科学と生活のイーハトーヴ

Seeking for Ihatov – Utopia – of Science and Life

2011/11/03
by Yukiko FUJII
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ゴールデンハニードワーフグラミー



5尾、うちの水槽に仲間入りしました。一ヶ月くらい経ったところ。

胸びれでちょんちょんと何かを探ったり、仲間と話してる様子や、無防備に寝ているところなんかが、たいそう愛らしい魚です。
先日の朝、とつぜん「クエッ!」という声で鳴いたので、びっくりしました。
口から水鉄砲を吹き出したりもします。

泡巣をつくって、オスが卵を守るなど、繁殖行動もおもしろいそうなので、大事に飼っていこうと思います。

2011/09/09
by Yukiko FUJII
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食品中の放射性物質について

 東京電力の原発事故以来、日常的に「放射性物質」というものに向き合わなければならないようになりました。

 わたしは原発から比較的遠い地域(東京)に住んでいるため、環境中の放射性物質よりも、子供の口に入る食品中の放射性物質が気になります。

 個人的にもっとも気になる2点、

 −どのような食べ物から、どれくらいの放射性物質が検出されているのか?
 −何を、どれくらい食べたら影響が出るのか?

 について、わたしなりに調べてみた結果をまとめてみます。

どのような食べ物から、どれくらいの放射性物質が検出されているのか?

 食品中の放射性物質の量は、自治体等によって検査されています。
 そして、その結果は以下で見ることができます。

 農林水産省/厚生労働省(食品中の放射性物質の検査結果)

 毎日更新されているので、気になる方はこのサイトをブックマークしておいて、ときどきチェックしておくといいかもしれません。

 ざっと見ると、最近では放射性ヨウ素は検出されず(半減期をかなり過ぎたからでしょう)、放射性セシウムがときどき検出されているようです。

 ひとくちに「放射性物質が検出された」と言っても、その量が問題になるところです。直近の検査結果を見ると、放射性セシウムについて、1キログラムあたり100ベクレルを超えるものがちらほら見つかる食品は、牛肉、水産物、茶葉くらいでしょうか。
 野菜や果物についてはほとんど検出されず、検出されたとしても、1キログラムあたり10ベクレル未満のようです。

 食品中の放射性物質については、緊急時の暫定規制値が設定され、それを超える食品については出荷が停止されています。
 ただし、流通している食品が「すべて」暫定規制値未満である、と保証することはできません。
 実際問題として、「すべて」の食品を検査するのは不可能だと思いますが、ちょっと不安になります。この不安とどう向き合うか、ですが、わたしは次のように考えています。

 自治体等の検査結果を見るかぎりでは、そもそも、市場に流通する前の食品の中でも、原発に由来する放射性物質が検出されなかった食品が大多数のようです。
 ということは、暫定規制値を超える食品や、超えはしないまでも「ちょっと多いかも……?」と感じられる食品が市場に紛れ込んだとしても、それほど多い数ではなさそうです。

 ただ、より安心できるように、
・どの地域では、どの程度の規模で抜き取り調査が行われているのか(野菜なら畑単位?魚なら船単位?とか)、
・どのような方法で検査が行われているのか
についても、ひとめでわかるように、情報を集約して公開していただけるよう、農水省・厚労省には要望したいところです。

何を、どれくらい食べたら影響が出るのか?

 現在の暫定規制値が適切かどうかについては、いろいろと議論があります。それを受けて、内閣府の食品安全委員会が「放射性物質の食品健康影響評価に関するワーキンググループ」を設置し、検討が重ねられてきたようです。
 最近、評価書(案)がとりまとめられて、以下に掲載されています。

 放射性物質の食品健康影響評価の状況について

 中を見ると、232ページもあります。しかもかなり専門的です。どわわっ。

 とりあえず結論だけ抜き出すと、

「放射線による影響が見いだされているのは、通常の一般生活において受ける放射線量を除いた生涯における累積の実効線量として、おおよそ100 mSv以上」
「小児に関しては、より影響を受けやすい可能性(甲状腺がんや白血病)がある」
「追加の累積線量として100 mSv未満の健康影響について言及することは現在得られている知見からは困難」

