Dear Sister ”S”

id:satomiesさんにidコールいただいておりました。→かまってもらって、ちょこちょこ「あのね」:その2

そしてこんな身に余るお言葉も!→勝手に納得

ありがとうございます。


遅くなりましたが、id、pollyannaに関する私のお話をば。


satomiesさんのおっしゃるとおり、私も「少女パレアナ」は再読しまくりました。

最初に読んだときから好きでしたが、その読み方は少しずつ変わってきたと思います。


小学生のころ

しょせん小学生ですからね。ただ単純に、「どんなつらいことにも負けないで、明るく乗り切っていくパレアナ」をいいなあ、真似したいなあ、と思っていたはずです。

パレアナの1万分の1くらいの「つらさ」だったにせよ、小学生の私にもそれなりに大変なことはあって、それをどうにか乗り越えるための、心の支えでした。


当時(小学校三、四年生のころ)、担任の教師に目の敵にされて、毎日のように体罰くらっていました。「ド近眼」とか言われもしたなあ。好きだった絵本を読んでいたら、「あなたは頭いいんだから、もっと難しい本読めばいいじゃない」と鼻で笑われたこともありました。


不思議なもので、「悪い子」「反抗的な子」として見られ続けると、いつのまにか本当に「悪い子」の行動をしてしまう。

そうなったらもう言い訳は効かない。自分から「悪い子」になったわけだから。

そうやって、どんどん自分が悪くなっていくのが怖くて、嫌だった時期に、どんなことがあっても「なんでも喜ぶゲーム」を続けていられるパレアナが、憧れだったのです。


また、ひたすら「善意にとる」ことが、意地悪な人たちへの痛烈な皮肉になる、というのが痛快だったように思います(それを意識している時点で、パレアナのようにピュアでも善くもなかったわけですが)。


おとなになってから

今は、「少女パレアナ」は、パレアナ自身がパレアナイズムを獲得していく過程に魅力があると思っています。


物語の最初の方で、困難を乗り越えるため、無邪気にひとを力づけるためにされる「よかった探し」は、乱暴に言ってしまえば、父親に教えられた“技術”にすぎません。

“技術”でこなしているだけでは、「説教」ととられもし、「カマトト」と罵られることもあるでしょう。


しかし、ある日、事故に遭って、二度と歩くことができないだろうと診断されたパレアナは絶望し、何を喜ぶべきかを見失います。「他の人が自分のようでないことを喜ぶ」ことの難しさにも気づきます。

それでもパレアナはもう一度、自分の意志で、何を喜んで生きていくのかを見つけていきます。

喜びを与える喜びしか知らなかったパレアナが、周りの人に喜びを与えられる喜びを知り、自分の生き方を手にする。

この過程において初めて、読者はパレアナと共に成長することができるのです。


パレアナ自身の意志で、パレアナイズムをえらびとってゆく過程が描かれているからこそ、「少女パレアナ」が不朽の名作になったのだと私は考えています。


ちなみに続編・パレアナの青春では、パレアナが自分の善意の残酷さを思い知る場面があったりもし、決してただの「いい子ちゃん」ではないパレアナの魅力が、さらに味わえます。


スウ姉さん

翻訳者の村岡花子さんが、パレアナ・シリーズよりも愛している、とおっしゃった作品が、「スウ姉さん」です。

そして、今の私もやはり、ポーターの作品の中で一番好きなものは「スウ姉さん」。


裕福な家庭に生まれ、美貌と音楽の才能に恵まれたスウはまた、弟や妹、そして父親にも頼られる、しっかりものの「スウ姉さん」でもあります。

しかし、幸せな家庭は、突然の没落に見舞われます。

スウはピアニストへの夢をいったん封じ込め、ピアノの教師をしながら、ショックのあまり精神に変調を来した父親と、荒れる弟妹の世話に明け暮れます。

いつの日か舞台で「アンコール! スザナ・ギルモア嬢! アンコール!」という喝采を身に浴びるチャンスがやってくることを熱望しながら、その夢を押し隠し、明るく「馬鈴薯の皮をむき続ける」スウ姉さん。

そしてある日・・・。


satomiesさんの以下の言葉を読んだとき、私はすぐにこの作品を連想しました。

 さあて。いい加減、もういいだろう。もうあと数年で、「障害をもった子ども」は「障害をもった支援を受ける大人」になる。娘の知的障害は存在し続けるし、成人後の問題ももちろん出てくるだろうとも思う。でも娘の成人後もわたしが「母」にアイデンティティを持ちすぎるのは、それは違う。

 娘が成人して、そしてわたしは50代になったら何やるかなあ、と。次年度からはその準備が始まるんだなあと、ちょっとワクワク。まだまだ人生は、長い。


そんなSister "S"に、プレストン叔母さんの言葉を贈ります。


 この町の中を見渡したって、年百年中留守居番をしてほかの人たちばっかりおもしろい思いをさせてるスウ姉さんは何人となくいますよ。なんによらず自分はいつでも遠慮して、縁の下の力持ちをして、人を正面の席に座らせるためには、うしろのほうに引っ込むっていう仲間はいくらでもいます。しょっちゅう台所で馬鈴薯の皮むきばっかりしていて、人に食べさせてるっていうぐあいにね。

・・・(中略)・・・

 スウ姉さんみたいな人こそ、天国へ行ったら、あんた方なんかの目がくらむような、ぴかぴかした星の冠をかぶる人なんですよ。


そしてどうぞ、「自分のために、いちばん大きい林檎と、いちばん大きいお菓子」を!