岸政彦「断片的なものの社会学」

 朝日出版社第二編集部ブログの連載を楽しみに読んでいました。その連載の内容に、いくつかの書き下ろしなどが加えられたものが本書です。
 
 社会学者の岸政彦さんが、フィールドワークの中で聞き取ってきた人々の語りやエピソードのうち、理解も解釈もすり抜けてこぼれ落ちた、しかしそれでもなお印象的な、数々の「断片」があつめられています。

 社会学者として、語りを分析することは、とても大切な仕事だ。しかし、本書では、私がどうしても分析も解釈もできないことをできるだけ集めて、それを言葉にしていきたいと思う。

 読後感を一言で表すのがとても難しいのですが、なんとも不思議な心地よさがある本です。その心地よさはどこから来るのでしょう。

 社会学者のお仕事には及びもつかないレベルながら、私は私の日常において経験したことがらについて、自分なりの分析や解釈を日々行って生きています。
 ただ、その分析や解釈の多くは、「このことがらにはこういう特徴があるから、この箱に入れよう」と手っ取り早くラベルをつけて、手持ちの類型にむりやり放り込もうとする作業でしかありません。
 どの類型にも押し込められるべきものではないことがらや、分類作業の手をすり抜けてこぼれ落ちたことがらもたくさんあったはずです。
 そして、何かの折に、そういったことがらのどれかをふと思い出し、それをゆっくりと手の中であたためて大事に眺めていることができなかったことに、なんとはなしの悔恨や痛みのようなものをおぼえ、また忘れていく、というようなこともあったように思います。

 本書で岸さんがあつめた「断片」は、当然のことながら、私が忘れ去っていた(見ないことにしていた)ことがらとはまったく違うし、重なるところもなさそうなものばかりです。
 でも、なぜか、岸さんが再現して語り直した「断片」を聞くことで、私が何かを忘れ去っていた悔恨や痛みが慰められたような気持ちになります。
 本書の不思議な心地よさは、その慰めから来るものなのかもしれません。