「官僚たちの夏」と高度経済成長期の知財観

 城山三郎原作の小説「官僚たちの夏」がTVドラマ化され、話題を呼んでいます。

 高度経済成長期を支えた通産省官僚たちの物語で、熱い男たちの仕事ぶりが、地上の星のごとく輝いています。

 ちなみに、私の弱点は「何かに熱中している男性」であることを告白しておきます。

 先日放送された第8話は、主人公の一人である風越(佐藤浩市)が特許庁長官に就任するということで、新米特許技術者であり佐藤浩市のファンであるところの私も、わくわくして視聴に臨みました。

 しかし……しかしですよ! なんですかこの特許庁の扱いの低さは。

 要するに、出世コースを外れた風越の引き受け手として「三流官庁」たる特許庁が使われているわけです。

 その後も、飛行機やコンピュータなどの技術開発がめざましく進むシーンは出てくるものの、そういった技術を知財としてどう保護し、生かすか、という話はまったく出てきません。

 自由化で進んだ製品をどんどん輸入しようという趨勢に対抗して、自国の技術力を上げようとしているのが池内首相と風越特許庁長官という設定であれば、なおさら特許庁の出番ではないのか。

 設計の現場に、なぜか風越がいるんですけど、そんなとこで何してるんすか、長官!

 とまあ、知財に関わる人間として、憤懣やるかたないストーリー展開であったものの、これが時代性を反映したものなのか、それともストーリーのせいなのか、そのへんがどうもよくわからない。その旨をtwitterでつぶやいたところ、いろんな方から反応をいただきました。

 また、昨日、職場のランチ時にこの話題を持ち出したところ、けっこう見ていた人が多く、盛り上がりました。

 実際のところ、公務員志望者の間で特許庁が人気になったのはわりと最近の話なんだそうです。知財という言葉が流行りだしたのも最近であることを考えれば、そのへんは肯けます。

 それでは、ほんの少し前まで、官民ともに知財にはまったく無頓着だったのでしょうか?

 高度成長期は、特許出願件数もうなぎのぼりに増えている時代でもあります(昭和47年版科学技術白書[第2部 第3章 2] )。

 また、現行の特許法の基礎となる大々的な法改正が行われたのも、このころ(昭和34年)であり、知的財産保護に関する法的な議論はかなり熱心に行われていました。(「昭和34年法施行・50年」パテント 2009年 Vol. 62 No. 7 (PDFファイル))

 そして、その後の日本の経済の発展に、知財が大きく貢献したことは確かです。

 敗戦からの復興は、技術者たちの血と汗と涙がにじむ努力なしにはありえなかったものです。

 海外の進んだ技術を学び、利用したいという熱意が、自由化への取り組みを後押ししたかもしれません。そして、さらに良い技術、オリジナルな技術を創造しようとする技術者たちの気概と努力が、日本の優れた技術を生み出しました。

 技術などの知的財産を「利用する」ことと「創造する」ことは、経済活動にとってどちらも必要なことでありながら、ときに同じ現場で双方の利害がぶつかり合います。双方のバランスを取るための法的なしくみが、特許制度や著作権制度などの知財保護制度です。

 技術の流入と開発の進展が急速に進んだ高度経済成長期に、知財の「利用」と「創造」のバランスについて、議論がなされなかったはずはありません。

 それはどのようなものだったのか、強く知りたいと思っています。

 なぜなら、その頃の議論の中に、現在の知財保護の問題点を考えることに通じるものがあったように思えてならないからです。

 アメリカの強い支配下にあり、技術力も発展途上にあった高度経済成長当時においても、現在の特許法の基礎となる改正をなしとげた人々がいた、ということがどうしても気になるのです。

 技術の「利用」と「創造」について、昭和34年法改正時当時の結論は、

「物質を特許の対象とすることは見送る」(輸入して利用する)が、

「保護対象を“工業的発明”から“産業上利用することのできる発明”に広げる」「特許権の効力・存続期間の限定」(創造の後押し)

というものだった。

 どのような議論が重ねられてそのような結論に至ったのか。

 その議論の場は、「官僚たちの夏」の舞台とも負けず劣らず、熱いものであったことを期待して、ちょっと調べてみたいと思います。

 ちなみに、知財の活用と保護のあり方は、技術や経済の環境の変化に伴って、ダイナミックに変わりうるものですし、変わるべきものです。

 日本でも、今、2年後の特許法大改正に向けて議論が進んでいるため、特許法の根本から考え直してみるには良い機会だと思っています。