「この世界の片隅に」を見た

涙腺の緩い私はきっと上映中に泣くことになるのだろうと思っていたが、予想に反して、上映中には涙は流れなかった。
涙は、劇場が明るくなって私の日常が戻ってきた瞬間に、とめどなく溢れ出てきた。

喜びも不満も倦怠もときめきも恐怖もすべてひっくるめて、すずさんの日常がまるごと私の日常と重なってしまった。
隣を歩く娘。
屈託なく笑いさざめくたくさんの買い物客。
明るい午後の陽射し。
私のいる世界の何もかもを、すずさんの目を通して見てしまう。
すずさんの目で見たものに、私の心が反応して涙が出てくる。……すずさんはこんなことでは泣かないだろうとも思いつつ。

こんな体験をするのは生まれて初めてだった。
観客の私がスクリーンの中の世界へ拉し去られたというより、スクリーンの中に生きていたはずのすずさんが私の中に移植されたようだった。

この映画が話題になり始めたころ、「これは戦争映画というより日常映画だ」という趣旨の感想を、SNSなどで多く見かけた。
重苦しい戦争映画を敬遠しがちな人たちにも見てほしいという気持ちで、「戦争映画ではない」という呼びかけをする人たちもいたようだ。

しかし、ここにはごまかしようもなく戦争が描かれている。

あのとてつもなく大きく理不尽な暴力が支配する世界は、間違いなく私の住むこの世界とつながっている。
そのことを、有無を言わせず私たちに納得させる力がある映画だ。