 ということのようです。

 短期間の被曝を想定した「年間線量」ではなく、緊急時と平常時を通じた「生涯の累積線量」を基準に判断しようとしているところが、より実際的な評価になっていると思います。

 個人的には、特定の放射性物質の影響について確実な結論を出すためにはデータが少ないのだな、という印象を受けました。食品安全委員会では、安全側に立って、「追加の累積実効線量としておおよそ100 mSv」という目安を出したようです。

 もっとも、明確な指標値として「100 mSv」と書かれているわけではないのがイマイチです。この点については、産総研の岸本充生先生がパブリックコメントとして意見を出されています→こちら

 専門的な議論はおいておいて、いきなり数字だけ出されても、具体的に「何を」「どれだけの期間」食べたら、追加の累積実効線量なるものが100 mSvに達するのか、さっぱりピンときません。

 そこで、

「いまの暫定規制値ギリギリの食品だけで構成された食事を、毎日食べ続けたとしたら、何年で追加の累積実効線量100 mSvに達するか」

 について、ざっくりとわたしが試算してみた結果が、以下です。(あくまでざっくりなので、ツッコミどころが多々あるかもしれませんが、ご寛恕のほどを)

<条件>
・成人の一般的(理想的?)な食事内容を仮定した(参考:農林水産省・食事バランスガイド

具体的には
−主食(生米1合=150グラムとして、1日3合=450グラム)
−副菜(野菜類=350グラム)
−主菜(肉=150グラム)
−牛乳・乳製品(牛乳瓶1本=200ミリリットル(だいたい200グラム))
−果物(果物1個=100グラム)
 を、1日の食事内容とした。

・1日に摂取する飲料水の量については、以下を参考にした。
 厚生労働省:健康のため水を飲もう推進運動

 具体的には、飲料水として1日あたり1.2リットルとした。

・暫定規制値は以下を参考にした。
NHK「かぶん」ブログ:NHK
| 解説コーナー | 放射性物質・食品等の暫定基準値をまとめました(藤原記者)


 放射性ヨウ素は検出されないものとして除外して、放射性セシウムのみを対象にした。
 具体的には
−飲料水=1リットルあたり200ベクレル
−牛乳・乳製品=1kgあたり200ベクレル
−野菜や肉、それに卵や魚などそのほかの食品=500ベクレル

・ベクレル→シーベルト換算は、以下のサイトを利用した。
 ベクレル(Bq)、シーベルト(Sv)計算・換算

 放射性セシウムは、すべてセシウム137と仮定した。

 (ちなみに、ベクレルとは放射性物質が放射線を出す能力の単位。シーベルトは、放射線が人体に及ぼす影響の度合いを示す単位。)

<試算結果> (有効数字とかむちゃくちゃです。すみません)
・1日の食事の実効線量は以下のとおり。
主食+副菜+主菜+果物=1050グラムについて、0.006825 mSv
牛乳=200グラムについて、0.00052 mSv
飲料水=1.2リットルについて、0.00312 mSv

 合計すると、0.010405 mSv。

・これを何年食べ続けると100 mSvに達するかというと

 100(mSv)÷0.010405(mSv)÷365=26.3(年)

 ということになります。

<考察>
 さて、だいたい26年くらいで100 mSvに達するようで、意外に早い気もします。
 しかし、これは、あくまで食事が暫定規制値ギリギリの食品のみで構成されていたとして、そしてそれを三食、毎日食べ続けていたとしての話です。

 実際の食事全体に含まれる放射性物質が暫定規制値の半分であれば、50年くらいに伸びますし、10分の1であれば、260年くらいになります。
 食事の量によっても、もちろん計算結果は変わります。

 暫定規制値ギリギリの食品だけを今後ずっと食べ続ける、という状況は考えにくいので、今、市場に出回っている食品を食べている分には、(放射性セシウム以外の核種を考慮したとしても)、追加の累積実効線量が100 mSvに達することは、まあ寿命で死ぬまでないかな、と考えられます。
 また、追加の累積実効線量が100 mSvに達したら、即、その瞬間から確実になんらかの影響が出るというものでもないことは重要です。

