誰かを守ることと、強さについて

 まいど特撮ネタで恐縮ですが、前回の『海賊戦隊ゴーカイジャー』は、すごくいい回だったなあ。

 ジョー(ゴーカイブルー)とバリゾーグの因縁の戦いも、司令官ワルズ・ギルの切ない最期も見ごたえがあったけど、いちばん印象に残ったのは、マーベラス(ゴーカイレッド)のこの言葉:

 「おまえらや、おまえらの夢は、俺に守られるほどヤワじゃねえもんな」

 何かを守るとは、どういうことか。

 「守るものがあるから強くなれる」というような表現をよく見かける。何かを(誰かを)守ることができる人間が強く、理想的なのだ、という価値観は、それなりにありふれている。

 しかし、この海賊たちの場合はちょっと違うらしい。

 チームが絶体絶命のピンチに瀕したとき、リーダー的存在のキャプテン・マーベラスは、自分以外の仲間たちを守ろうと強制脱出させて、自分だけが残った。しかし、戦闘の現場から追い出された仲間たちは、そのことをまったく喜ばなかった。のちに仲間たちと再会したマーベラスが、自分が間違っていたことを認めて言った言葉がこれだ。

 「おまえらや、おまえらの夢は、俺に守られるほどヤワじゃねえもんな」

 ここにわたしが見てとったのは、「守るものがあるから強くなれる」というありがちなヒーロー像へのアンチテーゼだ。

 そしてわたしがマーベラスの言葉に感動したのは、「守るものがあるから強くなれる」という考え方がもつ無神経な側面、つまり、相手の思いとは関係なしに、一方的に相手を庇護下におくことによって自分が強くなろうとすることの暴力性とウソくささに、ずっと反発しつづけてきたからだと思う。自己犠牲についても似たような感情をもつことがある。

 守るべきものは守り、助けるべきものは助けなければいけないのは当然のことだ。

 でも、相手を弱者の立場に拘束することによって、相対的に自分が強くなろうとし、そのことに無自覚なままにヒーロー面をする輩が、わたしはどうにも気にくわなかった。わたしが望む強さとはそんなものじゃない、というきわめて個人的な思いではあるけれど。

 まったく違う過去を背負い、それぞれの夢を自分の手でつかもうとしながらも、互いの意思を尊重して助け合って生き抜く海賊たちは、わたしにはとても魅力的なヒーローたちにみえる。

 共に生きる相手を尊重するとはどういうことか、なんだと思う。