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今週の気になった話題(2014年2月23日〜2014年3月1日)

今週、気になった話題いくつか。

下から7割の人のための理科&算数教育 - Chikirinの日記

下から7割の人のための理科&算数教育 - Chikirinの日記

 ちきりんさんが書かれた「理科教育」についての提言で、インターネット上で賛否両論かまびすしかった話題です。

 

 かいつまんでいうと「今、教えられている内容を前提とすれば、数学や理科に関しては、全体の 3割程度の生徒が学べばよい(ちきりんを含め、下から 7割の人は学ぶ必要がない)」「残りの 7割の人には、今教えられてる内容に替えて(=その時間を使って)「生活するために必要な科学知識」を教えてほしい」という主張です。

 

 このちきりんさんの主張にはまったく賛成できません。

 まず、ちきりんさんが「今教えられてる内容に替えて(=その時間を使って)「生活するために必要な科学知識」を教えてほしい」とおっしゃっている内容を(私が専門の理科について)見てみましょう。

生物の時間には、

・命にかかわる病気になった時、治療方法をどう選べばよいのか

・妊娠のメカニズムと、不妊治療やその限界など

・副作用も指摘されてるワクチンを勧められたんだけど、摂取すべきかどうか、どう考えて決めればいいのか?

・太っちゃって、脂肪吸引に興味があるんだけど、大丈夫かな?

みたいなことを(カエルの解剖をする代わりに)教えてほしい。

化学の時間には、

トイレ掃除のとき、何と何の洗剤を一緒に使うと危ないのか (もしくは、ガスファンヒーターの前にヘアスプレーのカンがあったら、どれほど危ないのか)

・ホテルで火事にあったら、煙は上下、どっちに流れるのか

・天ぷら油から火がでたら、水をかけるのとマヨネーズをかけるのはどっちがいいのか。なければケチャップでもいいのか?

などを(リトマス紙で遊ぶ時間の代わりに)教えてください。

物理の時間には、

・イオンのでる家電って、なんか意味あるの?

放射能が怖いんだけど、ラジウム温泉でダイエットするのは大丈夫?

とかね。

 しかし、これらの内容はどれも、正解不正解のある「知識」としてバラバラに教えこむべきものではないと思います。

 ちきりんさんは、「全員に与えるべきは、技術者や研究者になるための専門教育ではなく、生活者として自己決定ができ、健全に安全に生きていけるようになるための科学リテラシーだ」と主張されますが、上記のような問題についてとおりいっぺんの答えを知っているだけでは、「生活者として自己決定ができ、健全に安全に生きていけるようになる」とは到底思えません。

 

 ちきりんさんが挙げられたような問題は、どれも「知識」としてではなく「自分のアタマで考える」ことができるようにすべき問題だと思います。

 ちきりんさんが、生物や物理の時間に教えてほしいとして挙げられているものは、どれも(阪大の平川秀幸先生の言葉を借りれば)「科学なしでは解決できない、科学だけでは解決できない」ような問題です。

 そして、ちきりんさんが化学の時間に教えてほしいとして挙げられているものは、小・中・高で「今教えられてる内容」で答えが出るものです。

 「科学なしでは解決できない、科学だけでは解決できない」ような問題について、ちきりんさんの記事のように正解不正解の「知識」を教え込むだけの教育しかしないというのは、非常に危険です。それでは、まったく新しい問題が出てきたときに判断できません。「科学なしでは解決できない、科学だけでは解決できない」問題について一意的に答えが決まるという考え方は、科学の暴走にも、カルトにも、そしてちきりんさんがよくないとお考えの偽科学(疑似科学ニセ科学)にもつながりうる、危険な態度です。

 

 そして、「科学なしでは解決できない、科学だけでは解決できない」ような問題について、単に正解不正解を教え込むだけじゃない教育をしようとするなら、ちきりんさんが否定する基礎的な(実学的でない)科学の教育も必要になるし、倫理や社会について考えるための基礎的な教育も必要になります。

 

 ただし、これまでの理科教育を受けて育っていても、疑似科学的なものや陰謀論にコロッとだまされてしまう人が後を絶たないということを考えると、これまでの理科教育「だけ」で満足しているわけにもいかないということも確かです。

 ちきりんさんは、いくつかの題材を「リトマス紙で遊ぶ時間の代わりに」「カエルの解剖をする代わりに」教えてほしいと挙げていらっしゃいますが、それらは、「代わりに」ではなく、リトマス紙やカエル「から」その題材につなげるべきものではないかと私は思います。

 そのように問題を定義し直すならば、それは理科教育や、科学技術社会論、科学哲学に携わってきた人たちの中で、ずーっと昔から考え、議論され、実践もされてきたテーマなので、より多くの人たちとともに実り多い議論に発展させていけるような気がします。

(この話題については、ここでつぶやいていました)