 しかしながら、もしかすると今後、現在設定されている暫定規制値は高すぎる、という意見が出てくるかもしれないな、とは思います。
 除染が速やかに進めばよいのですが。

最後に

 避けられるものならば、子供にはできるだけリスクの少ないものを食べさせたい、という気持ちはわたしにもあります。
 リスクをどのように判断するか、どこまで許容するか、そしてどのように行動するかは、人によって、また、家庭によって異なるでしょう。

 大切なのは、誰でもあまり労力をかけずにリスクの判断ができ、どのような判断をしたとしても、大きな不利益をこうむらないことだと思います。
 そのためにも、政府や自治体には、継続した、そして徹底した情報公開を要望します。

 しかし、どのように行動するかを自由に選べる環境にあるというだけで、どれほど恵まれていることでしょうか。

 原発のリスクを引き受けることなく、電力の利益のみを享受していたわたしが、安全なところから放射線リスクについてばかり云々することについては、忸怩たる思いがあります。

 常に出荷停止の危機に脅かされている方々、そして、家や田畑、漁場を失ってしまった方々にはほんとうに申し訳なく思うとともに、一刻も早い除染と、十分な生活の保障がされることを望みます。

追記

 はてなブックマークコメントで、doramaoさんより以下のコメントをいただきました。
「生米を一食150gは丼飯山盛り一杯くらいでしょうか。精白米として70~100gの間が一般に示す場合妥当だと思いますよ。」

 というわけで、記事中の試算は、ものすごーく白米大好きな人の試算になっています。 実際はもっと、ごはんの量が少ない方が多いと思います。

2011/08/21
by Yukiko FUJII
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書評『理系なお姉さんは苦手ですか』(著/内田麻理香さん、絵/高世えり子さん)

 内田麻理香さんにご恵贈いただきました。ありがとうございます。

理系なお姉さんは苦手ですか? -理系な女性10人の理系人生カタログ-
内田 麻理香 高世 えり子
技術評論社
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 「理系女性」というステレオタイプからはちょっと(かなり?)外れた、そしてとっても魅力的な女性たちの生き方に、サイエンスライターの内田麻理香さんが迫ります。高世えり子さんの素敵なイラストも満載!

 「理系女性のダイバーシティ(多様性)を伝えたい!」という麻理香さんの思いから生まれた本だけに、ほんとうにいろんな職業、いろんな生き方を選んだ方たちが紹介されています。

●理系な女性10人の、理系人生カタログ

カタログ01◎加藤牧菜さん
 プロデューサー・コンサルタント
 科学と文化をつなぐプロデューサー

カタログ02◎菊谷詩子さん
 サイエンスイラストレーター
 日本ではまだ珍しい科学絵専門のイラストレーター

カタログ03◎岡野麻衣子さん
 日本科学未来館勤務
 論理的なコミュニケーションで科学を伝える博物館のおねえさん

カタログ04◎本多るみさん
 お花屋コンサルタント
 理系的「なぜなに」思考をお花屋さんの経営に活かす

カタログ05◎本多るみさん
 NHK制作局付NHKエデュケーショナル教育部シニアプロデューサー
 業界の異分子?! 科学教育系テレビ番組のディレクター

カタログ06◎中村あやさん
 女医
 勉強嫌いをパワーに変えた女医

カタログ07◎軽部鈴子(仮名)さん
 高校教師
 教育とSFと理系男子へのやまない愛

カタログ08◎竹村真由子さん
 グラフィックデザイナー
 アートで科学を伝えるデザイナー

カタログ09◎中川登紀子さん
 パーソナルヘアカラー講師
 就職後に見つけた「やりがい」を活かし起業へ

カタログ10◎熊田亜紀子
 東京大学大学院工学系研究科 准教授
 東大工学部電気系初の女性准教授

番外編◎内田麻理香
 サイエンスコミュニケーター
 理系と文系の架け橋を目指すサイエンスコミュニケーター

●理系な女性の、「アンケート」と「これあるある!」
 理系女性アンケート1◎理系女性のイメージは…
 理系女性アンケート2◎理系への進学キッカケは?
 理系女の「これあるある!」パート1◎用語・考え方・実験室
 理系女の「これあるある!」パート2◎仕草・オシャレ・理系女・理系男


 Web連載時から楽しみに読んでいましたが、やっぱりすごくおもしろい!

