女性研究者支援について

女性研究者採用したら6百万円 文科省、増員狙い補助へ


人件費の一部と初期の研究費ということらしいので、学振PDあたりの水準なのかな。

100人だけ、と考えるか、100人も、と考えるか。


文部科学省のサイトをざっと見渡したけど、ソースが見つからなかったので、詳細はわからないが、記事を読んでなんじゃこりゃ??と思った。

持参金(補助金)をたくさんつけるので、どうか嫁にもらってくれ、と、頼んでもいないのに親(役所)に言われた気分がした。


いくつかの疑問

ぱっと見ただけで浮かんだ疑問は次のようなもの。


1・「研究の多様性を高める」って何?

「研究の多様性を高める狙いもあるという」と記事は言うが、女性が増えれば研究の多様性が高まる、という考え方にひっかかる。

人文系ならそういう分野もあるかもしれないが、すごく限られているのではないか?

ましてや科学に「女性ならではの視点」って何を考えているのだろう。男女で結論が異なったら、それは科学ではない。


「研究への取り組み方の多様性」(家庭をもちつつ研究するとか)ならまだわかるけど、「研究の多様性」はおかしいでしょう。


2・補助金で採用された女性研究者に対して、周囲の目が厳しくなる恐れはないか?

ちゃんと能力のある研究者なのに、補助金で採用されたばかりに、「あの女は金で採用された」と、その能力を過小評価されたりしないだろうか。


過小評価されないように、女性研究者は「男性並み」を大きく上回る仕事をしなくてはいけない、というような重圧が、周囲からも、自分自身からもかかるような気がする。


補助金で採用された女性研究者の前途は

・「男性並みを大きく上回る仕事」の重圧に押しつぶされて、研究を諦める

・出産・育児なんかしているわけにはいかない!と、極端にワークライフバランスの偏った「スーパーウーマン」「名誉男性」になって、後続女性にプレッシャーをかける

の二択しかないような気がしてならない。


後者であっても、研究さえ発展すればそれでいいとするのか。

研究者たちのワークライフバランスも考えた支援策をとりたいのか。

どちらを目的とするのかが、いまいち見えない。


3・三年で補助金が切れた後、その女性研究者の処遇はどうするのか?

金の切れ目が縁の切れ目で、簡単に首を切られるいい口実を与えてしまうような気がする。

たとえ、補助金のある三年間に業績をあげたとしても、三年経過後の雇用の安定性・機会均等は、能力や業績にしたがって正当に与えられるのかが不明である。


能力や業績と連動しないで、お金が期限付きで降ってくる、というのはどうにもおかしい。

タダよりこわいものはない。


でも、なんとか前向きに考えてみる

この制度が発案された背景には、「女性であるというだけで採用を控えられてしまう」という「食わず嫌い」をなんとかしよう、という考えがあったのだろうと想像する。

とりあえず採用させて、使わせて、「女性でも大丈夫じゃん。むしろいいじゃん」という共通認識を醸成するのが目的なのかもしれない。

それはそれで、一理か、三分の理くらいはあるかもしれない。


前向きに考えてみると、「発言権をもつ女性研究者の割合が増えれば、将来的には、女性が研究を続けやすい環境が整っていくだろう」という見方もできる。

なんにせよ、もうスタートすることが決まってしまった制度なら、なんとかこの制度を有効に使って、女性研究者も、そして研究社会全体がいい方向に進むように努力するしかない。


実際に「女性である」というだけで、同レベル、あるいは自分よりレベルの低い男性に職を奪われがちな研究分野があるとすれば、そこでサバイブしていきたい女性に最初の足がかりを与えることができるかもしれない。

だとすると、「ただし、女性が働きやすい環境を整え、増員を確実に定着させる採用計画をつくった研究機関に限定する」という方針は腑に落ちないが。


ともあれ、この制度で採用される女性たちには、開き直って、うまく足がかりにして羽ばたいてほしいと切に願う。


ワークライフバランス支援を考える

しかし、今回の支援策をそのまま受け取ると、うまくいったとしても、「スーパーウーマン」「名誉男性」たり得る女性だけが生き残れるようなシステムになりそうな気がする。


研究の世界はシビアなのだから、スーパーウーマンだけが残って何が悪い、という考え方もあるし、一定の理解はできる。

でも、ここでは敢えて、「スーパーウーマンだけが生き残れるシステム」に異を唱えたい。


私はかつて研究者だった。そして、夫は現役の研究者である。

その経験から考えて、男女問わず、家庭をもって研究者であり続けるためには、配偶者の理解と協力が何より重要だ。


研究には、時間も必要だし、集中も必要だ。特に理系なら、時間の見通しが立たないことも多い。

子どもをもたないか、子どもの世話を妻や両親に任せることのできる、「身軽な」研究者が、もてる時間的・精神的リソースをすべてつぎこんで研究に取り組む方が、やはり成功しやすい。また、そういう自己犠牲的な関わり方をよしとする風潮も、あるところにはある。

しかし、人間ひとり育てることは「研究の片手間」などでできることではない。

そこで、その認識と覚悟と結果としての行動を、夫婦で共有することが必要になる。


夫婦共に研究者であれば、研究に時間と集中が必要なことは嫌というほど理解している。

もし、お互いが相手の時間的・精神的リソースをできるだけ研究に振り向けられるように、思いやり、協力し合うことができれば、そのカップルは研究者として成長していける。

しかし、そうでない場合は、夫婦のどちらかが研究に注力できるように、どちらかが研究または仕事をやめることになるだろう。


身の回りを見る限り、共働きで協力し合っている研究者カップルは、少しずつ増えているように思う。

家庭で過ごす時間が増えても、そのぶん、研究室にいる時間や子どもが寝た後の時間に集中して、いい仕事をする研究者が、男女問わず増えてきている。(ちなみに夫は週末は基本的に自宅におり、最近は平日の一日も早く帰り、家族で夕食をとるようにしている)

そういう雰囲気こそが、ワークライフバランス支援にはもっとも重要である気がする。


もし、職場がスーパーマンとスーパーウーマンの集まりで、みんな午前様・朝帰り・休日出勤当たり前、子どもとほとんど口も利かない、という生活だったら、私はとうてい、その職場で働いていける自信はない。

いくらそのスーパーな人たちが「女性支援」「ワークライフバランス支援」と口先だけで唱えていても、彼ら彼女らの子どもや配偶者をないがしろにしていたら、説得力はない。

女性研究者も集まらないし、いつくこともないだろう。


ワークライフバランスも含めた女性研究者支援を考えるのであれば、スーパーウーマンのロールモデルをつくりあげることは、もっとも間違った方向であると思う。

本当に必要なのは、「研究か家庭かの二択」を迫るような風潮をなくすこと、そして、仕事と子どもに理解のある保育園や学童保育等の充実などではないか。


期限を区切って、どんと金だけ出して継続的なアフターケアはなし、というやり方は、箱物行政以外の何ものでもない。

「これまでの環境づくり中心の施策では不十分と判断した」というが、まともな環境づくりがきちんと完遂されたのか、そこをきちんと総括してから判断してもらいたいと思う。