「私、そのルールのゲームでは遊んでないから」と言える自由

wol.nikkeibp.co.jp
この記事を読んで、「専業主婦も働く女性も、どちらも同じ一人の女性の、時期(人生のフェイズ)に応じて見せる姿にすぎない」という河崎環さんの主張に深く肯いた次第。

それにしても、私が子供を産んだのは12年前だけど、母親の生き方・働き方を巡る議論や環境は、その間にずいぶんと変わってきているなと思う。

子供を産んだばかりの頃は会社に勤めていて、育児休業から復帰した後、女性社員たちを集めた「働き方セミナー」みたいなものに出た記憶がある。
そのとき、社長に「女性ばかりが働き方を考えても意味がないので、男性社員もこういったセミナーに出るべきでは?」と質問して、キョトンとされたのだった。

今はもう、そういう質問をしてキョトンとされることはないだろう。

母親の生き方について、お金を稼ぐ仕事をするかしないか・するとしたらどういう形で仕事をするか、といったことで議論の衝突はまだ残っているにせよ、それも今後は減っていくのではないか。

冒頭の河崎さんの記事で紹介されているような、人生のフェイズに応じていろいろな働き方を選ぶ人が増えてくれば、専業主婦 vs. ワーキングマザーのような対立も意味をなさなくなる。

母親のワークライフバランスの話になると、お決まりのように「ロールモデルが必要」と言われる(今はそこまでではないかもしれない。少なくとも12年前はそうだった)。
しかし、企業主体のワークライフバランスへの取り組みで求められるロールモデルは、どうしても、「子供を育てながら、バリバリ(バリキャリとして)働き続ける」というものになる。
そのロールモデルがピンとこない人もたくさんいるはずなのに、だ。

実際、女性誌などで特集される「ワーキングマザーのタイムスケジュール」が人間離れしている、と話題になることがしばしばある。
雑誌に登場したワーキングマザーの睡眠時間が4時間とか死ぬレベルだと話題に - Togetter

それに対するアンチテーゼとして、「量産型ワーキングマザー」という生き方を提唱したのが、畏友id:kobeni_08である。
量産型ワーキングマザーでいこう | リクナビNEXTジャーナル

この「量産型ワーキングマザー」は、多くの働く母たちに歓迎されたけれど、バリバリ働きたい母たちからは不評を買っていたとも記憶している。

少なくとも私がインターネットを眺めていた限り、ここ数年は、バリキャリ母のロールモデル、量産型ワーキングマザーのロールモデル、そして従来の専業主婦型ロールモデル、というおおむね3種類のロールモデルが覇権を争っていた感がある。

しかし、ちょっと考えてみればわかるとおり、この3種類のロールモデルは、本来、互いが互いを否定しなければ存在できないものではない。

自分が選びたいと思わない生き方がメディアやネットでもてはやされれば、その生き方を自分にも押し付けられるのではないか、という危機感を抱くことは理解できる。
その危機感から、自分が選んだものとは違うロールモデルを否定したくなることも理解できる。

こういった危機感に突き動かされがちなのは、選択肢が少ないのが悪い。
選択肢が少なければ、そのうちの1つが大きな注目を集めてしまうことで、残りの選択肢はあっという間にマイノリティになってしまうからだ。マイノリティはいろいろと不利だ。

でも、もし、人生のフェイズに応じていろいろな働き方を選ぶ人が増えて、ロールモデルの選択肢が増えていったらどうだろう。なんなら自分で作ったっていい。
そして全部の選択肢がマイノリティ、みたいなことになったら……。
たくさんある選択肢のうちの1つが注目を集めたとしても、全体的に見てたいしたことはない、と余裕で思えるんじゃないだろうか。

たとえ誰かから生き方を否定されたとしても、「私が遊んでるのは、あなたのルールのゲームじゃないから。あなたのルールで否定することはできないよ」と言えば済む。
そしてお互いに、「そっちのゲームを私はおもしろいとは思わないけど、あなたが楽しそうにしているならそれでいい」と認め合えれば、なかなかいい感じの世の中になるんじゃないだろうか。

他人のルールでジャッジされるのがつらいときに、「私は私のルールのゲームで遊んでいるんだ」と言える自由を、私は常に持っていたい。
いろんな生き方を選ぶ人が増えれば増えるほど、たぶんそれはやりやすくなると思うし、そういう方向に世の中が進んでいると思いたい。