 理系寄りの世界でずっと生きている人だと、そこそこいろんな理系女性を見慣れていることもあり、「いまさら、あらためて理系女性に注目するって……?」と思うこともあるかも。えーと、連載開始当初は、実はわたしがそう思ってました。ゴメンナサイ。

 でもこの企画のほんとうのねらいは、「理系女性」というカテゴリーの特性を追求することにはなかったんですね、実は。

 むしろ、「理系なお姉さん」というカテゴリーをタイトルに冠しておきながら、「理系」とか「女性」とか、そして「理系女性」とかいう肩書きやレッテルがいかに無意味であるかを、軽やかに暴きだしてみせた本だと言えるでしょう。
 もちろん、「あ、これは“理系あるある”だよね」と思えるエピソードも随所にあるし、女性としてクスっと笑ったり、勇気づけられたりする言葉もたくさん紹介されています。
 でも、それらのどれもが、本書で紹介されている皆さんの、数ある魅力のひとつ(やそれ以上)なんですね。

 そういうエピソードを引き出せたのは、麻理香さんがずっと「人間」を見ようとし続けてきたからなのかもしれません。その姿勢は、別のご著書「恋する天才科学者」にも表れていると思います。

 ここでちょっと個人的なお話をしておくと、麻理香さんとはもうずっと長いおつきあいをさせていただいている友人ですが、ものの見方や考え方はけっこう違うことが多いです。対立することも、ままあります。……「あーもう、なんでそこで、そう地雷を踏みにいっちゃうの!」とか。
(麻理香さんは麻理香さんで、いろいろわたしに対して歯がゆい思いをしていることでしょう)

 それでもなお、わたしが麻理香さんを「すごい!」と思うのは、ときにその情熱が暴走し、しばしば地雷を踏み抜きながら、麻理香さんが、自分の好きなものをしゃにむに追求していっている、その一点に尽きます。麻理香さんが好きなもの、それは、科学と、人間。のはず。

 本書は、麻理香さんが好きなものにとことん向き合った結果、実に魅力的な本になっています。
 あとがきの中に、こんなすてきな一節がありました。

 私は◯◯になりたいから、ここに登場したAさんの通りの人生を真似しよう! といっても、うまくいかないのが難しいところです。理系女性のロールモデル(生き方のお手本)を集めても、なかなか若い人にぴんと来ない理由もそこにあるのではないかと私は思っています。だって、みんなキャラクターも状況も違うのですから。でも、ひとりひとりの一部分を参考にして集めて自分なりに改造すれば、何らかの生きる指針、お守りになることでしょう。この本から「理系女性のロールモデル」を読みとるのではなく、それぞれの人のいいとこ取りをして、かけらをつまみ食いして、自分のモノにしていただけたらな、と願っています。


 本書は、つまみ食いしたくなる「オイシイ」お話が満載の、とびきり豪華な人生カタログになっていると思います。

2011/08/10
by Yukiko FUJII
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選択肢を増やすということ

 従来からマジョリティを占めている生き方に背を向けて、別の生き方をえらぼうとすることがある。
 たとえば、女性が働きながら子供を育てようとすることであったり、男性が家庭で多くの時間をすごそうとすることであったり。

 従来の価値観とは異なる価値観を許容することを社会に要求するとき、しばしば「選択肢を増やそう」という言い方がされる。
 「選択肢を増やそう」ということばが伝えようとしているのは、「自分(たち)が許容してほしい価値観は、あなたたちの価値観と対立するものではないのだ、皆が自由にいろいろな生き方を選べるようになることは悪いことではないはずだ」というメッセージだ。

 ぱっと見たところ、非のうちどころのない理屈に思えて、わたしもこの言い方を好んで使っていた。でも、「選択肢を増やそう」という主張が、大きな説得力をもって受け入れられた場面をあまりみたことがない。なぜだろう、ということが気になっていた。

 規模の大きな社会や組織のレベルで考えれば、多様な価値観をうけいれて維持するのには、いかにも多大なコストがかかりそうな印象だ。選択肢を増やせという主張が嫌われがちなのも当然に思える。(ほんとうにコストがかかるのか、均一な価値観で社会や組織を構成することにリスクはないのか、ということについては別途検討の余地がある)

