久女

男と女がともに生きるというのは大変な事業であり、男と共棲みし、子供を育てつつ女が創作にたずさわるというのは、より以上に至難刻苦の生きかたである。芸術と日常次元の相克がそのまま、女と男のたたかいになってゆくという凄絶さ。まして芸術家が妻であった場合、男はどうあるべきかというマニュアルはまだどこにも明示されていない。人類の歴史がはじまってから長いが、そういう場合の女と男の歴史は浅く、男たちは自分の全存在でもって、各自の答えを出さなければいけない。男の識見・力量・腕力のすべてを問われることになる。


「花衣ぬぐやまつわる……-わが愛の杉田久女-」(田辺聖子)より

花衣ぬぐやまつわる…―わが愛の杉田久女〈上〉 (集英社文庫)花衣ぬぐやまつわる…―わが愛の杉田久女〈下〉 (集英社文庫)


創作・芸術というものを広くとらえれば、それは要するに仕事である。

上に引用した文章の前半は、そのまま現代の共働き夫婦に当てはまる。


しかし、芸術家が妻であった場合、男はさておいて、女自身がどうあるべきかというマニュアルだってないのだ。(人間の生き方そのものにマニュアルなどないのだから、考えてみれば当たり前なのだが)

女こそ、自分の全存在を賭け、識見・力量・腕力のすべてを賭けて、この答えを出さなくてはいけないのではないか。