知識は、誰かから一方的に与えられるものではない

似非科学対策としての「なんちゃって理解」を実現できないか

を読んで。


あちこちに誤解を招く表現があるような気がします。


 理論的に確立してないものをそれっぽい説明をつけて売ろうとするから、似非科学ビジネスは悪質なんだ。


 わかってないならわかってないでいいのにね。よくわかんないけどこういう風に処理した水を飲んでたらウンコいっぱい出るようになったんですよー、で充分。


KoshianXさんの表現は、カルト商法のよく使うロジックではないでしょうか。

つまり、

“「なぜ」そうなるかは科学的には証明されていない”

という論理のすりかえで、本当に「そうなる」ことがそもそも証明されていない事実を隠蔽するものです。


ニセ科学ビジネスが悪質なのは、そもそも効果がない、あるいは効果があることが証明されていないものを、「効果がある」と「科学的に証明された」かのような装いで宣伝するところにあるのです。

「よくわかんないけどこういう風に処理した水を飲んでたらウンコいっぱい出るようになったんですよー、で充分」

そのとおり。ただし、それは、ほんとうに、一定以上の確率で、ウンコいっぱい出るようになるのであれば、です。



KoshianXさんは、

 ネットじゃよく「理系知識が足りなすぎる」とか「情報リテラシーが無い」とか言われてたりするんだけども、正直言うとまあこりゃだまされてもしょうがないよな、と思ったりする。


 一度聞いてみたいんだけども、みんなそんなに家にあるものの動作原理って理解してる? ホワイトボードがなんで書いて消せるか説明できる人しか使ってないと思う? 説明できたにしても「インクが水でとけるから!」とかそんな程度だったりしない?

とおっしゃる。


「理系知識が足りなすぎる」とか「情報リテラシーが無い」とか言って、ニセ科学に騙される人たちを批判している人も中にはいるのかもしれません。

でも、私はその手の批判の仕方は「筋が悪い」と思います。「理系知識の多寡」はニセ科学に騙されるかどうかには大して重要ではないと考えています。

「なんちゃって理解」でもちろんかまわない。そこは同意します。


しかし、次のくだりには、一概には同意しかねるのです。


科学に携わる人々にはどうか我々が似非科学にだまされない程度の理科知識を「なんちゃって理解」できるおもしろい文章を書いていってもらいたいなと思う。


おそらくそれが理系センス、科学センスを磨く、ひとつの大きな力になるんじゃないかなと思うんだ。


先に引用したご発言とは矛盾するよう見えますが、KoshianXさんは、結局は「理科知識」を与えられることを望んでいらっしゃるのでしょうか?

しかも、「科学に携わる人々」というある程度権威づけられた人々から、一方的に与えられることを?


私には、その姿勢は、ニセ科学ビジネスのニセ科学的説明を無批判に受け入れることと、なんら変わりないように見えます。


このような方法でしか、ニセ科学に騙される素質のある人(変な言い方ですが)を「啓蒙」できないとしましょう。

そうすると、これからも無限に出てくるだろうニセ科学事象ひとつひとつについて、背景の原理原則から「なんちゃって理解」できるように、後追いで科学者が説明していかなければいけないことになります。

しかも、「お前の信じていることは間違いだ」と、既に信じている人に説き聞かせることは、非常に難しいですから、おそらく、騙されてしまった人は、そのような後付けの説明を耳に入れることはないでしょう。


理科知識と理科的考え方は、小学校と中学校で教えられていることで十分(というか、十分であるようにカリキュラムを組むべき)だと思います。

現実にニセ科学ビジネスと向かい合ったときに必要なのは、「そんなうまい話があるのか?」といったん立ち止まり、ニセ科学ビジネスの関係者側からの一方的な説明をそのまま受け入れず、自分で理解しようとしてみること、別の立場の人の意見も聞いてみようとすることではないでしょうか。


科学者の看板を掲げていながら、怪しげな主張をする人、怪しげなビジネスに荷担している人は、残念ながらいくらでもいます。

そういう人たちは、口当たりの良い、「なんちゃって理解」を助けるような一般書を出したりするから始末に悪い。

「科学に携わる人々」から、「理科知識」を一方的に与えられることを望んでいるようでは、ニセ科学対策にはまったくならないと思うのです。


最終的には、「それで本当に自分は損をしないか?」「他の人に迷惑をかけないか?」ということさえ、客観的に判断できれば良く、そのためには、自分から理解していこうとする姿勢が、なんとしても必要になります。


ニセ科学的なもの、オカルト的なものを求める人(どうして科学らしきものとオカルトを同時に信奉できるのか不思議ではありますが)は、まっとうな科学を毛嫌いする傾向があるように思います。科学はときとして歯切れが悪かったり、自分の信じたいこととは違うことを主張したりするからでしょう。

そういう人たちに、科学はあなたたちの敵ではないんだよ、話を聞いてみても悪いことはないよ、と語りかけるために、KoshianXさんのおっしゃるような「おもしろい文章」を科学者が書くことには意義があると思います。


また、未知のことがらに、科学者がどのように向かい合っていくか。その姿と方法を伝えていくという意義もあるでしょう。


もちろん、科学を心から愛するすべての人たちのために、サイエンスコミュニケーションが存在することは言うまでもありません。


繰り返しますが、どれほどたくさんの知識を与えられたとしても、自分が直面した問題をどのように解決するかは、自分にしか決められません。

自分が求めて得た知識ではなく、誰かから一方的に与えられた知識では、自分の問題を解決する役には立たないのです。