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「嫌ならやめろ」について

つぶやき

こちらの記事

「嫌ならやめろ」は、かなり暴力的じゃないですか?

について。

 これ、常々わたしも暴力的だなーと思っていたので、肯きながら読んだ。

 なんで嫌だったらやめなきゃいけないのかと。

 イヤよイヤよも好きのうち、とかそういう嗜癖の問題はおいといて。

 嫌でもやらなきゃいけないこと、やりたいことというのは、ある。

 そして、嫌な側面がひとつでもあったら、その全部を捨てるべきなのか。

 早い話が、「今日は仕事行きたくないなー」と思う日が一日でもあったら、その仕事を永久に辞するべきなのか。そうじゃないだろ、ということだ。

 いったん何かにコミットしたら一切グチを言わない、というポリシーは、ある意味(少なくともそういうポリシーをよりどころとしている人にとっては)美徳かもしれないけど、倫理として普遍的なものであるとは思えない。

 引き受けた仕事をよりよくこなし、仕事する環境を(たとえそれが家庭であっても)よりよいものにしていこうとしているのであれば、ときにグチをこぼそうが、文句をいおうが、別にいいんじゃないだろうか。

 推測するに、「嫌ならやめろ」という人は、「そのグチを俺に(私に)これ以上聞かせるな」と言いたいのだと思う。共感できないとか、自分が責められてる気がするとか。

 共感できないなら放っておけばいいし(愛があるなら理解しようとすればいい)、自分が責められている気がして、それを理不尽だと思うなら反論すればいい。自分が責められている気がして、責められてもしかたないと思うなら、シュンとしとけばいい。

 そのどれもしたくなくて、めんどくさいから、「嫌ならやめろ」と口走ることになるんじゃないのかなー。

 とは思うのだけど。

 実際のところ、ただ「(○○が)イヤだ」という感情だけをぶつけられた場合に、相手の意図をいちいちこちら側から汲み取る作業をするというのもかなり面倒だよな、とも思う。

 ネガティブな感情をぶつけられた場合、ぶつけられた方は往々にして「じゃあ自分はどうしたらいいんだろう」と考えがちであるような気がする。

 だから、特に一対一で話をしているときは、相手ができるだけモヤモヤしなくて済むようにガイダンスを示してあげたらいいんじゃないかと思う。

 ……てなわけで、わたしは、少なくとも夫には「あれが大変でこれが大変なんだけど、ちょっと感謝してよ。褒めてよ」などとストレートに言うことにしているのだけど、そう言ってから「ああそれなら」と感謝されてもあまりありがたみがなかったりするので難しい。