の全貌が見えてこない今だからこそ、私たちの声で政権を動かすチャンスであると思う。

《追記》
 以下のサイトで文部科学省がパブリックコメントを募集しています。
 「こういった新しい予算を計上してほしい」「現場にはこういうニーズがある」というようなことを訴えてみることができます。

行政刷新会議事業仕分け対象事業についてご意見をお寄せください


この話題についてのリンク
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#shiwake3 見てorzとなったみなさんへ – 404 Blog Not Found
科学技術立国と呼ばれた日本の行方 – 大隅典子の仙台通信
科学研究・理科教育に関する事業仕分け作業 – Ogishima Blog
事業仕分けのこと – 有機化学美術館・分館
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