
5尾、うちの水槽に仲間入りしました。一ヶ月くらい経ったところ。
胸びれでちょんちょんと何かを探ったり、仲間と話してる様子や、無防備に寝ているところなんかが、たいそう愛らしい魚です。
先日の朝、とつぜん「クエッ!」という声で鳴いたので、びっくりしました。
口から水鉄砲を吹き出したりもします。
泡巣をつくって、オスが卵を守るなど、繁殖行動もおもしろいそうなので、大事に飼っていこうと思います。
2011/11/03
by Yukiko FUJII
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2011/11/03
by Yukiko FUJII
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2011/09/09
by Yukiko FUJII
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東京電力の原発事故以来、日常的に「放射性物質」というものに向き合わなければならないようになりました。
わたしは原発から比較的遠い地域(東京)に住んでいるため、環境中の放射性物質よりも、子供の口に入る食品中の放射性物質が気になります。
個人的にもっとも気になる2点、
−どのような食べ物から、どれくらいの放射性物質が検出されているのか?
−何を、どれくらい食べたら影響が出るのか?
について、わたしなりに調べてみた結果をまとめてみます。
2011/08/21
by Yukiko FUJII
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内田麻理香さんにご恵贈いただきました。ありがとうございます。
●理系な女性10人の、理系人生カタログ
カタログ01◎加藤牧菜さん
プロデューサー・コンサルタント
科学と文化をつなぐプロデューサー
カタログ02◎菊谷詩子さん
サイエンスイラストレーター
日本ではまだ珍しい科学絵専門のイラストレーター
カタログ03◎岡野麻衣子さん
日本科学未来館勤務
論理的なコミュニケーションで科学を伝える博物館のおねえさん
カタログ04◎本多るみさん
お花屋コンサルタント
理系的「なぜなに」思考をお花屋さんの経営に活かす
カタログ05◎本多るみさん
NHK制作局付NHKエデュケーショナル教育部シニアプロデューサー
業界の異分子?! 科学教育系テレビ番組のディレクター
カタログ06◎中村あやさん
女医
勉強嫌いをパワーに変えた女医
カタログ07◎軽部鈴子(仮名)さん
高校教師
教育とSFと理系男子へのやまない愛
カタログ08◎竹村真由子さん
グラフィックデザイナー
アートで科学を伝えるデザイナー
カタログ09◎中川登紀子さん
パーソナルヘアカラー講師
就職後に見つけた「やりがい」を活かし起業へ
カタログ10◎熊田亜紀子
東京大学大学院工学系研究科 准教授
東大工学部電気系初の女性准教授
番外編◎内田麻理香
サイエンスコミュニケーター
理系と文系の架け橋を目指すサイエンスコミュニケーター
●理系な女性の、「アンケート」と「これあるある!」
理系女性アンケート1◎理系女性のイメージは…
理系女性アンケート2◎理系への進学キッカケは?
理系女の「これあるある!」パート1◎用語・考え方・実験室
理系女の「これあるある!」パート2◎仕草・オシャレ・理系女・理系男
Web連載時から楽しみに読んでいましたが、やっぱりすごくおもしろい!
理系寄りの世界でずっと生きている人だと、そこそこいろんな理系女性を見慣れていることもあり、「いまさら、あらためて理系女性に注目するって……?」と思うこともあるかも。えーと、連載開始当初は、実はわたしがそう思ってました。ゴメンナサイ。
でもこの企画のほんとうのねらいは、「理系女性」というカテゴリーの特性を追求することにはなかったんですね、実は。
むしろ、「理系なお姉さん」というカテゴリーをタイトルに冠しておきながら、「理系」とか「女性」とか、そして「理系女性」とかいう肩書きやレッテルがいかに無意味であるかを、軽やかに暴きだしてみせた本だと言えるでしょう。
もちろん、「あ、これは“理系あるある”だよね」と思えるエピソードも随所にあるし、女性としてクスっと笑ったり、勇気づけられたりする言葉もたくさん紹介されています。
でも、それらのどれもが、本書で紹介されている皆さんの、数ある魅力のひとつ(やそれ以上)なんですね。
そういうエピソードを引き出せたのは、麻理香さんがずっと「人間」を見ようとし続けてきたからなのかもしれません。その姿勢は、別のご著書「恋する天才科学者」にも表れていると思います。
ここでちょっと個人的なお話をしておくと、麻理香さんとはもうずっと長いおつきあいをさせていただいている友人ですが、ものの見方や考え方はけっこう違うことが多いです。対立することも、ままあります。……「あーもう、なんでそこで、そう地雷を踏みにいっちゃうの!」とか。
(麻理香さんは麻理香さんで、いろいろわたしに対して歯がゆい思いをしていることでしょう)
それでもなお、わたしが麻理香さんを「すごい!」と思うのは、ときにその情熱が暴走し、しばしば地雷を踏み抜きながら、麻理香さんが、自分の好きなものをしゃにむに追求していっている、その一点に尽きます。麻理香さんが好きなもの、それは、科学と、人間。のはず。
本書は、麻理香さんが好きなものにとことん向き合った結果、実に魅力的な本になっています。
あとがきの中に、こんなすてきな一節がありました。
私は◯◯になりたいから、ここに登場したAさんの通りの人生を真似しよう! といっても、うまくいかないのが難しいところです。理系女性のロールモデル(生き方のお手本)を集めても、なかなか若い人にぴんと来ない理由もそこにあるのではないかと私は思っています。だって、みんなキャラクターも状況も違うのですから。でも、ひとりひとりの一部分を参考にして集めて自分なりに改造すれば、何らかの生きる指針、お守りになることでしょう。この本から「理系女性のロールモデル」を読みとるのではなく、それぞれの人のいいとこ取りをして、かけらをつまみ食いして、自分のモノにしていただけたらな、と願っています。
