広報の原稿もほぼ仕上がり、気持ちに若干のゆとりも出たこととて、神谷美恵子「若き日の日記」(みすず書房)読了。
角川文庫版の「神谷美恵子日記」におさめられていない、医学修行時代の日記。読み終えて、とても美恵子さんが身近な人のように思えてきた。彼女の悩みや葛藤は、私にも非常に親しいものであったのだ。
ただ、今の私なら、学問と文学をあんなに苛烈に対立させはしない。もちろんあれほどすぐれた方だから、後年、その葛藤もみごとに克服されたわけだけれど、彼女の若い日の時代が許せば、また、誰かの手助けがあれば、もう少し早く、楽に、のびのびと活動できただろうと思う。しかしその苦悩の意味はもちろん、私が浅薄に判断すべきものではない。
なんだか当時の美恵子さんの肩をだきしめたいような気持ちになった。
今朝は内田百間の「阿房列車」をもって家を出る。迂闊にも電車の中で開いてしまい、何度も吹き出しそうになって往生した。
こういうものを書きたい。
人の心をもてあそんで喜ぶということは、なんと言っても悪趣味だ。少なくとも粋じゃない。