「女子力を磨くより、稼ぐ力を身に付けなさい!」上野千鶴子さんが描く、働く女の未来予想図

「女子力を磨くより、稼ぐ力を身に付けなさい!」上野千鶴子さんが描く、働く女の未来予想図 - Woman type [ウーマンタイプ]

 これは非常に不思議な記事でした。

 もちろん、女性に対する「自分に投資をして稼ぐ力をつけなさい」という上野先生の最終的なアドバイスには大賛成です。ただし、そのための方法論として、それまでに挙げられている内容が支離滅裂に思えました。

 上野先生はまず、「マミートラック」の害を説きます。

 マミートラックとは「出産後の女性が時短制度の利用を許されたり、残業の少ない部署に配置換えされたりする」ことで、上野先生はこれを「一見すると女性に配慮しているように見えて、実は「今後はあなたを二流の労働者として扱いますよ」という戦力外通告」であると定義します。そして、「塩漬けになった女性のほうも、「評価は下がるけど、そこそこのお給料をもらえて、子どもとの時間を持てるなら、これはこれでいいわ」と納得してしまうこと。塩漬けになった女は、そのまま腐ってしまいがち。でも、それはあまりにももったいない。」と否定します。

 その一方で、上野先生は「今の日本が成長社会ではなく、“成熟社会”に入っているのは明白な事実。人間の一生に例えれば、穏やかな老後に入りつつあります。だから、現在20代や30代の若い女性たちも、ゆっくりまったりと生きていけばいいじゃないですか」「賃金が上がらないといっても、外食せずに家で鍋をつついて、100円レンタルのDVDを見て、ユニクロを着ていれば、十分に生きて行けるし、幸せでしょう?」と言います。

 そして、「「給料が安くて子どもが産めない」と言うけれど、年収300万円の男女が結婚すれば、世帯年収は600万円になります。今の平均世帯年収の400万円台を軽く超えますし、子どもに高等教育を受けさせるにも十分な額です。ですから、女性は年収300万円を確保しつつ、年収300万円の男性と結婚して、出産後も仕事を辞めずに働き続ければいい」とアドバイスします。

 このような上野先生のアドバイスは、極めて矛盾しているように私には思えます。

 上野先生のおっしゃるとおり、「外食せずに家で鍋をつついて、100円レンタルのDVDを見て、ユニクロを着て」、同程度の年収の配偶者と結婚してなんとか生きていくこと。それはもちろん、配偶者が健康で働き続けることができれば、「十分に生きていけるし、幸せ」である(と考える人も多い)かもしれません(その場合、まさか上野先生は「塩漬けになってそのまま腐ってもったいない」などという評価は下されないだろうと信じます)。

 しかし、その生活は、いったん配偶者を失ったら、保つことができるものでしょうか。ましてや、子供がいた場合、配偶者を失ったときのリスクはどれほどのものでしょうか。

 そもそも、今の時代、年収300万円を得ることは、それほど簡単なことでしょうか。

 人ひとりが自分と家族を養えるだけの生活ができてこそ、人は男女問わず自立して人間らしい生き方ができるのだと私は思います。

 自分と扶養家族が、ひいては社会の構成員皆が、お腹を空かせることなく、あたたかいふとんで寝て、お互いに十分に語り合い、共に遊び、必要な教育や訓練を受けることができるだけのお金と時間を、男女問わずそれぞれ固有の権利として得られることを求めるのが、私にとってのフェミニズムだと思ってきましたが、上野さんにとってはそうではなかったのでしょうか。

 相手なしには生きていけないという状況を依存というのだと私は理解していますが、今回の記事において、上野さんは(異性間の)共依存関係を許容しているようにしか読めないのが、私にとってのいちばんの驚きでした。

 上野さんは以前『特集ワイド:言いたい! 「おひとりさま」か「婚活」か - 毎日jp(毎日新聞)』という記事で「誰が、何のために、婚活を促進したいと思っているんでしょう? 国が少子化を防ぐためなら、シングルでも安心して産み、子育てができる環境を整備してほしいものです。」と主張されていました。その主張と、今回の主張とは、まったく矛盾するものではないでしょうか。

 上野さんは常々、シスターフッド(女性どうしの共助)を好ましいものとして紹介されてきたと理解しています。依存ではない助け合いの関係というのは、女性どうしにとどまらず、非常に好ましいものであると私も考えていますが、上野さんはシスターフッド以外の共助関係、特に法律上の婚姻関係についてさほど肯定的であったという記憶がありません。

 最大限に今回の記事を善解すると、もしかしてついに上野さんは、その共助の枠を、女性どうしから法律上の婚姻関係にまで拡げられることとされたのでしょうか。だとすると、そのことがフェミニズムに及ぼす影響というのはかなり大きいと思います。

 今後の上野さんの言論についても、興味深く注目していきたいと思います。