本書は、つまみ食いしたくなる「オイシイ」お話が満載の、とびきり豪華な人生カタログになっていると思います。
2011/08/10
by Yukiko FUJII
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従来からマジョリティを占めている生き方に背を向けて、別の生き方をえらぼうとすることがある。
たとえば、女性が働きながら子供を育てようとすることであったり、男性が家庭で多くの時間をすごそうとすることであったり。
従来の価値観とは異なる価値観を許容することを社会に要求するとき、しばしば「選択肢を増やそう」という言い方がされる。
「選択肢を増やそう」ということばが伝えようとしているのは、「自分(たち)が許容してほしい価値観は、あなたたちの価値観と対立するものではないのだ、皆が自由にいろいろな生き方を選べるようになることは悪いことではないはずだ」というメッセージだ。
ぱっと見たところ、非のうちどころのない理屈に思えて、わたしもこの言い方を好んで使っていた。でも、「選択肢を増やそう」という主張が、大きな説得力をもって受け入れられた場面をあまりみたことがない。なぜだろう、ということが気になっていた。
規模の大きな社会や組織のレベルで考えれば、多様な価値観をうけいれて維持するのには、いかにも多大なコストがかかりそうな印象だ。選択肢を増やせという主張が嫌われがちなのも当然に思える。(ほんとうにコストがかかるのか、均一な価値観で社会や組織を構成することにリスクはないのか、ということについては別途検討の余地がある)
ただ、それだけではなく、社会や組織の個々の構成員レベルでも、つまり、日常顔を合わせる人たちとのつきあいの中でも、「選択肢を増やそう」という主張はいまひとつ響きが悪いような気がする。
個々人のレベルで考えてみると、新しい選択肢が増えたとき、その選択肢を増やすためにずっと努力してきた人は、すんなりそれを選択することができる。準備もできていただろうし、身の回りの環境も整えていたかもしれない。
でも、それまで特にその選択肢に興味のなかった人は、「さあ、これを選択していいよ」といわれても、実際のところ、そうしづらい場合も多いのではないか。
そのうえ、新しい選択肢が増えてもなお、従来からある選択肢をえらびつづけようとする人は、その選択をするための理由づけを迫られることになる。自分で自分に問いかけざるを得ないかもしれないし、他人から「なぜまだその選択肢をえらぶのか」と問われる場合もあるかもしれない。特に、新しい選択肢が提示された当初は、どうしてもそちらのほうが魅力的に見えがちでもある。
それまでは「これしかなかったから」で済んだものを、新しい選択肢が出てきたばかりに、それまでの自分の生き方の価値判断を強いられる。それほど大袈裟なこととは受け止められない場合であっても、「なんかちょっとめんどくさい」と思われることは多そうだ。
そして、「めんどくさい」が集まると、けっこうな力になる。
こういったとまどいや、なんとはなしの反発も、「選択肢を増やそう」という主張にいまひとつ説得力が伴わない理由だったりしないだろうか。
もっとも、こういうとまどいや反発は、新しい選択肢の導入期、過渡期に特有のものでもありそうだ。
さまざまな選択肢がいっぺんに提示された中から、好みのものを自分の意思だけでえらぶことができるようになり、そしてどの選択肢をえらんだ人でも、それなりに満足して暮らしていけるようになる、という状態は理想的ではある。
ただ、その理想郷にたどりつくまでの間には、よけたり蹴飛ばしたりしないといけない小さな石ころが、「選択肢を増やされる側」にも、けっこうたくさんあるのかもしれない。その石ころの種類が、「選択肢を増やそうとする側」に見えているものとは違うだけで。
変革を要求しようとする立場からは、既存の状態から利益を得ている人たちが「選択肢を増やすことで生じる不利益」を主張することは、なかなか受け入れがたいところがある。
それがあまりに理不尽な主張であれば、断固として異を唱えつづける必要もある。
でも、自分の描く理想の未来が、ほかの人にとってもよいものであると信じるのであれば、「選択肢を増やすことで生じる不利益」を主張する人たちがどけなければいけない石ころも、自分の足もとの石ころと一緒にどけてあげる、というやり方もあるのかもしれない。
あなたの石ころは、なんですか? なんだったらそれ、わたしが一緒にどけましょうか?
……と、いつも笑顔で言えたら、いいのだけど。
2011/08/09
by Yukiko FUJII
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いろんなことがらについて、すぐれた洞察を見せてくれる人がいる。
いろんなことがらについて、トンチンカンな思いこみばっかり言ってる人もいる。
どちらも最初は、論理が飛躍していたり、特別な事象をおもいきって一般化していたりする「仮説」にすぎないのだけど、結果としての洞察とトンチンカンをわけるものはなんだろうなあ、とよく考える。
軌道修正できるかどうか、は大きそうだ。
「もしかしてこうではないか」と思ったことについて、「ほんとうにそうなのか?」と考え続けること。観察し続けること。ほかの人の話を聞き続けること。
そして「思っていたのと違った」ということを受け入れて、また考えること。
だから、よく見ると、すぐれた洞察を見せてくれる人も、ときどきはトンチンカンなことも言っていたりする。
でも、ある程度の正しさや確度が証明されてからでなければモノを言ってはならない、みたいなことになると、あまりおもしろくない。
論理の飛躍がいけないんじゃなくて、飛躍したまんま、そのあとをほっぽっとくのがいけないんだろう。