知的な会話

女性の会話に対する悪口としてよくあるのが、

「だらだらして結論がない」

「解決策を提示しても嫌がられるだけ」

「結局は共感してやるしかなくて、非生産的」


この手の悪口につきものの解釈が、「男脳と女脳は違うんだよね」で、論理的に優れている(とされる)「男脳」をもっていると、

「それで結論は何?」と、さくさく話を進められたり、

「じゃあこうしたらどう?」と、問題点の解決策を提示できたり、

論理的かつ知的かつ建設的な会話ができるということになっているようです。


脳の構造と会話の性質が本当に関連しているかどうかはおいといて、「男脳的会話」というのは、どんな場合にも知的に優れているといえるのか?

というのが、かねてよりの疑問でした。


いつも結論を性急に求める、簡単に解決しようとする、というのは知的な構えなのだろうか?


それはいわゆる「かっこに入れる」という留保をまったくしないで対象(現象)に臨むということで、その時点での自分の感覚と価値基準を無批判に採用して判断するということで、つまり真にクリティカルな態度と言えるんだろうか。


すなわち「男脳」的話者の方が、すぐに結論が出ないことに耐えられない、脆弱な知的体力の持ち主である、という場合はないか。


というか、好意をもっている相手の話ならいくらでも聞けるはずで、「これだから女の話はー」と言いたくなったら、その相手のことがあんまり好きじゃないだけじゃないのかな。

好きな相手の話しか聞けないということなら、それはますます知的ということからは程遠い。


さらに言えば、知に対する愛もない。すなわちphilosophyがない、ということになりはしないか。


別に哲学者じゃないからそれでいいんだもん、ということならそれでもちろんかまわないのだけど、あまりにも「男脳」的な態度が昨今もてはやされている気がして、なんかやだなーと思っているのでした。


あくまでここで言っているのは「男脳」的、「女脳」的、ということであって、男性や女性そのものの悪口を言っているのではなく、また「男脳」「女脳」というものが本当にあると言っているのでもないことをご理解ください。