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私が女性であるということ

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 自分が女性であるということを強く意識しはじめたのは、結婚してから、正確には子供を妊娠してからでした。

 それまでは、「自分は女性だから損をしている」「得をしている」と考えたことは一度もなく、すべては個人の努力次第で決まると考えていました。

 自分なりの悩みや紆余曲折はあったものの、世間的には「順調」な人生を送ってきたと思います。

 だからこそ、というべきか、私はずっと、単純な「努力教」信者でした。

 自分を支え、導いてくれた人たち(親、友人、先生方など)に感謝の気持ちはもっていたものの、はたしてそれが十分であったかどうか。

 たまたまそういった人たちがそばにいて、好意を寄せてもらえたということ、多くのチャンスに恵まれたということを、自分にそれだけの価値があったから、と思いなすような傲慢さがなかったとはいえません。

 そのようなナイーブさや傲慢さを強みともして、私はきわめて利己的に、自分の生きたいような生き方を追求してきたのだな、と今になって思います。

 思春期ならではの悩みはあったものの、自分にはどうすることもできないハンディキャップがあると考えたことは一度もありませんでした。

 自分が女性であるということについて、真剣に考えたこともありませんでした。

 大学ではかの上野千鶴子先生が教鞭をとっていらっしゃいましたが、女性学にはまったく興味がわきませんでした。

 この男女平等の能力主義の世の中で、性の違いに由来する問題なんてあるだろうか、と考えていた私にとって、フェミニズムはヒステリックで、うらみがましい負け犬女性の思想に見えていたのです。

 私が恋心を抱く相手はいつも男性でしたし、夫と知り合って結婚するにしても、私は「女性」として振る舞っていました。私が自認している性が「女性」であることはたしかです。

 セクシュアルなことに関してきびしく育てられたためか、女性としてきれいに見えるようにおしゃれすること、恋愛することについては、長いこと罪悪感がありました。装いたいように装い、振る舞いたいように振る舞うためには、経済的にあるていど自立することが必要でした。

 それでも、自分が思う自分の女性性については、なんのコンプレックスもありませんでした。

 子供を妊娠して初めて、私は自分の女性性に対してふくざつな思いを抱くようになりました。

 子供はたまたま自分のおなかにいるけれど、夫と私の子供なのだから、夫も私と同じように子供のことや、家族のこれからを考えるだろう、と思っていたら、それが違った。

 産休・育休後に復職してみたら、家事育児と仕事の二重労働はきっちり私の肩にかかってきた。キャリア上のチャンスは圧倒的に夫の方が有利に得られ、私は足踏みをしたままである。

 これは夫だけに原因があったわけではなく、私自身の偏った性別役割分担意識の影響が大きかったと思います。

 たとえば私は、産休、育休中は、子供のことで夫に迷惑をかけてはいけないと思っていました。

 なかなか寝ない子、ひとりになれない子でしたから、夜は当然泣きますし、常に抱っこかおんぶが必要でした。仕事のある夫を夜泣きにつきあわせてはいけないと思いこんでいた私は、夫は別室で休むよう、自分から言い出しました。これは、結果として、子供と夫が親しくなるチャンスを奪うことになりました。

 また、仕事と結婚生活、仕事と育児の両立に悩んだときにも、夫のキャリア継続を優先して、自分の転職を決めました。今の生活には満足していますし、失ったと思ったものを取り戻しつつあることを喜んでいますが、特に研究に関して、自分の意志を貫徹しなかったことに対する後悔の念がずっと残っています。

 なぜ、私はあのように振る舞ってしまったのだろう?

 そしてなぜ、夫はそれを「しかたないことだ」と受け入れられたのだろう?

 十分に思考力があるはずの大人たちに、“それ”を当然だと思わせるものってなんだろう?

 私が「ジェンダーの非対称性」に興味をもちはじめたのは、そこからでした。

 先日、3歳の娘が突然、こんなことを言い出しました。

「あのね、○○くんはね、おとこのこだから、つよいんだよ。むすめちゃんは、おんなのこだから、ちからもちじゃないの」

 こんなことも言いました。

「ぴんくは、おんなのこ。あおは、おとこのこなんだよね」

 性の違いで役割や嗜好を決定するという社会的圧力、そしてそれが3才の子供に影響を与えるほど強いことに対して、今の私は強く反発します。

 しかし、娘の行く手から、すべての性差別を取りのぞいてやることなどできません。

 ましてや、すべての不自由を取り除いてやることは、まったく不可能です。

 遅かれ早かれ、娘は、さまざまな不自由を自覚することになるでしょう。

 そのとき、その不自由とどのように折り合いをつけるかは、娘にしか決めることはできません。

 せめて娘を支えたいとは思いますが、そのためにもまず、私は私の不自由と折り合いをつけていき、ときには戦う必要があります。

 私にとって、自分が女性であるということを考えることは、ほかの弱い立場にいる人たちのことを想像する手がかりでもあります。

 私は女性ですが、定職につき、ある程度の収入を得ているという点では強者です。その立場にいるがゆえに、想像力を欠いているという場合も多くあることを、いろいろと痛感するようになりました。

 だからこそ、弱者や強者とはなんなのか、マイノリティやマジョリティとはなにか、考えつづけていきたいと思っています。

 このような、いわば人道的な動機とはまったく別な思いもあります。

 不謹慎なようですが、私は、自分が女性であるということは、こよなく「おいしい」ネタであるとも思っています。

 立場や見る角度しだいで、人は弱者にも強者にもなりうる。おなじ人が、さまざまな姿や表情を見せる。

 そのおもしろさを浮き彫りにするという点で、性差別というテーマは非常に優れているのです。

 このテーマに関わる上で、被差別当事者は、そうでない立場の人より圧倒的に多い情報を、みずからの体験として得ることができます。

 

 もちろん、被差別者が上げる苦しみの声には、真摯に耳を傾けねばなりません。私の痛みが看過されることには身を切られるようなつらさを味わいます。

 しかし、それでもなお、私は(そして多くのフェミニストたちは)、自分の痛みを糧として、普遍的な大きな問題に取り組めるのではないか、という視点を常にどこかにもっているように思います。

 何かの問題を冷静に考えることができるということは、その問題に対する切実さが少ないことを意味しません。

 女性学が学問として確立され得たのは、これまでその問題に取り組んできたひとたちが、切実な苦しみと、それを冷静に見つめる目の両方をもっていたからではないでしょうか。

 そんなことを考えるようになりました。