 ただ、それだけではなく、社会や組織の個々の構成員レベルでも、つまり、日常顔を合わせる人たちとのつきあいの中でも、「選択肢を増やそう」という主張はいまひとつ響きが悪いような気がする。

 個々人のレベルで考えてみると、新しい選択肢が増えたとき、その選択肢を増やすためにずっと努力してきた人は、すんなりそれを選択することができる。準備もできていただろうし、身の回りの環境も整えていたかもしれない。
 でも、それまで特にその選択肢に興味のなかった人は、「さあ、これを選択していいよ」といわれても、実際のところ、そうしづらい場合も多いのではないか。

 そのうえ、新しい選択肢が増えてもなお、従来からある選択肢をえらびつづけようとする人は、その選択をするための理由づけを迫られることになる。自分で自分に問いかけざるを得ないかもしれないし、他人から「なぜまだその選択肢をえらぶのか」と問われる場合もあるかもしれない。特に、新しい選択肢が提示された当初は、どうしてもそちらのほうが魅力的に見えがちでもある。
 それまでは「これしかなかったから」で済んだものを、新しい選択肢が出てきたばかりに、それまでの自分の生き方の価値判断を強いられる。それほど大袈裟なこととは受け止められない場合であっても、「なんかちょっとめんどくさい」と思われることは多そうだ。
 そして、「めんどくさい」が集まると、けっこうな力になる。

 こういったとまどいや、なんとはなしの反発も、「選択肢を増やそう」という主張にいまひとつ説得力が伴わない理由だったりしないだろうか。

 もっとも、こういうとまどいや反発は、新しい選択肢の導入期、過渡期に特有のものでもありそうだ。
 さまざまな選択肢がいっぺんに提示された中から、好みのものを自分の意思だけでえらぶことができるようになり、そしてどの選択肢をえらんだ人でも、それなりに満足して暮らしていけるようになる、という状態は理想的ではある。
 ただ、その理想郷にたどりつくまでの間には、よけたり蹴飛ばしたりしないといけない小さな石ころが、「選択肢を増やされる側」にも、けっこうたくさんあるのかもしれない。その石ころの種類が、「選択肢を増やそうとする側」に見えているものとは違うだけで。

 変革を要求しようとする立場からは、既存の状態から利益を得ている人たちが「選択肢を増やすことで生じる不利益」を主張することは、なかなか受け入れがたいところがある。
 それがあまりに理不尽な主張であれば、断固として異を唱えつづける必要もある。

 でも、自分の描く理想の未来が、ほかの人にとってもよいものであると信じるのであれば、「選択肢を増やすことで生じる不利益」を主張する人たちがどけなければいけない石ころも、自分の足もとの石ころと一緒にどけてあげる、というやり方もあるのかもしれない。

 あなたの石ころは、なんですか? なんだったらそれ、わたしが一緒にどけましょうか?

 ……と、いつも笑顔で言えたら、いいのだけど。

2011/08/09
by Yukiko FUJII
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論理の飛躍と、洞察と

 いろんなことがらについて、すぐれた洞察を見せてくれる人がいる。

 いろんなことがらについて、トンチンカンな思いこみばっかり言ってる人もいる。

 どちらも最初は、論理が飛躍していたり、特別な事象をおもいきって一般化していたりする「仮説」にすぎないのだけど、結果としての洞察とトンチンカンをわけるものはなんだろうなあ、とよく考える。

 軌道修正できるかどうか、は大きそうだ。
 「もしかしてこうではないか」と思ったことについて、「ほんとうにそうなのか?」と考え続けること。観察し続けること。ほかの人の話を聞き続けること。
 そして「思っていたのと違った」ということを受け入れて、また考えること。

 だから、よく見ると、すぐれた洞察を見せてくれる人も、ときどきはトンチンカンなことも言っていたりする。

 でも、ある程度の正しさや確度が証明されてからでなければモノを言ってはならない、みたいなことになると、あまりおもしろくない。

 論理の飛躍がいけないんじゃなくて、飛躍したまんま、そのあとをほっぽっとくのがいけないんだろう。